ヌミディア(英語表記)Numidia

精選版 日本国語大辞典 「ヌミディア」の意味・読み・例文・類語

ヌミディア

(Numidia) 古代、アフリカ大陸の北西部にあった地域名。アルジェリアの北東部にあたる。ヌミディア人国家があったが、マシニッサ王(前二四〇‐前一四九)以来ローマの藩属国となり、前四六年にはローマの属州となった。

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デジタル大辞泉 「ヌミディア」の意味・読み・例文・類語

ヌミディア(Numidia)

古代、アフリカの北西部、現在のアルジェリア付近にあった地方名。前3世紀ごろ、ヌミディア王国が成立したが、のちローマ帝国の属州となった。

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改訂新版 世界大百科事典 「ヌミディア」の意味・わかりやすい解説

ヌミディア
Numidia

北アフリカマグリブ地方の古代国家。後にローマ帝国の属州。古代マグリブの住民はベルベル系諸語(リビア語)を話し,遊牧と並んで早くから農耕を開始していたが,前3世紀までは階級国家形成にいたらず,部族連合の段階にあった。カルタゴ周辺から大西洋岸に向かって順にマッシュリMassyli,マサエシュリMasaesyli,マウリMauriの3種族が有力で,前2者を総称してヌミディア人と呼ぶ。ヌミディアの統一王国は,第2次ポエニ戦争の際ローマと同盟したマッシュリ首長マシニッサのマサエシュリ領併合により誕生した。以後ヌミディア王家は,ローマの地中海制覇に軍事協力(おもに騎兵を提供)しつつカルタゴ領を侵食し,王領地拡大,国内ポエニ系都市支配,ギリシア世界との交流を軸に部族首長からの脱皮を目ざした。首都キルタCirta(現,コンスタンティーヌ)近郊には巨大な王廟が残り,王名入りの鋳造貨幣も各地で出土している。ポエニ語が広く用いられた。

 第3次ポエニ戦争後,ローマの旧カルタゴ領直接支配(属州アフリカ)開始とともに,王家の対ローマ従属は深まり,王国内都市,諸部族,王領地農民との矛盾が顕在化した。危機に対処してローマからの自立をはかった王ユグルタの試みも挫折(前105),ローマ軍退役兵の王国内植民すら始まって,前1世紀の王権はローマの傀儡かいらい)と化した。ヌミディアの穀倉としての可能性に目をつけ属州化を計画するカエサルらに対抗して,最後の王ユバ1世Juba Iはポンペイウス側にくみし,敗死した(前46)。王国東部は属州とされ,西部はマウリの王国に併合された。これ以後ヌミディアの管轄は属州編成変更に伴い二転三転するが,ローマ帝国の穀倉としての地位は保たれ,果樹栽培も展開されて3世紀末まで都市部の繁栄が続く。しかし隷属的小作人,季節労働者,奴隷の労働に依拠した社会のひずみは,4世紀以降これら下層民へのキリスト教の浸透,それに伴うドナティスト運動(ドナトゥス派)の形で噴出,蜂起続発の中で古代末期を迎える。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヌミディア」の意味・わかりやすい解説

ヌミディア
ぬみでぃあ
Numidia

紀元前3~前1世紀に、北アフリカ西部を支配したマッシュリーMassyli人の王国の古代ローマ世界における通称。転じて、王国中央部をさす地名。古代北アフリカの原住民は、現在北アフリカ各地に分布するベルベル系諸言語と同系の言語を話したとされ、マッシュリー人もその一派である。ベルベル社会は早くも前二千年紀には定住・農耕の段階に達し、前一千年紀前半にはフェニキア人の植民、とりわけカルタゴ建国の影響下で、各地に王権の発生をみるに至ったが、これらはポエニ戦争期まではおおむねカルタゴの覇権下にあり、その軍事力供給源に甘んじた。第二次ポエニ戦争の際、ローマがカルタゴへの対抗上ベルベル諸王権との同盟を求めると、これと結んだマッシュリーの王族マシニッサMassinissaは当時最強といわれた西隣のマサエシュリーMasaesyli人の王国を打倒・併合し、ここにキルタCirta(現在のコンスタンティーヌ市?)を首都とするヌミディア王国regnum Numidiaeが成立(前202)する。

 ヌミディア王権は当初よりローマの同盟者としてローマの北アフリカ進出の橋頭堡(きょうとうほ)の役割を演じ、第三次ポエニ戦争開戦の要因ともなるが、反面、国内では王領地での穀物生産を基礎に、フェニキア系都市支配、東方ギリシア世界との交流などを通じてヘレニズム諸王国に範をとった支配体制を構築し、一時代を画した。しかしカルタゴ滅亡、ローマの属州アフリカ設置(前146)後は、ローマ・イタリア人事業家の浸透とともに、王権の対ローマ従属性が深まり、これに反発する諸階層を結集したユグルタJugurthaの政権掌握の試みもローマの軍事介入(前111~前105)により崩壊して、以後はまったくの傀儡(かいらい)王権と化した。ローマ共和政末期の内乱の際、ヌミディア最後の王ユバJuba1世はポンペイウス派にくみして敗死し、遺領の大半がカエサルにより属州化(前46)されて、王国は滅亡する。ヌミディア時代の墳墓・神殿などの遺構は現在チュニジアおよびアルジェリア各地に残存し、マッシュリー王家のものとされるメドラセンMedracenの円形大墳墓はとくに有名である。

[栗田伸子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヌミディア」の意味・わかりやすい解説

ヌミディア
Numidia

現在のアルジェリアにほぼ相当する地域に対する古代ローマ時代の呼称。この地方に入植したフェニキア系民族カルタゴ人の軍隊のなかで,前6世紀以来優秀な軍人としてヌミディア人の名が現れる。彼らは元来半遊牧の生活をおくる原始的民族であったが,前3世紀末キルタ (現コンスタンチーヌ) にいた一部族マッシリの王マシニッサのもとに統一され,カルタゴの滅亡とともに国家を整備した。前 148年マシニッサが死ぬと一時弱体化したが,前 118年ユグルタ王のもとにローマに反抗。また前1世紀中頃にはユバ1世が現れたが,タプススの戦いでユリウス・カエサルに敗れた。その後はローマ帝国の属州となった。3世紀になると,キリスト教が急激に広がり,ドナツス派の拠点となった。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ヌミディア」の解説

ヌミディア
Numidia

アフリカの北岸カルタゴの領域の西・南部を占める地方。遊牧民のベルベル人の居住地。マッシニサ王の統一(前3世紀初め)の頃定住生活に入り,ユグルタ戦争後も繁栄した。のちローマの属州となり,帝政期には軍事植民市が建設され,ヴァンダル侵入時まで文化,宗教(キリスト教)の発展はめざましかった。

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百科事典マイペディア 「ヌミディア」の意味・わかりやすい解説

ヌミディア

北アフリカ,カルタゴの西部,南部を占めた古代国家。ベルベル人系の遊牧民の居住地。前3世紀初めにマシニッサが統一王国を建ててから発展,ローマとのユグルタ戦争後も栄えた。前1世紀半ばローマの属州となり,帝政期にはローマの文化が移入され,キリスト教が発展した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ヌミディア」の解説

ヌミディア
Numidia

現在のアルジェリア東部地方の古名,国家名
前46年以後,ローマの属州となり,穀倉地帯でもあり,ヴァンダル族の侵入までキリスト教圏の中心として栄えた。アウグスティヌスはこの地の出身。

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世界大百科事典(旧版)内のヌミディアの言及

【カルタゴ】より

…最高政務官は毎年門閥から選出される2人のスフェテスsuffetes,軍事指揮官は別途選ばれる将軍であったが,実権を握るのは数百名の門閥から成る元老組織,104人から成る裁判委員会であり,独裁者出現の芽は厳しく摘みとられた。民会(市民総会)は有名無実であり,市民の従軍はまれで,イベリア人,バレアレス人等,西地中海諸住民からの傭兵,従属リビア人からの徴兵,ヌミディアマウレタニアのベルベル人首長からの援軍が軍隊の中核をなした。商人の社会的地位の高さと軍人への評価の低さはギリシア・ローマ社会と対照的である。…

※「ヌミディア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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