ニザーミー(読み)にざーみー(英語表記)Ilyās b. Yūsuf Niāmī

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ニザーミー」の意味・わかりやすい解説

ニザーミー
にざーみー
Ilyās b. Yūsuf Niāmī
(1141―1209)

ペルシアの詩人。一般にニザーミー・ガンジャビーの名で知られる。カスピ海南西方ガンジャの裕福な家に生まれる。早く両親を亡くすが、広い分野にわたり高度な学問を修め、神学法学、天文学、音楽、美術などに精通していた。生涯はほとんど不明だが、郷里を離れず周辺の地方君主の求めに応じて詩作したといわれる。中世の『詩人伝』によると、「敬虔(けいけん)、高潔、禁欲的な人柄で、後世詩人の模範たるべき優れた詩人」と紹介されている。

 名声が確立したのは「五部作」(ハムセ)または「五宝」として知られる五大長編叙事詩による。このうち3編はロマンス叙事詩で、この分野ではペルシア文学史上最大の詩人として評価され、後世の詩人に多大の影響を与えた。第一作『神秘の宝庫』(1176)は約2200句からなる神秘主義叙事詩で、この分野の先達サナーイーの『真理の園』の手法を踏襲している。第二作『ホスローシーリーン』(1177~1181)は約6500句のロマンス叙事詩で、ササン朝皇帝ホスローと美女シーリーンとのロマンスを主題とし華麗な宮廷を舞台に展開する。第三作『ライラーとマジュヌーン』(1188)は約4500句のロマンス叙事詩。舞台は荒涼、広漠たるアラビア砂漠で、ベドウィンの若き男女の悲恋物語。彼はこの作品をほぼ4か月で完成し、天才詩人ぶりを発揮した。第四作『七王妃物語』(1197)は約5000句からなるロマンス叙事詩で、五部作中の最高傑作と評されている。第五作『アレクサンダーの書』は晩年の作で「栄誉の書」と「幸運の書」の2部からなり、約1万句で、彼の思想学識の深さがうかがわれる。

 彼のロマンス作品は中世以来ペルシア・ミニアチュール絶好題材としてよく用いられた。

[黒柳恒男]

『岡田恵美子訳『ホスローとシーリーン』(平凡社・東洋文庫)』『岡田恵美子訳『ライラとマジュヌーン』(平凡社・東洋文庫)』


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改訂新版 世界大百科事典 「ニザーミー」の意味・わかりやすい解説

ニザーミー
Niẓāmī Ganjavī
生没年:1141-1209

イランのロマンス叙事詩人の第一人者アゼルバイジャンのギャンジャ(ソ連時代はキーロババード)に生まれ,神秘主義の教養を積んだ。エルディグズ朝の諸王に作品を献じたが宮廷に出仕することはなかった。《ハムセKhamse》とよばれる五部作のうち,とくに《ホスローとシーリーン》《ライラとマジュヌーン》《七人像(七王妃物語)》(いずれも邦訳あり)は,イスラム以前からの伝承をもとに,ニザーミーが物語にまとめたもので,これによってイスラム世界を中心に広く人口に膾炙(かいしや)し,さかんにミニアチュールに描かれた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ニザーミー」の意味・わかりやすい解説

ニザーミー
Niẓāmī, Ilyās ibn Yūsuf

[生]1141. ガンジャ
[没]1209
ペルシアのロマンス詩人。生涯は明らかでない。主として郷里において作詩に専念し,一定の王に仕えることはなく,敬虔,高潔な詩人として知られ,諸学に精通していた。代表作は「ハムセ」 (5部作) の名で知られる長編叙事詩である。その第1作『秘密の宝庫』 Makhzan al-asrār (1175頃) は神秘主義を主題とした作品であるが,これ以降はロマンス詩に転向,第2作『ホスローとシーリーン』 Khusrau o Shīrīn (77~81) ,第3作『ライラーとマジュヌーン』 Laylā o Majnūn (88) ,第4作『7人像』 Haft paykar (97) ,第5作『アレクサンダーの書』 Iskandar-nāme (96~1200) により,ペルシア文学史上最大のロマンス詩人としての地位を確立した。

ニザーミー
Niẓāmī `Arūzī, Aḥmad ibn `Umar

ペルシアの伝記作家,詩人。サマルカンドで生れ,アフガニスタンのゴール朝に長年仕えた。 1156年頃執筆した『4つの講話』 Chahār maqāleは,書記,詩人,占星術師,医師に関する4つの講話から成り,ペルシア文学研究の重要な資料であるばかりでなく,イラン・イスラム文化の見地からも価値が高い。中世ペルシア散文作品の傑作の一つに数えられ,邦訳もある。なお,ロマンス詩人ニザーミーと区別するため,アルーズィー (散文家) ・ニザーミーと呼ばれる。

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百科事典マイペディア 「ニザーミー」の意味・わかりやすい解説

ニザーミー

イランのロマンス叙事詩人,神秘主義者。優美で流麗な文体をもち,幻想にあふれた詩を作った。生涯清貧に安んじ,マスナビー詩型の完成者。また彼の詩による《ハムサの写本》はビヒザードらによって華麗なミニアチュールが描かれ,イスラム美術の傑作。作品に《ハムセ》と呼ばれる五部作があり,そのうち《ホスローとシーリーン》《ライラとマジューン》《七人像》が有名。
→関連項目ガンジャミーラク

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世界大百科事典(旧版)内のニザーミーの言及

【ハムサ】より

…中世イランの詩人ニザーミーによる長編叙事詩。神秘主義詩《マフザヌル・アスラール(秘密の宝庫)》,ロマンス叙事詩《ホスローとシーリーン》《ライラとマジュヌーン》《ハフト・パイカル(七王妃)》,英雄叙事詩《イスカンダル・ナーメ(アレクサンドロスの書)》の五部から構成され,《五部作》と訳されることもある。…

【ペルシア文学】より

… 10世紀以来ペルシア詩人の活躍地域は保護者たる王朝の版図の関係上,中央アジアからイラン東部に限られていたが,11世紀後半からセルジューク朝の勢力拡大に伴い,ペルシア詩人の活動地域もしだいにイラン全域に広がり,とくにカスピ海西方地域アゼルバイジャン地方では,12世紀後半にホラーサーン派詩人と覇を競う優れた詩人たちが輩出し,アゼルバイジャン派詩人と呼ばれ,〈古典ホラーサーン・スタイル〉を脱して新しい〈イラク・スタイル〉を生み,ペルシア詩の発展に多大の貢献をした。同派の代表的な詩人は頌詩詩人ハーカーニーKhāqānīと,ロマンス叙事詩人ニザーミーで,とくに後者はロマンス叙事詩を完成させた最高詩人で,代表作として《ハムセ(五部作)》と呼ばれる長編ロマンス詩を作詩した。 12世紀半ばから頌詩,叙事詩とともにペルシア詩の主流を占めるようになったのは神秘主義詩(スーフィー詩)である。…

【ホスローとシーリーン】より

…イラン詩人ニザーミーのロマンス叙事詩《五部作》のうち,1177‐81年にかけて6500句をもってうたわれた一編。ササン朝の王ホスロー2世(在位590‐628)と美女シーリーンをモデルにした恋物語。…

【ライラとマジュヌーン】より

…マジュヌーンも純粋な恋の気持を詩にうたいながら,ライラの後を追う。筋に小異はあるものの,こうした恋物語はアラビアの砂漠的環境に生まれ,その純愛と悲恋,詩のすばらしさおよび歌にセットされたことなどの理由から,広くイスラム文化圏に流布し,中でもイランの詩人ニザーミーの作品化の功績は大きく,神秘的な愛をうたい,神秘主義の教科書ともいわれる。物語,民謡,詩吟,劇として今日でも絶大な人気があり,西洋でも《ロミオとジュリエット》の中東版として親しまれている。…

※「ニザーミー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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