トスカナ大公国(読み)トスカナたいこうこく

改訂新版 世界大百科事典 「トスカナ大公国」の意味・わかりやすい解説

トスカナ大公国 (トスカナたいこうこく)

1569年から1860年まで,イタリア中部トスカナ地方にあった大公国。その歴史は1569年,メディチ家コジモ1世が大公に叙された年に始まる。彼は行政・法律面で統一のとれた国家の建設に努力し,ついでフェルディナンド1世の下で税制改革が行われ,商業・農業が発展して,大公国は繁栄するが,以後国力は衰微一途をたどった。ことに商業が衰え,資本は土地に集中投下され,農業国と化した。1737年にはメディチ家が断絶,トスカナ大公国はハプスブルク家に継承される。65年,大公となったレオポルド1世(のち神聖ローマ皇帝レオポルト2世)は法の下での国民の平等と自由を旗印に各分野で改革を行ったが,彼以後再び保守化する。99年からのナポレオン統治時代を経て,王政復古後トスカナ大公となったハプスブルク家のレオポルド2世は,ナポレオン時代の進歩的制度を保持し,トスカナ大公国の再興に寄与するが,1859年,リソルジメント運動の高まりのなかで退位。60年国民投票によりサルデーニャ王国への併合が決議され,トスカナ大公国は終焉を迎えた。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のトスカナ大公国の言及

【トスカナ[州]】より

…1530年,フィレンツェは神聖ローマ皇帝カール5世の軍勢によって征服され,共和政(都市国家)の歴史は終わった。
[トスカナ大公国]
 カール5世とメディチ家出身の教皇クレメンス7世の協定によって,メディチ家が復帰し,1532年にフィレンツェ公,69年にトスカナ大公の位を得た。大公コジモ1世はそれに先立ってシエナと戦い,これを征服した(1557)。…

【メディチ家】より

…商才にも恵まれ,メディチ銀行の経営と公国の財政を立て直し,他方バザーリチェリーニなどおおぜいの芸術家を保護した。69年,公国はトスカナ大公国に昇格するが,後継者フランチェスコ1世Francesco I de’ M.は化学・物理にしか興味がなく,その治世下で財政は乱れ,国力は著しく低下する。次代のフェルディナンド1世Ferdinando I de’ M.は進歩的政策をとり,税制改革,農業商業の振興に努め,大公国は自由と活気を取り戻し,その存在はヨーロッパ列強の一つと認められた。…

※「トスカナ大公国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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