トマス(英語表記)Thomas, E. Donnall

精選版 日本国語大辞典 「トマス」の意味・読み・例文・類語

トマス

[一] (Thomas) 新約聖書の十二使徒の一人。イエスに対する態度は忠誠と懐疑が錯綜(さくそう)するが、イエスの復活を目撃して信仰を告白した。インドに行って伝道したともされる。
[二] (Sidney Gilchrist Thomas シドニー=ギルクリスト━) イギリスの製鋼技術家。鉄から燐を分離する方法を発明した。(一八五〇‐八五
[三] (Dylan Thomas ディラン━) イギリスの詩人。鮮烈なイメージの詩を書き、一九三〇年代を代表する一人。その奔放な生活は、多くの伝説を生んだ。詩集「愛の地図」「死と入口」など。(一九一四‐五三

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デジタル大辞泉 「トマス」の意味・読み・例文・類語

トマス(Thomas)

キリスト十二使徒の一人。イエスの復活を見て信仰を告白、伝道のためにインドへ渡ったとされる。トーマ。

トマス(Dylan Marlais Thomas)

[1914~1953]英国の詩人・放送作家。性と死、生と自然などの問題を追求。詩集「死と入口」、自伝的短編集「子犬のような芸術家の肖像」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「トマス」の意味・わかりやすい解説

トマス
Thomas, E. Donnall

[生]1920.3.15. テキサス,マート
[没]2012.10.20. ワシントン,シアトル
アメリカ合衆国の医学者。フルネーム Edward Donnall Thomas。テキサス大学で 1941年学士号,1943年修士号を取得。1946年ハーバード大学医学部で博士号を取得。1946~52年ピーター・ベント・ブリガム病院(のちのブリガム・アンド・ウイメンズ・ホスピタル)に勤務,1955~63年コロンビア大学医学部教授を務め,1963年シアトルのワシントン大学に移った。1990年に同大学名誉教授。1975年ワシントン大学フレッド・ハッチンソン癌研究センターに転じ,白血病再生不良性貧血,そのほかの血液疾患を研究する世界初の骨髄移植センター設立に尽力し,研究チームを主導した。1950年代からイヌを使った骨髄移植の研究に取り組み,人間の白血病患者への適用を試みた。1956年一卵性双生児の兄弟間の骨髄移植手術で拒絶反応の克服に成功,その後免疫抑制剤メトトレキサートの有効性を発見し,1968年一卵性双生児以外の係累からの骨髄移植に成功した。トマスの研究の成果もあり,1990年までに,急性リンパ性白血病(→リンパ性白血病)の患者の生存率は上がった。さらに移植片対宿主反応 GVHDを軽減する方法を開発し,白血病のほか遺伝性重症貧血,各種癌などの治療に道を開いた。これらの功績により,1990年共同研究者のジョゼフ・E.マレーとともにノーベル生理学・医学賞を受賞した。

トマス
Thomas, Dylan

[生]1914.10.27. イギリス,スウォンジ
[没]1953.11.9. アメリカ合衆国,ニューヨーク
イギリスの詩人。フルネーム Dylan Marlais Thomas。ウェールズの生まれ。20世紀前半の最も重要な詩人の一人。早くから詩を書き始め,20歳で最初の詩集『十八篇の詩』18 Poems(1934)を出版,続く『二十五篇の詩』25 Poems(1936)とともに,重層的なイメージによって死と性をうたい,1930年代のウィスタン・ヒュー・オーデンらによる政治的な詩が行きづまりをみせていた詩壇に新風を吹き込んだ。その頃からロンドンに住み,BBCのために脚本を書いたりしたが,経済観念の欠如から常に貧困に悩まされ,アルコール中毒に陥る。『愛の地図』The Map of Love(1939),『死と入口』Deaths and Entrances(1946)では詩風を一変し,自然に触発された宗教的ともいえる感情をうたい上げた。ほかに『田舎の眠りのなかで』In Country Sleep(1952)がある。1949年ようやくウェールズに落ち着くが,自作朗読のために企てた数回目のアメリカ旅行の途上,アルコール中毒が高じて 39歳で早世した。ラジオドラマ『ミルクウッドのもとに』Under Milk Wood(1954),自伝的な短編集『子犬時代の芸術家の肖像』Portrait of the Artist as a Young Dog(1940)など。

トマス
Thomas, R.S.

[生]1913.3.29. カーディフ
[没]2000.9.25. ランフェアリーゴーンウィ
イギリス,ウェールズの牧師,詩人。フルネーム Ronald Stuart Thomas。故郷とその住民や信仰をテーマにした。作風は簡潔で感傷のかけらもないが,ときに抒情的でウィットに富む。北ウェールズ大学で古典を専攻したあとセント・マイケル大学で神学を学び,1936年にウェールズ教会の牧師となった。30代でウェールズ語を学んだため詩作は英語で,ウェールズ語の作品は自伝的エッセーにかぎられた。初期の作品 "Stones of the Field"(1946),"Song at the Year's Turning: Poems 1942-1954"(1955)など農村生活を詠んだ詩がほとんどだったが,晩年は宗教的,哲学的関心を深めた。1996年にウェールズ・アカデミーからノーベル文学賞候補に推挙された。ほかに "Poetry for Supper"(1958),"Later Poems 1972-1982"(1983)など。1964年クイーンズ・ゴールド・メダルを授与された。(→イギリス文学

トマス
Thomas, William Isaac

[生]1863.8.13. バージニア,ラッセル
[没]1947.12.5. カリフォルニア,バークリー
アメリカの社会学者。 1884年テネシー大学を卒業後ドイツに留学,帰国後 96年シカゴ大学で心理学の学位を取得。 1910~18年シカゴ大学社会学教授,のち他大学にも出講し,多くの社会学者を養成して社会学を実証的科学として確立するために貢献した。 27年アメリカ社会学会会長。心理学的アプローチが彼の社会学を特色づけており,「四つの願望理論」のほかポーランド移民に関する F.W.ズナニエツキとの共同研究などが有名である。また,手紙,日記などの個人的文献資料を用いたパーソナリティの変容を分析する事例調査法上の方法を提示した。主著『ヨーロッパとアメリカにおけるポーランド農民』 The Polish Peasant in Europe and America (5巻,1918~20,ズナニエツキと共著) ,『不適応少女』 The Unadjusted Girl (23) ,『アメリカの子供』 The Child in America (28,D.S.トマスと共著) 。

トマス
Thomas, Sidney Gilchrist

[生]1850.4.16. イギリス,ロンドン
[没]1885.2.1. フランス,パリ
イギリスの冶金学者,発明家。1875年,鉄鉱石に含まれるリンをベッセマー転炉(→ベッセマー法)で除去する方法を発見した。今日この方法は,ギルクリスト=トマス法,トマス法,塩基性製鋼法などと呼ばれる。ロンドン大学医学部への入学直前に父親が死亡したため,入学を断念。古典教師を短期間務めたあと,警察裁判所の書記として働きながら,王立鉱山学校で応用化学と冶金学を勉強した。1875年には,ベッセマー転炉の内壁に強塩基性物質(焼いた石灰岩など)を使用することにより,不純物のリンが塩基性物質と化合してスラグ(鋼滓)に溶け込み除去されることをつきとめた。従弟のパーシー・ギルクリストの協力を得て実験を重ねた結果,商品化に成功。1877年に特許を申請した。1879年以降は警察裁判所を辞めて研究に専念したが,環境のよくない裁判所に長年勤務したために健康をそこない,早世した。

トマス
Thomas, Isiah

[生]1749.1.19. ボストン
[没]1831.4.4. マサチューセッツ,ウースター
18世紀後半より 19世紀にいたるアメリカ第一流の印刷・出版業者。 1770年 D.ファウルと組んで『マサチューセッツ・スパイ』紙を発刊。独立戦争終了まで一貫して愛国派の立場を公式に代弁した。戦後各地に支店を広げて著書,定期刊行物 400点を出版した。幼児向け出版物も『マザー・グースの歌』 Mother Goose's Melody (1786) など多数を刊行。著書『アメリカ印刷史』 The History of Printing in America (2巻,1810) は今日でも権威ある植民地期アメリカにおける印刷,出版の概観である。

トマス
Thomas, Norman (Mattoon)

[生]1884.11.20. オハイオ,マリオン
[没]1968.12.19. ニューヨーク,ハンティントン
アメリカの政治家,社会改革家。 1911年ユニオン神学校を卒業。長老派の牧師としてニューヨークで活躍した。第1次世界大戦のアメリカ参戦に反対し,17年社会党に入党。週刊誌『ネーション』の編集に協力し,アメリカ自由主義連盟の指導者の一人となった。 28年より6回大統領選挙戦に社会党より立候補し,その間 30年代の不況や第2次世界大戦などの非常時には社会党指導者として活躍。戦後はベトナム戦争中止などの国際的平和運動に尽力した。主著『自由の試練』 The Test of Freedom (1954) 。

トマス
Thomas, (Philip) Edward

[生]1878.3.3. ロンドン
[没]1917.4.9. フランス
イギリスの詩人。ジョージ朝詩人の一人であるが,繊細な感覚と生に対する哀感に満ちた精緻な筆致は彼をすぐれた現代詩人としている。地誌的な『森の生活』 The Woodland Life (1897) ,またスウィンバーン,ペーター,メーテルランクらの伝記を書いたが,フロストのすすめで 30歳を過ぎてから詩を書きはじめ,『詩集』 Collected Poems (1920,28,49) を残して第1次世界大戦で戦死した。ほかにエッセー集『安息と不安』 Rest and Unrest (10) がある。

トマス
Thomas, George Henry

[生]1816.7.31. バージニア,サザンプトン
[没]1870.3.28. サンフランシスコ
アメリカの軍人。南北戦争のときの北軍の将軍。陸軍士官学校卒業後,アメリカ=メキシコ戦争に参加。バージニア出身であったが,南北戦争のときには連邦側にとどまり,1863年チカモーガの戦いで奮戦,「チカモーガの岩」として知られる。次いでカンバーランド軍団を率いてチャタヌーガ攻略に戦功を立てた。 W.シャーマンの「ジョージア進軍」に際して,これを妨害しようとする J.フッド将軍の南軍を撃破し,連邦議会から感謝決議を受けた。

トマス
Thomas, James Henry

[生]1874.10.3. モンマスシャー,ニューポート
[没]1949.1.21. ロンドン
イギリスの政治家。 15歳で鉄道従業員,1904年に合同鉄道従業員組合長となり,鉄道員組合の結束に尽力,17年全国鉄道員組合の書記長となった。 10~36年労働党下院議員。 20年労働組合会議議長。 20~24年国際労働組合連合議長をつとめ,24年植民相,29年国璽尚書兼雇用相,30年自治領相を歴任。 J.マクドナルドの挙国連立内閣に労働党を離れて留任。 35年には再び植民相となったが,36年に政界から引退した。主著『自伝』 My Story (1937) がある。

トマス
Thomas

キリストの十二使徒 (弟子) の一人。「デドモ (didymosギリシア語で双生児の意) のトマ」とも呼ばれる。イエスの復活を信じようとしなかったが,その傷口に指を入れて初めて信じ,イエスを神と告白したとされる (ヨハネ福音書 20・24~25) 。伝説によればインドへ宣教し,そこに教会を建てたともいわれる。現在もこの伝説を奉じるネストリウス派系の教会が南インドに残存している。またその名を冠した新約外典に『トマス福音書』がある。

トマス
Thomas, Augustus

[生]1857.1.8. セントルイス
[没]1934.8.16. ニューヨーク,ナイヤック近郊
アメリカの劇作家,俳優。およそ 60編の通俗劇を書いた。代表作は『アラバマ』 Alabama (1891) ,催眠術などを扱った『うしみつ時』 The Witching Hour (1907) 。

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改訂新版 世界大百科事典 「トマス」の意味・わかりやすい解説

トマス
Dylan Thomas
生没年:1914-53

イギリスの詩人。ウェールズの出身で,作品は故郷の風土や民俗に深く根ざしている。《18の詩編》(1934),《25の詩編》(1936)で詩壇に登場,《愛の地図》(1939),《死と入口》(1946)を含む全集(1953)によって,現代詩のなかに不動の位置を築いた。T.S.エリオットの古典主義,W.H.オーデンの政治的意識に対して,ロマン主義的な内面性や自然体験を豊饒な文体で歌いあげた詩風は,W.B.イェーツ以後もっとも個性的なものと評価されている。詩〈緑の信管を通して花を駆り立てる力が〉(1933)に代表される初期の作品は,思春期における自然,性,死の体験や夢想を独自なイメージによって歌い,フロイト的解釈を誘うけれど,むしろウェールズ古来の吟唱詩人や17世紀イギリスの神秘主義詩人の伝統に連なるものであろう。〈冬物語〉〈嘆くのを拒んで〉〈羊歯(しだ)の丘〉〈十月の詩〉など,1940年代中ごろに書かれた後期の傑作詩は,より抑制された文体を駆使し,第2次大戦による文明と詩の危機を意識しつつ,これをのりこえる想像力の活力を展開している。肺結核やうつ病に悩まされ,アルコール依存症に侵された彼の短い生涯は,現代における吟唱詩人として,多くの伝説にとりまかれている。
執筆者:

トマス
Sidney Gilchrist Thomas
生没年:1850-85

イギリスの製鋼技術者。ロンドンの生れ。医者をめざしていたが,父が早死にしたため17歳から裁判所に勤務。かたわら夜は王立鉱山学校に通い冶金学を学び,自宅に実験室をつくり冶金の研究を続ける。とくにベッセマー法で問題になっていた脱リンに関する研究を中心においていたが,1877年,実験用の転炉の内張りを生石灰と水ガラスでつくったところ,非常に脱リン効果の高いことを発見した。ここから,転炉の内張りにドロマイトのような塩基性の材料を使うと脱リンができることを思いつき,従弟ギルクリストP.C.Gilchrist(1851-1935)の協力を得て製鉄所の転炉でも実験に成功し,78年に特許を取得した。この方法をトーマス転炉法(転炉)という。

 この成果をイギリス鉄鋼協会で発表したが無視され,やがて含リン鉱石の多いドイツなどで認められ,この方法は急速に普及していった。
執筆者:

トマス
Thomas

1世紀半ばの,イエスの12弟子の1人として数えられ(《マルコによる福音書》3:18など),デドモ(〈双子〉の意)と呼ばれた(《ヨハネによる福音書》20:24)ユダヤ人。そこからイエスと双子の兄弟であったとの解釈が生じ,グノーシス的な《トマス福音書》や《トマス行伝》においてはきわめて重要視されるに至った。その際には《ヨハネによる福音書》20章27節が,トマスが復活したイエスに触れることのできた唯一の使徒であったことの証左として用いられた。教会史家エウセビオスの《教会史》によると,ユダの別名を持ち,イランへの,さらにインドへの伝道をなしたとされる。そして事実インドの最古の教会では〈インドの使徒〉として崇拝された(図)。
執筆者:

トマス
Philip Edward Thomas
生没年:1878-1917

イギリスの詩人,エッセイスト。10歳代からジャーナリストとして活躍,《森の生活》(1897)ほかの地誌,《スウィンバーン》(1912)ほかの伝記など多数を発表したが,すぐれた随筆として残るのは《休息と不安》(1910)くらいであろう。1912年アメリカの詩人ロバート・フロストと知り合って詩作を始め,〈ジョージ朝詩人〉らしく人生と自然についての沈着な瞑想詩を書いたが,第1次大戦で戦死。死後《詩集》(1920)が出版された。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「トマス」の意味・わかりやすい解説

トマス

英国の詩人。ウェールズ出身。1940年代を代表する幻視的詩人。T.S.エリオットとW.H.オーデン以後,最大の詩才といわれるが,アルコール中毒で終えた生涯は伝説に包まれている。作品に,《愛の地図》(1939年)その他を収めた《全詩集》(1953年),放送劇《ミルクウッドの木の下で》(1954年),小説《若き犬としての芸術家の肖像》(1940年)など。
→関連項目ベイリー

トマス

英国の冶金技術者。リンを含む銑鉄の精錬ができないベッセマー転炉の欠点の改良を志し,P.C.ギルクリスト〔1851-1935〕と共同で,内張りに塩基性耐火物を用いるトーマス転炉(転炉)を発明,1878年特許を得た。

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367日誕生日大事典 「トマス」の解説

トマス

生年月日:1874年10月3日
イギリスの政治家
1949年没

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世界大百科事典(旧版)内のトマスの言及

【トマス行伝】より

…シリア語本文と並んでギリシア語訳が現存する。使徒トマスの〈インド伝道〉を読物風に叙述する。初期シリア教会の禁欲主義的特徴やグノーシス主義的な観念を含み,後にマニ教徒の間でとくに尊重されたが,正統主義教会の信徒の間でも大衆文学の一種として好んで読まれた。…

【トマス福音書】より

…新約外典の一つ。イエスの双子の兄弟トマスが書き記したとされるイエスの隠された語録集で,114の語録を含んでいる。その存在は3,4世紀の教父たち(ヒッポリュトス,オリゲネス,エウセビオスなど)によって証言されていたが,1945年にエジプトのナグ・ハマディで発見されたコプト語のグノーシス文書(ナグ・ハマディ文書)の中に,同名の福音書が見つかってはじめてその内容が明らかにされた。…

【鉄】より

…要するに溶鋼法はリンに無力であった。多くの冶金の専門家たちが脱リンできる転炉法に取り組んだが,解決したのは,いとこのギルクリストの協力を得た29歳の無名の独学の化学愛好者S.G.トマスであった。脱リンできないのは,それまでの転炉がケイ石煉瓦,すなわち酸性耐火物で内張りされていたからであった。…

【鋼】より

…このベッセマーの方法では,材料の性質を一般に悪くする鉄中のリンを取り除くことは困難であった。S.G.トマスは塩基性の耐火煉瓦を用いることによってこの問題を解決したが,転炉法では溶けた銑鉄を用いなければならないのに対し,平炉法では屑鉄を大量に使用できることなどから,1949年に純酸素上吹転炉の工業化が成功するまで,平炉法が製鋼における主流であった。現在では純酸素転炉法が製鋼法の中心であり,とくに日本においては平炉はほとんど用いられなくなっている。…

※「トマス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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