ニューモデル軍(読み)ニューモデルぐん

百科事典マイペディア 「ニューモデル軍」の意味・わかりやすい解説

ニューモデル軍【ニューモデルぐん】

英国,ピューリタン革命における議会派の軍隊。1645年2月,議会条例によって設置。内戦勃発以来の議会軍は装備と経験の不足,主力の民兵軍がそれぞれの州の自衛に重点をおいたため,国王軍に対して劣勢を余儀なくされた。この欠陥を除去するために,中部東部西部の諸州は州連合軍を編成したが,軍の上層部には国王との早期講和をはかるために決戦を回避しようとする意向が強く,この傾向は1643年スコットランドとの宗教軍事同盟が結ばれた後にいっそう強くなった。これに反発してクロムウェルを中心にした独立派は〈辞退条例〉によって妥協的な長老派軍幹部の排除をはかるとともに,ニューモデル軍の設置をきめた。この軍隊は東部連合軍の中核として活躍していたクロムウェルの騎兵隊を模範として,総兵員数2万2000で,フェアファクスが総司令官に,クロムウェルが副司令官に就任した。以後,戦局は圧倒的に議会側に有利に展開し,ネーズビーの戦で内乱の勝利を不動にした。
→関連項目パトニ討論

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世界大百科事典 第2版 「ニューモデル軍」の意味・わかりやすい解説

ニューモデルぐん【ニューモデル軍 New Model Army】

イギリス,ピューリタン革命中の1645年2月,議会条令によって新編成された革命派の軍隊。それまで議会軍は装備と経験の不足に悩まされ,また主力の民兵隊が自州の防衛に固執したため広範な戦闘を展開できず,国王軍に対して劣勢に甘んじていた。この欠陥を埋めるため,中部,東部,西部の諸州で州連合軍が結成されたが,議会の上層部には決戦を回避して講和しようとする意向が強く,とくに1643年スコットランドとの宗教・軍事同盟が成立して以降,この傾向が顕著になった。

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世界大百科事典内のニューモデル軍の言及

【イギリス】より

…日英間の宮廷外交・文化交流も年々盛んになっている。
[軍事政策]
 イギリスの常備軍は,ピューリタン革命中の1645年議会側が創設した〈新型軍(ニューモデル軍)〉に始まり,王政復古後は国王の正規軍として発達した。しかしクロムウェルが〈新型軍〉によってクーデタを起こし,軍事独裁をしいた苦い経験から,議会側は常備軍の動向をたえず警戒し,議会による軍隊の統制に配慮してきた。…

【ピューリタン革命】より

…内乱開始直後から熱心なピューリタンから成る騎兵隊を率いて議会軍に参加したクロムウェルは,1643年,劣勢の議会軍がスコットランドの軍事援助を求めたのを契機にして議会派内部で生まれた〈長老派〉と〈独立派〉の対立において,後者の中心人物と目されるようになった。44年7月マーストン・ムーアの戦勝によって発言力を高めたクロムウェルは,長老派に属する貴族の戦闘指導を厳しく批判,翌年議会軍を〈ニューモデル軍〉に改組することに成功し,6月のネーズビーにおける勝利によって第1次内乱を終結させ,国王を捕虜にした。しかし勝利を収めた議会派の内部では対立がいっそう強まった。…

※「ニューモデル軍」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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