トスカニーニ
とすかにーに
Arturo Toscanini
(1867―1957)
イタリアの指揮者。3月25日パルマに生まれる。パルマとミラノの音楽院で主としてチェロを学ぶ。1886年リオ・デ・ジャネイロでオペラ『アイーダ』の指揮に急に起用されながらも成功を収め、指揮に転じ、同年トリノでカタラーニのオペラ『エドメア』でイタリア・デビューした。以来イタリア各地でオペラ指揮者として活動、92年レオンカバッロの『道化師』、96年プッチーニの『ボエーム』を初演、名声を高めた。1898~1908年ミラノ・スカラ座音楽監督。08~15年ニューヨークのメトロポリタン歌劇場指揮者を務め、同歌劇場の黄金時代を築く。その間の10年にはプッチーニの『西部の娘』を初演している。13年コンサートに進出し、成功を博す。21~29年スカラ座に復帰、26年プッチーニの遺作『トゥーランドット』を初演した。29~36年ニューヨーク・フィルハーモニー常任指揮者。37年トスカニーニのためにニューヨークにNBC交響楽団が組織されて常任指揮者となり、54年の引退まで同交響楽団を率いてアメリカ楽壇のみならず、世界の楽壇に君臨した。57年1月16日ニューヨークに没。
トスカニーニは作曲者の指示を厳格に守り、作品の構造を明確に浮かび上がらせつつ、あらゆるフレーズを歌わせ、あらゆるリズムを生命力たくましく再現する演奏スタイルを築き上げ、20世紀の指揮界に新風を送り込んだ。フルトベングラーとともに20世紀前半を代表する名指揮者。
[岩井宏之]
『H・タウブマン著、渡辺曉雄訳『トスカニーニ――生涯と芸術』(1966・東京創元社)』
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「トスカニーニ」の意味・わかりやすい解説
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トスカニーニ
Toscanini, Arturo
[生]1867.3.25. パルマ
[没]1957.1.16. ニューヨーク
イタリアの指揮者。パルマ音楽院でチェロと作曲を学ぶ。リオデジャネイロ歌劇場のチェロ奏者をつとめていたが,1886年に代指揮の機会を得,『アイーダ』の指揮で好評を博した。その後イタリア各地の歌劇場で指揮し,98年ミラノ・スカラ座の指揮者として迎えられた。 1928年以降はアメリカに本拠をおき,ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団,NBC交響楽団などの常任指揮者として活躍し,ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団などヨーロッパの楽団に客演指揮した。 54年に引退。
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トスカニーニ
(Arturo Toscanini アルトゥーロ━) イタリアの指揮者。チェロ奏者から指揮者に転じ、イタリア各地でオペラを指揮。一九二六年以後ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団、NBC交響楽団の指揮をとり、楽譜に厳正忠実で、明快な演奏様式をもって世界の第一人者となった。(一八六七‐一九五七)
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デジタル大辞泉
「トスカニーニ」の意味・読み・例文・類語
トスカニーニ(Arturo Toscanini)
[1867~1957]イタリアの指揮者。ミラノのスカラ座音楽監督、ニューヨークフィル・NBC交響楽団などの指揮者を歴任。
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トスカニーニ【Arturo Toscanini】
1867‐1957
イタリアの指揮者。1876年からパルマ音楽院でチェロと作曲を学ぶ。ミラノやトリノの歌劇場の客演指揮者として活動を開始し,レオンカバロの《パリアッチ》やプッチーニの《ラ・ボエーム》などを初演した。1898‐1903年と06‐08年にスカラ座の首席指揮者を務めた。08年ニューヨークのメトロポリタン歌劇場の首席指揮者となり,カルーゾーらとともにイタリア・オペラ全盛時代を築いた。10年代からコンサート指揮者としても華やかな活動を開始し,26年から36年まではニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団,37年からはNBC交響楽団とともに,ベルリオーズ,ドビュッシー,ベートーベンの作品を好んで取り上げた。
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