デルタ計画(読み)デルタけいかく(英語表記)Deltaplan

改訂新版 世界大百科事典 「デルタ計画」の意味・わかりやすい解説

デルタ計画 (デルタけいかく)
Deltaplan

オランダ南西部のデルタ地帯の洪水を防ぎ,安全を確保する計画。1953年2月1日夜の嵐で,ライン,マース(ムーズ),スヘルデ三大河のデルタ地帯は堤防決壊による大洪水に襲われ,浸水地域15万ha,死者1835名など甚大な被害を受けた。被災直後設けられたデルタ委員会はロッテルダム,アントワープ両港への通路を残してデルタ地帯の島と島のあいだを堤防で締め切ることを勧告し,1958年デルタ法が可決され,計画の実施と予算が決定された。デルタ工事Deltawerkは約20年の歳月を費やしてほぼ完成された。締切り堤防の内側では護岸堤防が不要となり,海は淡水湖に変えられた結果,夏季における農業用水,飲料水の不足は解消され,塩害が減少して農産物牧草の収穫量は増大した。さらに,締切り堤防上に設けられた高速道路と内海への架橋は,孤立して後進的であったデルタ地帯の工業を急速に発達させ,広い湖と浜辺はオランダ西部の都市地帯住民のレクリエーション地域となった。
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世界大百科事典(旧版)内のデルタ計画の言及

【オランダ】より

… 46年,社会民主労働党と自由民主同盟は解党し,国民政党をめざして労働党(PvdA)を結成し,労働党党首ドレースWillem Drees(1886‐1988)は48年から10年間にわたって共産党を除く幅広い連立政権を組んで多難な政局を指導し,高度経済成長を達成した。ドレース内閣にとって植民地独立問題と53年2月にオランダ南西部デルタ地帯を襲った大洪水とは大きな試練であったが,後者はデルタ計画としてデルタ地域締切り工事に結実した。オランダ領東インドは第2次大戦中日本軍に占領されたが,日本軍が降伏するとスカルノらはインドネシアのオランダからの独立を宣言した。…

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