世界大百科事典(旧版)内のドゥル・シャッルキンの言及
【コルサバード】より
…アッシリアのサルゴン2世が建設した首都の遺跡。イラクのモースルの北東約20kmにあり,古代にはドゥル・シャッルキンDur Sharrukinと呼ばれた。コルサバードという名はササン朝ペルシアの王コスロエス(ホスロー)の町と誤解されたことに由来する。…
【サルゴン[2世]】より
…しかしこれには,大神殿の免税特権の復活によって僧侶階級の支持を得るなどの政治的措置が必要であった。王は古都ニネベの北北東20kmの地点に6年の歳月をかけて新都ドゥル・シャッルキン(今日のコルサバード)を造営し,東西貿易路を脅かす山岳民に備えたが,死後放棄された。王は北西イランの山岳地帯への遠征中,待伏せした山岳民に殺されたと伝えられる。…
※「ドゥル・シャッルキン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」