ネットー(読み)Netto,Curt

朝日日本歴史人物事典 「ネットー」の解説

ネットー

没年:1909.2.7(1909.2.7)
生年:1847.8.21
明治期に来日したお雇い外国人。ドイツ人鉱山学者。フライベルク出身。同地の鉱山アカデミーに学ぶ。工部省鉱山寮の招きで,明治6(1873)年来日。採掘ばかりでなく冶金技術を伝えながら秋田県小坂鉱山での実務に従事,10年東大の発足と同時に理学部採鉱・冶金学の教授となる。17年には『涅氏冶金学』を発表(訳述野呂景義)。日本近代化の恩人のひとりベルツとも親交があり,18年に長期にわたる滞日を終えて帰国後も,ドイツにおいて,日本の文化の紹介に力を尽くした。ベルツの日記によると死因は心臓まひによる急死だったという。<著作>『日本のユーモア』『日本の紙の蝶々

(村上陽一郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ネットー」の解説

ネットー Netto, Curt Adolph

1847-1909 ドイツの金属工学者,鉱山学者。
1847年8月21日生まれ。明治6年(1873)まねかれて来日,工部省に雇用され秋田県の小坂鉱山につとめる。のち,東京大学で採鉱冶金(やきん)学をおしえ,野呂景義らをそだてた。18年帰国。1909年2月7日死去。61歳。フライブルク鉱山学校卒。著作に「日本鉱山編」「日本のユーモア」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内のネットーの言及

【冶金】より

…この学科は80年になって地質学科と採鉱冶金学科に分かれている。冶金学の講義を行ったのは御雇外国人教師のネットーCurt Netto(1847‐?)であった。彼は採鉱冶金に関して当時最も学問的水準の高かったドイツのフライブルク大学の出身であった。…

※「ネットー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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