ニザーム
にざーむ
Ni
ām
独立前のインド南部にあったハイデラバード藩王国の世襲君主の称号。ムガル朝下のデカン地方長官アーサフ・ジャー(1671―1748)が1713年に与えられたニザーム・アルムルク(「王国の統治者」の意)の称に由来するもので、彼は1724年にムガル朝から事実上独立した王国ハイデラバードを創建した。イギリスの南インド侵略の過程で、強大な隣国マイソールやマラータ連合に脅威を感じていた第4代ニザームは1798年にイギリスとの軍事保護条約を受け入れ、事実上その支配下に入った。最後のニザームは1911年に即位したミール・ウスマーン・アリー・カーンで、独立インドが1948年に軍事行動によってこの藩王国をインドに併合し、これとともにニザームの地位も消滅した。
[内藤雅雄]
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ニザーム
Nizām
支配あるいは支配者という意味のアラビア語であるが,インド史では特にハイデラバード王国の王号として使用された。ハイデラバード王国は,1724年にムガル帝国から独立してデカン高原に建設されたが,その創始者がムガル皇帝からニザームル・ムルク Nizām al-Mulkの称号を与えられたので,歴代の王はニザームを称した。
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ニザーム【niẓām】
本来はアラビア語で〈統治〉を意味したが,ニザーム・アルムルクniẓām al‐mulk(〈国の統治者〉の意)という称号は,インドのムガル帝国時代,最高の地位にあるもの,宰相などに与えられた。とくに,アウラングゼーブ(在位1658‐1707)時代後期,デカンの統治をまかされたアーサフ・ジャーĀṣaf Jāhはその称号を与えられ,のちデカンがハイダラーバード藩王国として事実上ムガルから独立すると,その支配者は代々ニザームの称号をみずからにつけた。
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