精選版 日本国語大辞典 「ネクラーソフ」の意味・読み・例文・類語
ネクラーソフ
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ロシアの詩人。ヤロスラブリ郊外の農奴50人ばかりの小地主の家に生まれ,土地の学校を卒業,1838年首都ペテルブルグに出る。士官学校に入れようとする父に背いて,ペテルブルグ大学を受験して失敗,家から仕送りを断たれ,貧乏暮しの中で40年詩集《夢と音》を出すが不評。当時ようやく商売になり始めた新聞・雑誌の仕事をして,ベリンスキー,ツルゲーネフ,パナーエフ,ドストエフスキーらを知り,これら新人の作品を集めて45年《ペテルブルグ生理学》,46年《ペテルブルグ文集》を刊行して好評を得た。47年にはプーシキンが創刊した月刊総合誌《現代人》の発行者となり,チェルヌイシェフスキー,ドブロリューボフらを編集陣に加えて,農奴解放前後の言論自由化の波に乗って発行部数をのばし,文壇を支配し世論を指導した。この時期,彼の精神も高揚し,《正面玄関の物想い》(1858),《天候について》(1859-65),《ひと時の騎士》(1860),《厳寒の赤鼻》(1863)等々,ロシア詩のジャンルと様式を革新する作品が書かれた。63年のポーランドの反乱を機に解放の波は退潮,《現代人》の売行きは落ち,66年には発行停止の処分がくる。しかし彼はシチェドリンと組んで,68年《祖国雑記》の編集権を買い取り経営する。この雑誌に連載された叙事詩《ロシアは誰に住みよいか》(1866-76)と《デカブリストの妻》(1872-73。旧題《ロシアの婦人》)は日本でも多くの読者を得ており,とくに前者は,7人の農民が幸福者を求めて遍歴する物語で,農民の知恵に対する詩人の賛嘆が聞かれる。この畢生(ひつせい)の大作は作者の死で未完に終わった。
執筆者:新谷 敬三郎
ソ連邦出身の作家。キエフ出身。建築大学,演劇学校で学び,舞台装置家となった。第2次世界大戦に工兵将校として従軍,その体験をもとに,処女作《スターリングラードの塹壕にて》(1946)を発表,ヘミングウェーばりの作風で,戦争の裏方である工兵たちの哀歓を描き,雪どけ後の戦争文学を先取りした。第2作《故郷の町にて》(1954)では,復員兵の運命を軸に,戦時中の〈対独協力者〉の復権の問題を初めて提起,スターリン批判の線を明確にした。その後も短編《セーニカ》(1956)で自分を傷つけて兵役を免れる青年を,中編《キーラ・ゲオルギエブナ》(1961。邦訳《夏の終り》)で人妻の恋を描くなど,〈自由派〉の旗手として活躍した。アメリカ,イタリアへの旅行記《大洋の両岸にて》(1962)は,いわゆる〈ロバの尻尾〉整風時にフルシチョフから痛罵された。しかし節を曲げずにソルジェニーツィン,サハロフ擁護の立場をつらぬき,74年に共産党から除名され,パリ亡命に追い込まれた。亡命後も《コンチネント》誌を中心に,数多くの時事的エッセーを発表,ロシア亡命者文学の中心的存在であった。
執筆者:江川 卓
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1821~77
ロシアの詩人。雑誌『同時代人』の編集発行人をつとめ,文学における革命的啓蒙活動を行うとともに,長編叙事詩『だれにロシアは住みよいか』などで社会の実情を訴えた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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