ニザームアルムルク

精選版 日本国語大辞典 「ニザームアルムルク」の意味・読み・例文・類語

ニザーム‐アル‐ムルク

(Niẓām al-Mulk) イラン、大セルジュク朝の政治家。第二代、第三代のスルタン仕え土地改革、学問・芸術の育成につとめた。著「スイアサート‐ナーマ」は政治方策の名著として知られる。(一〇一八‐九二

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デジタル大辞泉 「ニザームアルムルク」の意味・読み・例文・類語

ニザーム‐アル‐ムルク(Niẓām al-Mulk)

[1018~1092]イラン系ムスリムの政治家。セルジュークトルコスルターン宰相として仕え、事実上実権を握った。バグダッドなど各地にニザーミヤ学院を設立スンニー派復興に努めた。著「政治の書」。

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改訂新版 世界大百科事典 「ニザームアルムルク」の意味・わかりやすい解説

ニザーム・アルムルク
Niẓām al-Mulk
生没年:1018-92

イラン人の政治家。名は〈国の統治者〉を意味する。ホラーサーントゥースに近い町の地主の家に生まれる。初めガズナ朝のホラーサーン総督に仕え,次にセルジューク朝のチャグリー・ベクのもとに転じ,アルプ・アルスラーンマリク・シャーの2代のスルタンのワジール(宰相)となった。両スルタンの実質的なアター・ベク(養育者,後見人)でもあり,自らも私兵を擁し政治の実権を握って,行政組織,軍隊,イクターの整備などの改革を行った。主要な都市にニザーミーヤ学院を開設してスンナ派イデオロギーの擁護とウラマーの育成に努めたのもその一つである。彼の著した《政治の書Siyāsat nāma》は,君主に対して統治理念を説いたもので,ペルシア語散文学の傑作であり,歴史史料としても貴重である。1092年バグダードへの旅行途上でイスマーイール派と思われるダイラム人によって暗殺されたが,その一族はその後,半世紀にわたってワジールなどの要職についた。
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世界大百科事典(旧版)内のニザームアルムルクの言及

【イクター】より

… 次のセルジューク朝(1038‐1194)も,建国当初からブワイフ朝のイクター制をほぼそのままの形で踏襲した。宰相ニザーム・アルムルクは,イクター保有権と行政権とが結びついたアミールの大イクターについても,軍事奉仕の義務を明確に定めて国家の統制を強化したが,12世紀以後になるとこれらのアミールは自らのイクターを世襲化し,独立化の傾向を強めていった。ザンギー朝(1127‐1222)をはじめとして各地に成立したアター・ベク政権はその典型である。…

【ハイダラーバード藩王国】より

…インドのデカン高原中央部に存した最大かつ最重要のムスリム藩王国。ムガル朝下のデカン長官ニザーム・アルムルクNiẓām‐ul‐Mulk(1671‐1748)が1724年に独立して創建。王は代々ニザームを称した。…

【マリク・シャー】より

…在位1072‐92年。カーブルド・ベクの反乱を鎮圧して一族内の地位を確立,宰相ニザーム・アルムルクの助けを得て,イクター制の整備,奴隷軍の再編成を行った。イスファハーン,バグダード,ホラーサーン諸都市に公共建造物,市壁を造り,東方ではカラ・ハーン朝,西方ではマルワーン朝,ビザンティン帝国より領土を奪って,同朝史上最大の版図を実現した。…

※「ニザームアルムルク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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