ナコーンパトム(英語表記)Nakhon Pathom

改訂新版 世界大百科事典 「ナコーンパトム」の意味・わかりやすい解説

ナコーンパトム
Nakhon Pathom

タイ中部にある同名県の県都。都市域人口24万3813(2002)。バンコクの西方52km,メナム(チャオプラヤー)川の分流であるナコーンチャイシー(ターチーン)川の西岸に位置する。チャオプラヤー・デルタ穀倉地帯の西部にあり,広大な水田地帯の中の行政・商業上の中心地である。付近の自然堤防上には果樹園が広がり,ブンタンザボンの一品種)の産地として有名である。丘陵地の開墾は古くから進み,野菜類やサトウキビなどの畑作が盛んである。市内には芸術大学の芸術学部が置かれている。ナコーンパトムを中心とする地域には,すでに6,7世紀ころドバーラバティDvaravati(杜和鉢底国,堕羅鉢底国)と呼ばれるモン族の王国が栄えていた。西方のカーンチャナブリー近くのポントゥック遺跡からはグレコ・ロマン様式の青銅製ランプが発掘され,中国史料にも唐への朝貢が記されるなど,このモン族の王国はインド洋,南シナ海をこえて各地と交渉していたといわれる。美術史上でドバーラバティ様式と呼ばれる仏像などが数多く残され,インドの後期グプタ様式の影響がみられる。今日のタイの地において,歴史上初めて仏教文化を受容したと考えられるこのモン族の国は,9世紀ころには滅亡した。市の中央にそびえる仏塔プラ・パトム・チェディーPhra Pathom Chediは,高さ127m,タイ最大のものである。この仏塔の原型は500年ころに建造され,モン族の時代に改築されたものと伝えられている。今日の巨大な仏塔は,1860年の大規模な改修工事によるものである。このような伝承と歴史的経緯から,タイ人にとってナコーンパトムは,仏教が最初にもたらされた土地であるとみなされている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のナコーンパトムの言及

【タイ】より

…このほか南インドのアマラーバティー美術の流れをくむ像もある。これらの仏像はおもにナコーンパトムから発見されたが,ここからは法輪(石灰岩製)も多く出土している。仏像も法輪も,おもに7~8世紀のものと思われる。…

【ドバーラバティ】より

…このサンスクリット名をタイ語ではタワーラワディと発音し,この王国名タワーラワディは後のタイのアユタヤ朝の都アユタヤとラタナコーシン朝の都バンコクの公式名の中にも含まれている。さらにこの王国の存在を立証する証拠として,タイ中部のナコーンパトムで発見された2枚の銀貨の面に〈ドバーラバティの王の値〉と解読されるサンスクリット銘が刻まれていたことがあげられる。この貨幣の発見のほかに,ナコーンパトムからは多くの考古学上の資料(遺構,遺品,モン語の碑文など)が出土しているので,仮説としてナコーンパトムがこの王国の都とみなされている。…

※「ナコーンパトム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android