デカブリスト
Dekabristy; Decembrists
1825年 12月,専制と農奴制の廃棄を目指して蜂起したロシアの革命家たち。ロシア語で 12月のことをデカーブリというので,のちにこう呼ばれた (十二月党員の意) 。その中心となったのは 12年の対ナポレオン戦争に参加した貴族の青年将校たちで,最初 16年に6人の士官によって「救済同盟」と呼ばれる秘密結社がつくられ,18年「福祉同盟」に改組されたあと 21年にいったん解散。おもだったメンバーは,立憲君主制的傾向の「北方結社」と共和制を目指す「南方結社」とに分れたが,24年両結社の合同が提議された。翌年 11月皇帝アレクサンドル1世の急死に際し,準備不足のまままずペテルブルグで,次いで南部でも武装蜂起を企てたが鎮圧され,P.I.ペステリら5人の首謀者は死刑,121人がシベリアへ流刑に処せられた。
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「デカブリスト」の意味・わかりやすい解説
デカブリスト
19世紀初めにロシアに生まれた反帝政グループ。1812年ナポレオン戦争(〈モスクワ遠征〉参照)に従軍したロシアの貴族将校を中心に,皇帝専制と農奴制の廃棄をめざした秘密結社が興った。1816年の救済同盟結成に始まり,1821年には南方結社と北方結社の二つが結成された。1825年12月皇帝アレクサンドル1世の急死に接し,武装蜂起(ほうき)したが鎮圧され,ペステリら5人の首謀者は死刑,他はシベリアに流刑。名称は〈十二月党党員〉の意で,ロシア語で12月をいうデカブーリから後に名づけられた。
→関連項目サンクト・ペテルブルク|チタ|ニコライ[1世]|プーシキン
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デジタル大辞泉
「デカブリスト」の意味・読み・例文・類語
デカブリスト(〈ロシア〉Dekabrist)
ツァーリズムの打倒と農奴制の廃止を目標とし、1825年の12月(デカブリ)にペテルブルグで武装蜂起した人々。主流は、ナポレオン戦争などに従軍し、ロシアの後進性を痛感した貴族の士官たち。反乱はたちまち鎮圧され、多数が処刑された。十二月党。
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デカブリスト
(djekabrist) 一八二五年一二月、農奴制の廃止、帝政の打倒をかかげて蜂起したロシアの青年将校たち。→
十二月党
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デカブリスト【Dekabristy】
1825年12月に専制と農奴制の廃棄をかかげて,ロシアで初めて武装蜂起を行った貴族の将校たち。ロシア語で12月のことをデカーブリというところから,後に十二月党員(デカブリスト)と名付けられた。 1816年,ムラビヨフAleksandr N.Murav’yov(1792‐1863),ヤクーシキンIvan D.Yakushkin(1793‐1857)ら6人の近衛の青年士官によって,最初の秘密結社〈救済同盟Soyuz spaseniya〉がつくられた。
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