ノルマンディー上陸作戦
のるまんでぃーじょうりくさくせん
Normandy Invasion
第二次世界大戦末期の1944年6月6日、連合軍によって実施された北フランス上陸作戦。別名「オーバーロード(大君主)作戦」Operation Overlord。用いられた兵力は、第一波攻撃だけでも、アメリカ、イギリス、カナダの将兵17万6000人、各種艦艇5300隻、戦闘機・爆撃機・輸送機1万4000機というすさまじさで、物資揚陸用の人工港まで曳航(えいこう)して、「史上最大の作戦」といわれた。最高司令官にはアメリカのアイゼンハワー、地上軍の総司令官にはイギリスのモンゴメリーがあたった。上陸地点は、コタンタン半島(ノルマンディー半島)からオルヌ河口までの約100キロメートルの海岸。ドイツ側は、上陸地点の予測を誤ったこともあり、西部方面軍総司令官ルントシュテット、B軍集団司令官ロンメルらの戦闘指揮にもかかわらず、物量に圧倒的に優勢な連合軍の攻勢に屈し、約90日でパリをはじめフランスのほぼ全土を連合軍の手に明け渡す結果となった。
[藤村瞬一]
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ノルマンディー上陸作戦
ノルマンディーじょうりくさくせん
第二次世界大戦末期の1944年6月6日,連合国軍が北フランスのノルマンディー海岸に上陸したいわゆる史上最大の作戦
アメリカのアイゼンハウアー元帥の指揮下に,艦船延べ4000隻,17万5000人が軍艦・爆撃機に護衛されて上陸を敢行した(D作戦と称された)。ヒトラーは陽動作戦とみて主力部隊を出動させなかったため有効な反撃ができず,以後の西部戦線の劣勢をもたらすことになった。
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「ノルマンディー上陸作戦」の意味・わかりやすい解説
ノルマンディー上陸作戦【ノルマンディーじょうりくさくせん】
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世界大百科事典 第2版
「ノルマンディー上陸作戦」の意味・わかりやすい解説
ノルマンディーじょうりくさくせん【ノルマンディー上陸作戦 Operation Overlord】
第2次世界大戦中の1944年6月,米英連合軍(総司令官アイゼンハワー元帥)が北フランス,ノルマンディー海岸に行った史上最大の上陸作戦。第2次世界大戦の初期に連合軍は西部戦線で敗れ,ヨーロッパ大陸から退けられていた。この作戦は,連合軍が西部戦線においてドイツ本土に進攻するための足場をヨーロッパ大陸に求めて行われた。この実行は,1943年5月ワシントンでのF.ローズベルト,チャーチル両首脳の会談で決定され,約1年の準備で300万近い将兵をイギリス本土に集結させた。
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ノルマンディー上陸作戦
ノルマンディーじょうりくさくせん
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世界大百科事典内のノルマンディー上陸作戦の言及
【第2次世界大戦】より
…チャーチルはこの作戦よりもバルカン半島への攻撃を主張していたが,ローズベルトとスターリンは戦争の早期終結を願い譲ることはなかった。44年6月6日ノルマンディー上陸作戦が開始され,その日約15万人,1週間で約36万人が上陸した。ドイツ側は警戒してはいたものの有効な反撃ができず,1ヵ月はもちこたえたが,その後撤退を開始した。…
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