トーランド(英語表記)Toland, John Willard

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「トーランド」の意味・わかりやすい解説

トーランド
Toland, John Willard

[生]1912.6.29. ウィスコンシン,ラクロス
[没]2004.1.4. コネチカット,ダンベリー
アメリカ合衆国の歴史研究家。第2次世界大戦について記した歴史書数冊がベストセラーになった。第2次世界大戦中に陸軍航空隊に勤務したのち,フリーランスジャーナリストとなる。最初のノンフィクションは,飛行船をテーマにした "Ships in the Sky"(1957)だった。日本の視点から書いた『大日本帝国の興亡』The Rising Sun: The Decline and Fall of the Japanese Empire, 1936-1945(1970)はピュリッツァー賞(一般ノンフィクション部門)を受賞。『アドルフ・ヒトラー』Adolf Hitler(1976)は,ヒトラーの伝記としてはきわめて包括的なものといわれている。『真珠湾攻撃』Infamy: Pearl Harbor and Its Aftermath(1982)では,フランクリン・D.ルーズベルト大統領は事前に真珠湾攻撃計画を知っていたが,アメリカ参戦の口実にするためにこれを阻止しなかったと主張。1997年には回顧録 "Captured by History"を発表している。

トーランド
Toland, John

[生]1670.11.30. レッドキャッスル
[没]1722.3.11. ロンドン
アイルランド思想家。 16歳のときカトリックから国教会に改宗。イギリスドイツで学んだ。理神論の立場に立ち,またロックからの影響を受け,キリスト教が神秘的なものではないことを説いた。しかし晩年は汎神論的色彩を強めた。自由思想家と呼ばれ,この言葉およびパンシースト (汎神論者) という呼び方は彼に由来するといわれる。主著『神秘的でないキリスト教』 Christianity Not Mysterious (1696) ,『ミルトン伝』 Life of Milton (98) ,『パンシースティコン』 Pantheisticon (1720) 。

トーランド
Toland, Gregg

[生]1904.5.29. イリノイチャールストン
[没]1948.9.28. カリフォルニア,ハリウッド
アメリカ合衆国の映画カメラマン,撮影監督。オーソン・ウェルズ監督の『市民ケーン』(1941)ではパンフォーカスの手法を完成させ,『嵐が丘』(1939,アカデミー黒白撮影賞),『怒りの葡萄』(1940)など優れた撮影技術で有名。

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改訂新版 世界大百科事典 「トーランド」の意味・わかりやすい解説

トーランド
John Toland
生没年:1670-1722

イギリスの理神論哲学者,政治パンフレット作者,ミルトンの著作の編集者。スコットランドオランダで学んだ後にイングランドに戻り,1696年に《キリスト教は神秘的でない》を公刊した。これはロックの《キリスト教の合理性》(1695)の中のキリスト教の合理的性格の論証を援用して,キリスト教の中には理性を超えた神秘的要素は何ひとつ存在しないと強調して,理神論者と国教徒の間のいわゆる〈理神論論争〉の勃発の機会を作った。彼のキリスト教の秘跡の否認の論証は,その後ヒュームがその宗教的著作の中で完成させた厳密な合理主義的宗教批判の先取りと言ってよい。しかし彼の場合には,その論証の不徹底や散漫な文体が国教会や議会による攻撃迫害から彼を守る力とならず,加えて再三にわたる庇護(ひご)者との紛争や自説の撤回などのために,哲学的思弁家,政論家,文筆家のどの面でも世間的な成功を得るに至らず,窮乏のうちに死んだ。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「トーランド」の意味・わかりやすい解説

トーランド
とーらんど
John Toland
(1670―1722)

イギリスの思想家、初期理神論者の一人。アイルランドに生まれ、多くの論争的著作のために迫害され、諸国を放浪したのち極貧のうちに死んだ。処女作『キリスト教は神秘的ならず』(1696)は、18世紀理神論論争のきっかけをつくった。ロックの思想を徹底し、信仰や啓示が理性に反してはならず、かつキリスト教の教義は理性に反しないと主張した。また聖書の考証を通じて教会の伝統的な儀式や秘蹟(ひせき)を激しく攻撃した。「汎神(はんしん)論者」(パンシースト)の用語は彼に由来し、「自由思想家」の名称も彼に始まるという。

[小池英光 2015年7月21日]

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百科事典マイペディア 「トーランド」の意味・わかりやすい解説

トーランド

英国の哲学者。ロックの議論を援用して,キリスト教には理性を超える神秘的要素はないとする《キリスト教は神秘的ではない》(1696年)を発表,いわゆる〈理神論論争〉に緒をつけた。ミルトンの著作の編者としても知られる。

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367日誕生日大事典 「トーランド」の解説

トーランド

生年月日:1904年5月29日
アメリカの映画カメラマン,撮影監督
1948年没

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世界大百科事典(旧版)内のトーランドの言及

【啓蒙思想】より

…この立場の裏づけをなすものが,教義といえどもその真理性の根拠は理性にもとづく,ないし理性を超えたものであってもすくなくとも理性に反しそれに矛盾したものであってはならぬとする理神論の考えにほかならない。理神論は,ロックからティンダル,トーランド,コリンズにかけて洗練され,また,フランスのボルテール,ドイツのレッシングらもこの立場による。レッシングらの場合,非キリスト教的宗教への一定の寛容がみられるのは注目に値しよう。…

【汎神論】より

…また,以上のような哲学説とは別に,自然を生きた統一として表象し崇敬する文学的態度も汎神論といわれる。 〈汎神論〉という語は1705年にJ.トーランドによってつくられたが,汎神論的思想はきわめて古くからインド,中国などにも存在している。朱子学はすぐれて汎神論的な体系であると言われる。…

【理神論】より

…したがってそれはヨーロッパ思想の中で,17世紀後半のイギリス名誉革命に始まる市民社会の発展と自然科学の興起に伴い,合理的な思弁の浸透によって従来の伝統的な国教会の教義を否認し,三位一体や啓示・奇跡を否定して聖書の象徴的・比喩的解釈を採用する異端としての神学を指す。 宗教を理性と調停するこの合理主義神学の信条は,最初17世紀の哲学者チャーベリーのハーバートHerbert of Cherbury(1583‐1648)によって定式化されシャフツベリー(三代伯)により狂信の排撃と批判の論拠として用いられたが,この主題が世間の注目を集めるに至ったのは,1696年にトーランドの《キリスト教は神秘的でない》の公刊に際して国教会の護教論者がこれに攻撃を加えたのを機に,いわゆる理神論論争が勃発したためである。この論争に登場した代表的な理神論者としては,《天地創造と同じく古いキリスト教》(1730)のティンダルMatthew Tindal(1653か57‐1733)や《自由思想について》(1713)のコリンズJohn Anthony Collins(1676‐1729),当時の大物政治家で文筆家たるボーリングブルックなどが知られる。…

※「トーランド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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