ネクラーソフ(英語表記)Nikolai Alekseevich Nekrasov

精選版 日本国語大辞典 「ネクラーソフ」の意味・読み・例文・類語

ネクラーソフ

(Nikolaj Aljeksjejevič Njekrasov ニコライ=アレクセービチ━) ロシアの詩人。革命的民主主義の雑誌「同時代人」「祖国雑記」を主宰。「ロシアは誰に住みよいか」「デカブリストの妻」などの詩を残した。(一八二一‐七七

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「ネクラーソフ」の意味・読み・例文・類語

ネクラーソフ(Nikolay Alekseevich Nekrasov)

[1821~1878]ロシアの詩人・ジャーナリスト農奴解放を呼びかける一方、進歩的雑誌「同時代人」「祖国雑記」を編集。長編叙事詩「ロシアはだれに住みよいか」「デカブリストの妻」など。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「ネクラーソフ」の意味・わかりやすい解説

ネクラーソフ
Nikolai Alekseevich Nekrasov
生没年:1821-77

ロシアの詩人。ヤロスラブリ郊外の農奴50人ばかりの小地主の家に生まれ,土地の学校を卒業,1838年首都ペテルブルグに出る。士官学校に入れようとする父に背いて,ペテルブルグ大学を受験して失敗,家から仕送りを断たれ,貧乏暮しの中で40年詩集《夢と音》を出すが不評。当時ようやく商売になり始めた新聞・雑誌の仕事をして,ベリンスキーツルゲーネフ,パナーエフ,ドストエフスキーらを知り,これら新人の作品を集めて45年《ペテルブルグ生理学》,46年《ペテルブルグ文集》を刊行して好評を得た。47年にはプーシキンが創刊した月刊総合誌《現代人》の発行者となり,チェルヌイシェフスキー,ドブロリューボフらを編集陣に加えて,農奴解放前後の言論自由化の波に乗って発行部数をのばし,文壇を支配し世論を指導した。この時期,彼の精神も高揚し,《正面玄関の物想い》(1858),《天候について》(1859-65),《ひと時の騎士》(1860),《厳寒の赤鼻》(1863)等々,ロシア詩のジャンルと様式を革新する作品が書かれた。63年のポーランドの反乱を機に解放の波は退潮,《現代人》の売行きは落ち,66年には発行停止の処分がくる。しかし彼はシチェドリンと組んで,68年《祖国雑記》の編集権を買い取り経営する。この雑誌に連載された叙事詩《ロシアは誰に住みよいか》(1866-76)と《デカブリストの妻》(1872-73。旧題《ロシアの婦人》)は日本でも多くの読者を得ており,とくに前者は,7人の農民が幸福者を求めて遍歴する物語で,農民の知恵に対する詩人の賛嘆が聞かれる。この畢生(ひつせい)の大作は作者の死で未完に終わった。
執筆者:

ネクラーソフ
Viktor Platonovich Nekrasov
生没年:1911-87

ソ連邦出身の作家。キエフ出身。建築大学,演劇学校で学び,舞台装置家となった。第2次世界大戦に工兵将校として従軍,その体験をもとに,処女作《スターリングラードの塹壕にて》(1946)を発表,ヘミングウェーばりの作風で,戦争の裏方である工兵たちの哀歓を描き,雪どけ後の戦争文学を先取りした。第2作《故郷の町にて》(1954)では,復員兵の運命を軸に,戦時中の〈対独協力者〉の復権の問題を初めて提起,スターリン批判の線を明確にした。その後も短編《セーニカ》(1956)で自分を傷つけて兵役を免れる青年を,中編《キーラ・ゲオルギエブナ》(1961。邦訳《夏の終り》)で人妻の恋を描くなど,〈自由派〉の旗手として活躍した。アメリカ,イタリアへの旅行記《大洋の両岸にて》(1962)は,いわゆる〈ロバの尻尾〉整風時にフルシチョフから痛罵された。しかし節を曲げずにソルジェニーツィン,サハロフ擁護の立場をつらぬき,74年に共産党から除名され,パリ亡命に追い込まれた。亡命後も《コンチネント》誌を中心に,数多くの時事的エッセーを発表,ロシア亡命者文学の中心的存在であった。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ネクラーソフ」の意味・わかりやすい解説

ネクラーソフ
Nekrasov, Nikolai Alekseevich

[生]1821.12.10. ポドリスク,ネミーロフ
[没]1878.1.8. ペテルブルグ
ロシアの詩人。貴族の家庭に生れ,少年期から農奴や引き船人夫の悲惨な生活に同情し,専制への限りない憎悪をいだいたが,これが後年の彼の詩のライトモチーフとなった。叙事詩『だれにロシアは住みよいか』 Komu na Rusi zhit' khorosho (1863~77執筆) はその代表作。また雑誌の編集者としての手腕にもすぐれ,『同時代人』 Sovremennik,『祖国の記録』 Otechestvenniye zapiskiを主宰。ほかに『ロシアの妻たち』 Russkie zhenshchiny (71~72,邦訳『デカブリストの妻』) などがある。

ネクラーソフ
Nekrasov, Viktor Platonovich

[生]1911.6.17. キエフ
[没]1987.9.3. バルドマルヌ
ロシア生れの作家。医者の家に生れ,1936年キエフ建設大学卒業。同時に演劇スタジオで学んだ。 41~44年工兵として第2次世界大戦に従軍。その体験に基づく第1作『スターリングラードの塹壕にて』V okopakh Stalingrada (1946) が 47年度スターリン賞を受賞した。中編『故郷の町で』V rodnom gorode (54) は帰還兵の複雑な運命を扱った問題作であり,海外紀行文『大洋の両岸で』 Po obe storony okeana (62) は新聞で鋭い批判を浴びせられた。 74年作家同盟追放。 75年パリへ亡命,ソ連体制を批判した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「ネクラーソフ」の意味・わかりやすい解説

ネクラーソフ

ロシアの詩人。帝政を批判する急進的な立場から〈詩人たらずとも,市民たれ〉と説き,現実への積極的な関与を唱える。雑誌《現代人》《祖国雑記》の編集者としても活躍した。民衆詩的なリズムを駆使して,ロシア農民の運命を歌った長詩《ロシアは誰に住みよいか》(1863年―1876年)のほか,《正面玄関の物思い》《酷寒の赤鼻》《デカブリストの妻》などで解放への希求を激しく訴えた。
→関連項目ベリンスキーボルガ[川]

ネクラーソフ

ロシア(ソ連)の作家。キエフ生れ。第2次大戦の従軍体験に基づいた処女長編《スターリングラードの塹壕にて》(1946年)で戦争文学に独自の境地を開き,以後《故郷の町にて》,評論《大洋の両岸にて》などでスターリン批判の先頭に立った。1974年国外に追放され,フランスに亡命。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ネクラーソフ」の解説

ネクラーソフ
Nikolai Alekseevich Nekrasov

1821~77

ロシアの詩人。雑誌『同時代人』の編集発行人をつとめ,文学における革命的啓蒙活動を行うとともに,長編叙事詩『だれにロシアは住みよいか』などで社会の実情を訴えた。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

今日のキーワード

脂質異常症治療薬

血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...

脂質異常症治療薬の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android