ニーチェ(年譜)
にーちぇねんぷ
1844 10月15日、プロイセンのザクセン州の田舎町レッケンに生まれる
1858 名門プフォルタ学院に給費(奨学)生として転校
1862 「運命と歴史」を口頭発表
1864 プフォルタ学院を卒業。卒業論文はラテン文の「メガラのテオグニスについて」。10月、ボン大学に入学
1865 古典文献学のリッチュル教授と同時にライプツィヒ大学に移り、同教授の下で古典文献学を専攻。ショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』を耽読し、深く感動
1869 古典文献学の員外教授としてバーゼル大学に赴任。5月、トリプシェンにワーグナーを訪う。ブルクハルトとの交友が始まる
1872 『悲劇の誕生』を出版。バイロイト祝祭劇場の起工式に出席
1876 病気のため大学の講義を中止。バイロイト祝祭劇に出席するが、幻滅のあまり途中でボヘミアに旅す
1878 『人間的なもの、あまりに人間的なもの』を出版。ワーグナーとの友情関係は破断する
1879 バーゼル大学を正式辞職
1881 シルバプラーナの湖畔で、永劫回帰の思想に「襲われる」。晩秋より翌1882年にかけ『悦ばしい知識』を執筆
1882 ルー・ザロメに恋愛し求婚するが、拒絶される。のちに『力への意志』で総称される遺稿群は、ほぼ本年から1888年にかけて書かれた
1883 『ツァラトゥストラはこう語った』第1部を出版
1886 『善悪の彼岸』出版
1887 『道徳の系譜』を自費出版
1888 デンマークの文芸史家ゲオルク・ブランデスより、コペンハーゲンで「ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェ」について講義した旨の通知を受け、気をよくする。年末、精神錯乱の徴候
1889 トリノの広場で昏倒。知人らに妄想の表れた手紙を出す。医者の診断は「進行性麻痺症(まひしょう)」
1891 妹エリーザベト、ニーチェの作品公刊に干渉し、『ツァラトゥストラはこう語った』第4部の出版を阻止する
1894 妹、「ニーチェ文庫」を設立、ニーチェの助手格で友人のペーター・ガストを排除し、自分で全集の出版に着手
1900 8月25日、ワイマールにて死去する
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例