ドクトリネール(英語表記)Doctrinaires

改訂新版 世界大百科事典 「ドクトリネール」の意味・わかりやすい解説

ドクトリネール
Doctrinaires

フランスの王政復古から七月革命にかけて活躍した穏健な立憲王党派の指導者らに与えられた呼称純理派などと訳す。呼称の由来はさだかでないが,一説にこの小党派の指導的理論家ロアイエ・コラールの巧みな弁舌揶揄(やゆ)してある時論家がドクトリネール(〈空論家〉の意)と呼んだことに由来するという。ドクトリネールは学者,法曹,官僚や軍人らで構成され,その代表の双璧がロアイエ・コラールギゾーであった。彼らは,王政復古時代に議会を牛耳る過激王党派の反動攻撃や共和派などの運動に対抗して議会内外で〈憲章擁護論陣を張った。ときにフランス革命後の近代市民的諸関係を承認して立憲王政の推進・安定を図る現実的方策が求められていたので,彼らは大きな影響力をもった。とくにその政治理論では旧制度の君主主権も革命の人民主権もともに排斥して,人間の理性そのものに主権を帰属させる〈理性主権〉論と制限選挙に基づく穏健な立憲政治論に特色がみられる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドクトリネール」の意味・わかりやすい解説

ドクトリネール
どくとりねーる
Doctrinaires フランス語

フランス復古王政期の政治グループ。純理派、正理論派などと訳す。右翼の過激王党派に対抗して生まれた立憲王党派のなかにあって、中道政治の哲学を打ち立てようとした理論家たちをさす。その中心はロアイエ・コラールで、ほかにギゾー、ブロイ公Achille Charles Léonce Victor, duc de Broglie(1785―1870)、シャルル・ド・レミュザCharles François Marie, comte de Rémusat(1797―1875)らが有名。王権神授説にたつ専制君主制とルソー的デモクラシーとをともに退け、制限選挙制に基づく穏和な立憲王制を説いたが、国王に政治に対する積極的役割を認める点で、イギリス風の議会制王制を目ざすコンスタンらの自由派と区別される。少数派ながら影響力は大きく、自由主義ブルジョアに有利な1817年の選挙法、また検閲の廃止を定めた19年の新聞法の制定を主導し、20年代には立憲憲章擁護の立場から過激王党政府の反動政策を批判した。7月王政期には、この派の立場が保守派たる抵抗派に受け継がれることになる。

[服部春彦]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ドクトリネール」の解説

ドクトリネール
Doctrinaires

純理派,理論派などとも訳され,フランス復古王政期の自由主義的反対派をさす。ロワイエ・コラールギゾーによって代表され,過激王党にも人民主権論にも反対して,公正な中道政治を唱えた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドクトリネール」の意味・わかりやすい解説

ドクトリネール

純理派」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内のドクトリネールの言及

【ギゾー】より

…復古王政治下,内相秘書官をはじめ,国務院調査官や県・地方行政局長の要職を歴任する一方,〈憲章〉理念実現のためロアイエ・コラールらとともに自由主義の立場から立憲君主政擁護の論陣を張る。その政治思想集団は〈ドクトリネール〉と呼ばれた。彼の講義はシャルル10世の反動政治のため一時禁止されたが,28年再開され反政府派学生・知識人らの好評を博した。…

※「ドクトリネール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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