デュプレクス(読み)でゅぷれくす(英語表記)Joseph François Dupleix

山川 世界史小辞典 改訂新版 「デュプレクス」の解説

デュプレクス
Joseph François Dupleix

1697~1764

フランス東インド会社ポンディシェリ知事(在任1741~54)。1720年にポンディシェリに職を得,41年,ポンディシェリ知事に就任。第1次カーナティック戦争では,イギリス軍を圧倒し,マドラスを陥れた。この戦争の後,彼はデカンと南インドのインド人支配層を味方につけ,勢力を伸ばした。第2次カーナティック戦争でも,クライヴの率いるイギリス軍に対して有利に戦いを進めたが,彼が独断で南インドに覇権を求めていることを憂慮したフランス東インド会社本社によって解任された。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デュプレクス」の意味・わかりやすい解説

デュプレクス
Dupleix, Joseph François

[生]1697.1.1. ランドルシ
[没]1763.11.10. パリ
フランスの植民地政治家。若い頃からアメリカやインドに航海し,1721年ポンディシェリーで最高顧問官に任じられ,かたわら個人的な投機取引巨富を得た。 31年シャンデルナゴル商館長,42年フランスのインド総督となった。 40年にヨーロッパオーストリア継承戦争が始ると,南インドでもイギリスとフランスの抗争が激化し,それぞれ太守 (→ナワーブ ) と結び,勢力の拡大に努めた。3回にわたるカルナータカ戦争は第2期まで彼の活躍でフランスの優位のうちに展開したが,54年召還されるとフランスの勢力は急速に弱体化した。帰国後,失意と貧窮のうちに没した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「デュプレクス」の意味・わかりやすい解説

デュプレクス
でゅぷれくす
Joseph François Dupleix
(1697―1764)

フランス東インド会社のポンディシェリ(現、プドゥチェリ)所在最高参事会員、チャンデルナゴル商館長、インド総商館長(在任1741~1754)。オーストリア継承戦争に連動して起こった第一次カルナータカ戦争では、一時マドラス(現、チェンナイ)を占領してこの地域の覇権を確立した。カルナータカ(アルカート)のナワーブおよびハイデラバードニザームの両土侯家の継承紛争を発端とする第二次戦争では、両土侯家に親フランス派を育成して勢力拡大を図ったが、イギリスのクライブは親イギリス派をつくらせて対抗し、カルナータカを占領し、本国での宣伝工作によってデュプレクスを召喚させた。インド人傭兵(ようへい)の使用と土侯家の内紛への介入による征服の方法はこのときに始まった。

[高畠 稔]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

旺文社世界史事典 三訂版 「デュプレクス」の解説

デュプレクス
Joseph François Dupleix

1697〜1763
フランスのインド行政官
オーストリア継承戦争中,マドラスを奪ってインドにおけるフランスの勢力の拡大につとめ,イギリスのクライヴと争った。のちに総督となるが,インド支配に対してフランス本国の支持を得られず,1754年本国に召還され,フランスはプラッシーの戦いに敗れ,その植民事業は挫折した。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

367日誕生日大事典 「デュプレクス」の解説

デュプレクス

生年月日:1697年1月1日
フランスの植民地政治家
1763年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

脂質異常症治療薬

血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...

脂質異常症治療薬の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android