ドイツ・オーストリア同盟(読み)どいつおーすとりあどうめい

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ドイツ・オーストリア同盟
どいつおーすとりあどうめい

1879年に締結されたドイツ帝国オーストリア・ハンガリー帝国間の軍事同盟ベルリン会議とオーストリアのボスニア・ヘルツェゴビナ占領(1878)を経て、バルカンをめぐってロシアと対立するオーストリアのドイツへの接近指向が、ヨーロッパの新しい勢力均衡の保持を目ざすビスマルク外交と結び付いてこの同盟が成立した。ここで、ロシアからの攻撃に際しての相互軍事援助、その他の国(フランス)からの攻撃に際しての好意的中立が約された。秘密同盟であったが、ロシアと再保障条約を結んだビスマルクはオーストリアへの配慮もあり、1888年にこれを公表した。第一次世界大戦中まで存続し、当時の国際関係や民族問題に影響を与えた。

[長場真砂子]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア の解説

ドイツ・オーストリア同盟【ドイツオーストリアどうめい】

独墺同盟。1879年に成立したドイツ・オーストリア間の対ロシア防衛同盟。いずれか1国がロシアから攻撃を受けた場合両国は共同してロシアと戦い,ロシア以外の国の攻撃を受けた場合には他の1国は少なくとも好意的中立を守ることを約した。1918年まで存続。
→関連項目アンドラーシビスマルク

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android