日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
トレド(Alejandro Toledo Manrique)
とれど
Alejandro Toledo Manrique
(1946― )
ペルーの政治家。同国北部アンカシュ県出身で、先住民(インディオ)の血を引く。農家の生まれ。8歳から靴みがきをして家計を助け、奨学金を得てアメリカに留学。1976年、スタンフォード大学で経済学博士号を取得した。以後、米州開発銀行顧問、世界銀行ラテンアメリカ地域人的資源問題担当エコノミストなどを歴任。1994年(平成6)、早稲田大学に客員研究員として半年間留学した。
1995年、ペルー大統領選に初挑戦したが現職のフジモリ大統領に惨敗。1999年、野党「ペルー・ポシブレ(可能なペルー)」を創設し、党首に就任した。2000年4月の大統領選にふたたび挑み、フジモリ大統領との決選投票に進んだが、投開票での不正を予期してボイコットした。2001年4月、フジモリ大統領罷免(ひめん)に伴う大統領選に出馬し、6月の決選投票で当選を果たした。しかし、公約の貧困・雇用対策が果たせず、支持率は一桁(ひとけた)台に低落。2006年7月退任。なお、エリアン夫人はフランス生まれのベルギー人で、1996年12月に発生したペルーの日本大使公邸占拠・人質事件(ペルー事件)で人質となった経験がある。
[金子 亨]