トゥチャ(土家)族(読み)トゥチャぞく

改訂新版 世界大百科事典 「トゥチャ(土家)族」の意味・わかりやすい解説

トゥチャ(土家)族 (トゥチャぞく)
Tǔ jiā zú

中国の少数民族の一つ。人口約802万8000(2000)。自称ピツカ(地元の人の意)。分布地域は湖南省西部の湘西トゥチャ族ミヤオ(苗)族自治州と湖北省西部の恩施地区一帯を中心とし,四川省東部,貴州省東部にもわずかに住む。居住地は標高400mから1500mの丘陵地帯で,気候は温和で年間平均気温15℃,年間降雨量は1300mmに達し,農業に適し主要農作物として稲,いも,トウモロコシ,麦などを栽培する。言語はシナ・チベット語系チベット・ビルマ語族に属す。大部分漢語に通じ,一部はミヤオ語にも通じる。ただ永順,竜山,古丈らの地区では約2万~3万人がトゥチャ語のみを話す。文字をもたず漢文を使用する。

 トゥチャ族の族源については諸説ある。ある説は古代巴人の後裔とする。この説の根拠は今のトゥチャ族の自称〈ピツカ〉の音が古代巴人の居住地域の地名姓名,族名などの音と似ていること,巴人とトゥチャ族がともに虎の故事と神話に関係があり,さらに巴人とトゥチャ族の姓の一部が同じであることなどである。またある説は唐の中ごろ以後貴州省に入ってきた烏蛮(うばん)の侵略をうけた白ロロの一部が湘西(湖南省西部)に移ってきたものであるとする。またある説は唐末から五代初年(910年前後)に彭のひきいる一派が江西省より湘西に移り百芸工匠の後裔となったとする。このように諸説あり定説はないが,これらの諸説により,今日のトゥチャ族とは古来湘西を中心とした地域に居住していた土着民と,その後東来あるいは西来遷徙(せんし)してきたものが複合して形成された民族と考えられる。

 トゥチャ族中もっとも人口の多い姓は田,向,彭らで,そのうち田,向姓は古く唐代以前の史籍に大姓としてあらわれ,彭姓は五代のとき湖南省を中心に形成された楚王国に降ったもので,その事跡〈渓州銅柱記〉は当時の湘西地区のトゥチャ族のようすを知るための貴重な資料である。トゥチャ族の文化は古くから漢族の影響をうけ風俗習慣はほとんど漢族と同じである。婚姻はかつては同姓婚や買売婚などの習慣があったが,今では自由恋愛による結婚に変わってきた。葬儀はかつては多く火葬の習慣があったが,漢族の影響で土葬がおこなわれている。1月3日から17日,5月15日,6月6日,7月15日は祭日で,土王をまつり,多くの村では擺手堂を設けて彭公爵主,向大官人,田好漢らに供奉する。トゥチャ族の代表的な文芸は擺手舞,史詩,山歌である。擺手舞は正月行事のダンスで,狩猟,軍事,農事,宴会など70以上の動作を鮮明なリズムに合わせて優美に素朴に踊るもので,生活の息吹きが伝わってくる。史詩の内容は豊富で,美しいロマンティックな願いがこめられており,人類の起源,民族の来源,民族の遷徙などが描かれている。山歌には情歌,戦争歌,訴苦歌,労働歌などがあり,生活の苦労がにじみでている。編物や刺繡もさかんで,美しい色彩と豊富なデザインで精緻に仕上げられた〈土花鋪蓋〉とよばれるふとんカバーの編物は,擺手舞とともにトゥチャ族の芸術の華と称される。
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百科事典マイペディア 「トゥチャ(土家)族」の意味・わかりやすい解説

トゥチャ(土家)族【トゥチャぞく】

中国,貴州省・湖南省・湖北省・四川省に居住する民族。言語はチベット・ビルマ語派とされるが大部分が漢語を使用している。漢族の影響が強く,文化的特徴は顕著でない。1956年に単一の民族と認定され1964年の国勢調査で中国少数民族として公認された。最近20年ほどの間,漢族からの集団的な民族帰属の変更により急激に人口が増加し注目されている。約572万人(1990)。
→関連項目吉首

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