ニジニー・ノブゴロド(読み)にじにーのぶごろど(英語表記)Нижний Новгород/Nizhniy Novgorod

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ニジニー・ノブゴロド」の意味・わかりやすい解説

ニジニー・ノブゴロド
にじにーのぶごろど
Нижний Новгород/Nizhniy Novgorod

ロシア連邦、ニジェゴロド州州都。ニジェゴロドとはニジニー・ノブゴロドの短縮形で、州名として一般的に用いられている。オカ川ボルガ川に合流する地点にある。人口136万4900(1999)。ノブゴロドとよばれていたが、13世紀末にはニジニー・ノブゴロドとなった。1932年にここで生まれたマクシム・ゴーリキーの作家生活40年を記念してゴーリキーГорький/Gor'kiyと改名されたが、91年に旧称に戻された。ボルガ上流部の行政、工業、文化の大中心地。鉄道、ハイウェーの分岐点で、河港、空港がある。ロシア革命(1917)後、第二次世界大戦までの五か年計画時に大規模な工業投資が行われ、多くの工業企業がつくられた。国内最大の自動車工場が建設されたのもこの時期であった。第二次世界大戦中は、ソ連の軍需品製造中心の一つとして発展した。主要な工業は機械工業(自動車、航空機、船舶、ディーゼル・エンジン、コンプレッサー、泥炭採掘機、テレビ)である。ほかに冶金(やきん)、化学(石油製品)、木材加工、食品(食肉製粉、菓子、ビール醸造、シャンパン醸造)、亜麻(あま)加工、トリコット、皮靴製造の各工業がある。

 市は1221年に、モルドバ人やボルガ・ブルガール人に対する軍事哨所(しょうしょ)として始まり、1350年からスズダリ・ニジェゴロド公国の首都となった。そして地理的位置のよさから商業と文化の中心として発展し、1374年にこれまでの木の柵(さく)にかわり、石造りのクレムリン城塞(じょうさい))の建設が始まった。15世紀よりカザン・ハン国に対するロシアの軍事拠点となり、1611~12年のポーランド侵入軍に対する民族蜂起(ほうき)の中心であった。19世紀に食品とボルガ水運に関連する工業がおこり、ボルガ水運の発展によって河港として栄えた。また、1918~20年の国内戦ではボルガ艦隊の基地であった。なお、1817年から1930年まで毎年開かれていた定期市(いち)は有名である。

 市街はオカ川によって二分され、東部丘陵で、旧市はここにある。西部低地で、工業地帯である。市内に15~18世紀の建築記念物が多く、クレムリン(16世紀)、アルハンゲリスキー寺院(16世紀)、ウスペンスキー教会(17世紀)などが保存されている。また、文化の中心地として、多くの教育・文化施設があり、総合大学をはじめ、工科、水運技術、建築、医科、農業、教育の諸大学や、ドラマ劇場、オペラ・バレエ劇場、喜劇劇場、人形劇場、ゴーリキー博物館、サーカス場、交響楽団が置かれている。

[中村泰三・小俣利男]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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