トルコ共和国(読み)トルコきょうわこく(英語表記)Türkiye Cumhuriyeti

世界大百科事典 第2版 「トルコ共和国」の意味・わかりやすい解説

トルコきょうわこく【トルコ共和国 Türkiye Cumhuriyeti】

正式名称=トルコ共和国Türkiye Cumhuriyeti面積=77万9452km2人口(1996)=6265万人首都=アンカラAnkara(日本との時差=-7時間)主要言語=トルコ語,クルド語通貨=トルコ・リラTurkish Liraアジア大陸の西端に位置し,アナトリア(小アジア)とヨーロッパ大陸のマルマラ海沿岸地方の一部とにまたがる共和国。なお,共和国成立以前の歴史については〈トルコ族〉〈セルジューク朝〉〈オスマン帝国〉などの項を参照されたい。

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旺文社世界史事典 三訂版 「トルコ共和国」の解説

トルコ共和国
トルコきょうわこく
Türkiye Gumhuriyeti

小アジアからバルカン半島東端にまたがる共和国。首都アンカラ
1922〜23年のトルコ革命によってオスマン帝国を倒して成立。ローザンヌ条約によって治外法権その他の外国の干渉を排除し,ムスタファ=ケマル(ケマル=パシャ)を初代大統領に選出した。1924年に憲法を公布し,カリフ制を廃止するなど政教分離(イスラームの非国教化)を実現し,ケマルの独裁的指導の下に法典の西欧化,トルコ語のローマ字化など近代化につとめた。1938年ケマルの死後も,第二次世界大戦には中立を守り国力の増進を進めた。1945年に共和人民党の一党独裁は解消されたが,50年以来,メンデレス首相の民主党独裁が10年続いたため,陸軍による革命が起こり,61年第二共和国憲法をつくって二院制となった。しかしその後もクーデタが続発して政情不安を続け,やっと1965年の選挙で安定政権が成立。外交的にはメンデレス時代に西欧陣営と結んで北大西洋条約機構(NATO)・中央条約機構(CENTO)に参加したが,1964年キプロス紛争の激化に伴って西欧とも一時対立した。1970年代から80年代前半にかけて軍事政権がしばしば生まれたが,83年大統領権限の拡大と一院制を特色とする新憲法が発布され,オザルの率いる祖国党政権が成立した。その後イスラーム勢力が国内で伸張しているが,ヨーロッパ連合(EU)加盟問題を含め,ヨーロッパとの関係が重視されている。

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デジタル大辞泉 「トルコ共和国」の意味・読み・例文・類語

トルコ(〈ポルトガル〉Turco)

小アジアバルカン半島の東端にまたがる国。正称、トルコ共和国。首都アンカラ。14世紀以降オスマン帝国として栄え、ヨーロッパ東部・アジア西部・アフリカ北部にまたがる大帝国となったが、17世紀末から衰退し、第一次大戦の敗戦で多くの領土を失った。1923年、ケマル=アタチュルクらによる革命を経て共和国となり、首都をイスタンブールから移して近代化を推進。面積78万平方キロメートル。人口7780万(2010)。トゥルク
[補説]「土耳古」とも書く。

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