トロンプ(英語表記)Maarten Harpertszoon Tromp

改訂新版 世界大百科事典 「トロンプ」の意味・わかりやすい解説

トロンプ
Maarten Harpertszoon Tromp
生没年:1598-1653

オランダ提督。幼少の頃から軍艦に乗りこみ,やがて提督ヘインに素質を認められ,1637年にホラント州海軍の司令官となる。オランダ独立戦争中はスペイン艦隊と戦ってその名声を高めた。52年5月に勃発した第1次英蘭戦争緒戦ブレーク提督の率いるイギリス艦隊にドーバー沖で敗れたが,同年12月の海戦で今度はブレークの艦隊を撃破しオランダに制海権を取り戻した。その後もブレークと数度にわたって海戦を繰り広げたが,53年10月のテル・ヘイデTer Heydeの海戦で戦死した。オランダではその後の英蘭戦争で活躍したロイテル提督と並んで歴史上名提督の一人とされている。英蘭戦争勃発の前夜に《戦争論》を著しているが,これは当時の海軍戦略のモデルになるほど優れたものであったといわれている。数ヵ国語を話し,能弁で文筆にも秀でていた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「トロンプ」の意味・わかりやすい解説

トロンプ
Tromp, Maarten Harpertszoon

[生]1598.4.23. ブリール
[没]1653.8.9. スヘーフェニンゲン沖
オランダの軍人,提督。 1609年航海中,ギニア沿岸で海賊に捕えられ,2年後に脱出。 22年オランダ海軍に入り,24年艦長。 37年海軍中将。 39年グラベリーヌ沖で海賊の大艦隊を破り,イギリスのダウンズ近くでスペイン艦隊を撃破した。 52年艦隊を率いて R.ブレーク提督のイギリス艦隊と衝突,第1次イギリス=オランダ戦争のきっかけをつくった。同年ブレーク艦隊を1度破ったが,翌年2月と6月にブレーク艦隊の攻撃を受けて大敗し,8月に出撃して船上で小銃弾を受け死亡。

トロンプ
Tromp, Cornelis Maartenszoon

[生]1629.9.9. ロッテルダム
[没]1691.5.29. アムステルダム
オランダの軍人,提督。 M.トロンプの次男。 20歳でベルベル人海賊討伐の小艦隊司令官となり,1653年レグホンの海戦に参加後,海軍少将となった。 65年サウスウォルド湾海戦でイギリス艦隊に敗れた。 66年 M.デ・ロイテル提督の部将となったが,ベルゲン海戦で命令に従わなかったという理由で追われた。 73年に復帰し,同年の一連の海戦でイギリスとフランスの連合艦隊を破って戦功を立てた。

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世界大百科事典(旧版)内のトロンプの言及

【ビザンティン美術】より

…この方形プランと円蓋の結合部分をいかにするかということが,ビザンティン建築家の課題の一つであったが,それには二つの解決方法があった。第1は方形プランの4隅に斜めに小アーチ(いわゆるトロンプ)を築き,それによって方形プランを八角形に変じてドームをのせやすくする方法である。第2は方形の4隅に逆三角形状のペンデンティブを築いて方形プランと円蓋とを連結するものであった。…

【英蘭戦争】より

…また市民革命により王位を追われたスチュアート家と,オランダの総督職にある名門オランイェ(オレンジ)家が,姻戚関係にあったことも両国間の政治的緊張の原因となっていた。第1次英蘭戦争(1652年5月~54年4月)は,トロンプ提督指揮下のオランダ艦隊とブレーク提督の率いるイギリス艦隊がドーバー沖で衝突したのが戦端となり,大きな海戦だけでも8回に及んだ。しかし決定的な勝敗のないまま,ウェストミンスター条約でイギリスの要求にほぼ沿う形で講和が成立した。…

※「トロンプ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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