ナンガ・パルバト山(読み)なんがぱるばとさん(英語表記)Nanga Parbat

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ナンガ・パルバト山」の意味・わかりやすい解説

ナンガ・パルバト山
なんがぱるばとさん
Nanga Parbat

パンジャーブ・ヒマラヤ山脈きっての高峰。パキスタン領カシミールのインダス川左岸にそびえる。標高8126メートルで、世界第9位に位置する。インダス河畔から南東方向を眺めると、実に7000メートルを超える氷の絶壁が、あたかも空中にかかっているかのように見える。ヒマラヤ山脈の主脈は、この偉大な山容を誇るナンガ・パルバト山から始まり、延長2400キロメートルを走り、はるか東方のインドのアッサム州に至る。ナンガ・パルバトとはサンスクリット語のナンガ・パルバータnanga parvataに由来し、「裸の山」を意味する。事実、このむき出しの鋭い岩峰は長く人を寄せ付けなかった。ディア・ミールDia Mir(精霊の住む山)という別称もある。

[金子史朗]

地質

ナンガ・パルバト山塊の地質はおもに片麻(へんま)岩体からなり、ほかに堆積(たいせき)岩起源の変成岩や、マグマ起源の正片麻岩様の岩石もその構成要素としてみいだされる。しかし山塊の地質構造そのものは、山頂から谷底まで露出している部分をみる限り複雑な様相はみいだされない。山塊は、地質構造的にはインド亜大陸の北に向かって北西進した部分(左翼)を占めており、付近の岩石・地層南北に配列し、南から強い圧縮力を受けたものと考えられる。プレートテクトニクスの考えにも調和しており、地質上のチベットとの境界付近に位置している。

[金子史朗]

登山史

1895年にイギリスの登山家ママリーが遭難してから、8回目の挑戦によって登頂されるまで、実に31名の人命が奪われ、「魔の山」の名をほしいままにした。1932年のドイツ・アメリカ隊(隊長W・メルクルWilly Merkl、1900―1934)、1934年のドイツ隊(同)、1937年のドイツ隊(隊長K・ウィーンKarl Wien、1906―1937)が次々に登頂に失敗、1937年のドイツ隊は16名の死者を出すというヒマラヤ登山史上空前の大遭難を起こした。さらに1938年のドイツ隊(隊長P・バウアーPaul Bauer、1896―1990)、1939年のドイツ隊(隊長P・アウフシュナイターPeter Aufschnaiter、1899―1973)、1950年のイギリス隊(隊長J・W・ソンリーJ. W. Thornley)も失敗したが、1953年ドイツ・オーストリア隊(隊長K・ヘルリヒコッファーKarl Maria Herrligkoffer、1916―1991)のヘルマン・ブールが、7月3日単独による初登頂に成功した。

[金子史朗]

『K・M・ヘルリッヒコッファー著、岡沢祐吉訳『ナンガ・パルバート回想――闘いと勝利』(1984・ベースボール・マガジン社)』『ラインホルト・メスナー著、横川文雄訳『ナンガ・パルバート単独行』(ヤマケイ文庫)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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