ネミロビチダンチェンコ(英語表記)Vladimir Ivanovich Nemirovich-Danchenko

改訂新版 世界大百科事典 「ネミロビチダンチェンコ」の意味・わかりやすい解説

ネミロビチ・ダンチェンコ
Vladimir Ivanovich Nemirovich-Danchenko
生没年:1858-1943

ロシア・ソ連邦の演劇人。モスクワ大学物理・数学科に学んだが,演劇への傾倒を深め,劇評に筆をとるようになり,小説・戯曲の作によって一家をなすにいたった。やがて自作上演の経験から劇場芸術改革の必要を痛感し,まず低俗な世相劇にふさわしい職人芸の役者ではなく,高い文学的内容をもつ戯曲を形象化しうる俳優の養成を志して,モスクワ・フィルハーモニー学校のドラマ科を主宰した。これがまもなくスタニスラフスキーとの出会いを生む機縁となり,1898年相携えてモスクワ芸術座を創立した。芸術座における彼の第1の功績は,チェーホフ,ゴーリキーを劇作に引き入れ,芸術座の進路を決定した《桜の園》や《どん底》などの名作を生み,またイプセン,ハウプトマンらの西欧近代劇の移植に努めたことである。ロシア革命後は国をあげての演劇改革の事業に参画し,国内諸劇場の再建に尽くす一方,多年の念願であったドラマと音楽の総合を目ざす研究劇場の設立を実現した。本拠の芸術座においてはソビエト作家の新作をとりあげて舞台に革命の同時代人を登場させ,またロシアの古典の新演出によって現代視点からする新しい解釈と響きを与えるなど,その創造意欲は晩年まで衰えることなく,ソビエト演劇界の最長老としてこの国の劇場芸術の発展に大きな足跡を残した。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のネミロビチダンチェンコの言及

【演出】より

…1874年から90年にかけて彼の劇団マイニンゲン一座はヨーロッパ各地の都市を巡演したが,その集団的演技による群衆処理と写実的な演出は,各国の近代劇運動に大きな影響を与え,数多くの新しい演出者が登場してきた。戯曲の言葉を重視し,自然主義を徹底させた自由劇場Théâtre Libreを創設(1887)したフランスのA.アントアーヌV.I.ネミロビチ・ダンチェンコとともにモスクワ芸術座を結成(1898)してチェーホフ,ゴーリキーらの新しい戯曲をとりあげ,リアリスティックな俳優術を探究したK.S.スタニスラフスキーなどすぐれた演出家が生まれてきた。イギリスのE.H.G.クレーグは演出の概念を徹底化し,理論的考察を与えた最初の人である。…

【モスクワ芸術座】より

…頭文字をとってムハト(MKhAT)と略称される。1898年10月にスタニスラフスキーネミロビチ・ダンチェンコによりモスクワに創立された。設立の動機は,低俗な出しもの,場当りと紋切型の芝居,粗雑な装置や背景,主演者中心の安易な興行など,当時の演劇界の通弊と因習を断ちきり,演劇本来の社会的使命をまっとうしようというものであり,一方また,おりから西欧を風靡(ふうび)した演劇革新の声に呼応して,ロシア演劇のリアリズムの伝統をふまえ,高度の理念と生活の真実につらぬかれた舞台を創造しようというものであった。…

※「ネミロビチダンチェンコ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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