テレンティウス(英語表記)Publius Terentius Afer

デジタル大辞泉 「テレンティウス」の意味・読み・例文・類語

テレンティウス(Publius Terentius Afer)

[前195ころ~前159]古代ローマの喜劇作家。カルタゴ生まれの解放奴隷。整った劇作法で、人生批評的な作品を書き、教養人にもてはやされた。作「アンドロスの女」など。

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精選版 日本国語大辞典 「テレンティウス」の意味・読み・例文・類語

テレンティウス

(Publius Terentius Afer プブリウスアフェル) 古代ローマの喜劇作家。カルタゴ生まれ。奴隷出身。「私は人間だ。人間に関することは他人事とは思えない」などの名句を残す。作「アンドロスの娘」「自虐者」など。(前一九五頃‐前一五九

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改訂新版 世界大百科事典 「テレンティウス」の意味・わかりやすい解説

テレンティウス
Publius Terentius Afer
生没年:前185以前-前159

プラウトゥスと並ぶ古代ローマの代表的喜劇作家。北アフリカのカルタゴに生まれ,元老院議員テレンティウス・ルカヌスの奴隷としてローマに来たが,主人の寵愛を受けて勉学にはげみ,のちに解放されて自由人になった。ローマでは交友関係にも恵まれ,とくに小スキピオのサークルとは親交が厚かった。作品は成立年代順に《アンドロス島の娘》《義母》《自虐者》《宦官》《フォルミオ》《兄弟》の6編で,前166年から前160年の間に上演された。前159年,研究旅行のためギリシアにわたったが発病し,若くして死んだ。彼はプラウトゥス以上にギリシアのアッティカ新喜劇に範を求めた。作品名もすべてギリシア語である。《義母》と《フォルミオ》はカリストス出身のアポロドロス,それ以外はメナンドロスの作品をもとにしている。《兄弟》ではディフィロスの作品も一部用いられている。しかし,いずれも単なる翻訳ではなく,多くの場合二つの作品を混合し,時に筋を変更し,場面構成にも新たな創意を加えた。新喜劇やプラウトゥスのように前口上プロローグ)で劇の筋書をあらかじめ観客に知らせることをせず,その代りに批判を予測した自己弁護を述べているのはテレンティウスの大きな特徴である。彼の作品は舞台設定等外面的要素はギリシアの模範に忠実だが,内容は倫理的な色彩を濃くして,ローマの観客の好みに合わせている。会話は日常的な話法が随所にみられるが,概して洗練度が高い。おおらかな人間愛を基調とした彼の作品は中世に広く愛読され,ガンダースハイムのロスウィータは彼にならって6編の宗教劇を残した。エラスムス青少年が読むべきラテン語作家として第一に彼の名をあげている。しかし15世紀以降は,文学的影響力の点では全作品が発見されたプラウトゥスに一歩譲った。近世ではモリエールの《スキャパンの悪だくみ》が《フォルミオ》にならった作品である。なお,《自虐者》に出てくる〈私は人間である,人間に関することで私と無縁なものはひとつもないhomo sum.humani nihil a me alienum puto.〉というせりふはつとに有名である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「テレンティウス」の意味・わかりやすい解説

テレンティウス
てれんてぃうす
Publius Terentius Afer
(前195ころ―前159)

古代ローマの喜劇作家。カルタゴ生まれのリビア人。ローマでテレンティウス家の奴隷となるが、主人に才能を認められ、自由人と同じように教育を受け、解放されて主人の名前を与えられた。やがて小スキピオを中心とするギリシア文化愛好家のサークル(スキピオ・サークル)に受け入れられ、その後ろ盾により喜劇作家としてデビューし、成功を収めた。紀元前159年ギリシアに遊学し、その地で没した。

 処女作は『アンドロスの女』で、前166年に初演された。一説によれば、初演に先だって老大家カエキリウスの前で朗読して認められ、スキピオ・サークルに受け入れられるきっかけとなった。第二作『義母』の初演(前165)は、軽業(かるわざ)師の興行と重なって観客が集まらず、途中で上演を中止するほどの失敗であった(前160年の第3回上演では成功)。続いて前163年に『自虐者』、前161年に『宦官(かんがん)』『ポルミオ』、前160年には傑作『兄弟』を発表。これらの作品は、プラウトゥスの場合と同様、ギリシア新喜劇の翻案だが、プラウトゥスの作品と多くの点で異なっている。それは、前口上が粗筋の紹介ではなく、批評家の非難(とくに、「継ぎはぎ」によって原作をだいなしにしたという)への反論であること、筋がより一貫性のあるものとなっていること、ギリシアの地理や習慣が比較的よく守られていること、などである。しかし、もっとも大きな相違は、プラウトゥスがときには野卑になることも恐れず、爆発的な笑いを追求したのに対し、テレンティウスは洗練された、瞑想(めいそう)的、人道主義的な人間観察者であったことである。カール・マルクスが終世の信条としたといわれる「私は人間である。人間に関することなら、みんな他人(ひと)ごととは思わない」(自虐者)ということばは、この側面をよく伝えている。

[土岐正策]

『鈴木一郎訳『ギリシア喜劇全集5』(1979・東京大学出版会)』

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百科事典マイペディア 「テレンティウス」の意味・わかりやすい解説

テレンティウス

プラウトゥスと並ぶローマの代表的喜劇作家。カルタゴ生れ。奴隷としてローマに連れてこられ,文才を認められて解放された。おもにギリシアのメナンドロスの喜劇を翻案し,優雅な語法にすぐれ,上流インテリ層に受けた。作品は《アンドロス島の娘》ほか6編あり,全部残存する。

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世界大百科事典(旧版)内のテレンティウスの言及

【イタリア演劇】より

…とくにプラウトゥスの双生児の取違え喜劇《2人のメナエクムス》は数多く上演された。またもう1人の古代ローマ喜劇の作家テレンティウスの作品も翻訳,上演された。ルネサンス期の文人とローマ喜劇との出会いによって,イタリア演劇はその流れを大きく変えた。…

【ヒューマニズム】より

…この意味では,〈私は人間である。人間的なものの何一つとして私に無関係であるとは思えない〉というテレンティウスの有名な言葉は,ヒューマニズムのモットーといえるだろう。〈人間的な,あまりに人間的な〉ものへの愛情なくしてはヒューマニズムは成り立たない。…

【メナンドロス】より

…レナイアとディオニュシアの喜劇競演で8回優勝したとされているが,108編と伝えられる彼の喜劇作品数に比すれば意外に少なく,その名声は主として死後のものであったようである。作品そのものは,最近までは,断片と,ローマにおけるメナンドロスの翻案者たるプラウトゥステレンティウスの作品とによってうかがい得ただけであったが,20世紀に入る前後から次々と新発見がなされ,《気むずかし屋(デュスコロス)》の大部分と,《調停裁判》《サミア(サモス島から来た女)》《髪を切られる女》の相当部分が回復された。 彼の喜劇は性格造形力にすぐれ(アリストテレスの弟子で,ラ・ブリュイエールの《カラクテール》の原著作者でもあるテオフラストスの教えを受けたとされている),また登場人物の扱いが巧みであり,さらに題材そのものの普遍性も手伝って,後世の演劇芸術に非常に大きな影響を及ぼした。…

【ラテン文学】より

…リウィウス・アンドロニクスはローマで初めて悲劇と喜劇を上演した。続いてナエウィウス,エンニウス,パクウィウスPacuvius,アッキウスAcciusが悲劇とプラエテクスタ劇(ローマ史劇)を,ナエウィウス,プラウトゥス,カエキリウスCaecilius,テレンティウスが喜劇を,ティティニウスTitiniusとアフラニウスAfraniusがトガータ劇(ローマ喜劇)を創作上演した。これらのうちで現存するのは,プラウトゥス21編,テレンティウス6編の喜劇だけである。…

【ローマ演劇】より


[喜劇]
 悲劇と同様に喜劇もギリシア劇の翻案から始まった。メナンドロス,ディフィロス,フィレモンらのギリシア新喜劇の作品をもとにして,〈パリアタ劇fabula palliata〉(palliataは〈ギリシア風のマントを着た〉の意)と呼ばれる喜劇を書いたのがプラウトゥステレンティウスである。プラウトゥスは前254年ころにウンブリアの小都市に生まれ,役者をした後に,劇作に手を染めるようになり,130編もの喜劇を書いたが,今残っているのは20編だけである。…

※「テレンティウス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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