テルモピュライの戦(読み)テルモピュライのたたかい

改訂新版 世界大百科事典 「テルモピュライの戦」の意味・わかりやすい解説

テルモピュライの戦 (テルモピュライのたたかい)

前480年,第2回ペルシア戦争における史上有名な合戦。北ギリシアを南下進撃してくるペルシア軍に対してギリシア連合軍は,海軍をアルテミシオンに,地上軍を隘路(あいろ)テルモピュライThermopylaiに配置して,これを第1次防衛線とした。テルモピュライ守備についたスパルタレオニダス麾下(きか)の連合軍は海軍と呼応してよくクセルクセス1世の前進を阻止したが,ついに攻勢に出たペルシア軍との間に3日間にわたる死闘が展開された。合戦2日目の夕刻からペルシア軍の〈不滅隊(アタナトイ)〉がカリドロモス山中の間道アノパイアを夜を徹して進んでギリシア軍の背後に迫った。投降勧告にも応じず玉砕を覚悟したレオニダス王とスパルタの精兵300名は最後まで戦って倒れた。これによってギリシア側の第1次防衛線は崩れ,連合船隊はサラミス島に退却する。クセルクセスはレオニダス王の首をさらし首にしたが,これをヘロドトスはペルシアとしては異例の蛮行としているのが注目される。
ペルシア戦争
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百科事典マイペディア 「テルモピュライの戦」の意味・わかりやすい解説

テルモピュライの戦【テルモピュライのたたかい】

ペルシア戦争中の前480年の戦い。テルモピュライThermopylaiは中部ギリシアの重要な関門。ここでスパルタ王レオニダスは全ギリシア軍を指揮,ペルシアのクセルクセス1世率いる大軍を迎え撃ったが,内通者のために敗れてスパルタ兵300人は全員戦死した。

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世界大百科事典(旧版)内のテルモピュライの戦の言及

【ペルシア戦争】より

…近年発見された〈テミストクレス決議碑文〉は連合軍のアルテミシオン出動以前に,アテナイが住民の全員国外退去を決定していたことを教えている。テルモピュライの玉砕(テルモピュライの戦)で第1次防衛線は崩壊し,連合軍海上部隊はサラミスに集結して待機し,アクロポリスをはじめアッティカの土地がペルシア軍により荒廃に帰されるのを傍観した。しかし,テミストクレスの計略にかかってペルシア船隊がサラミス水道に侵入し,この歴史的海戦(サラミスの海戦)でペルシア船隊は敗退した。…

【レオニダス】より

…第2回ペルシア戦争においてギリシア側はテルモピュライとアルテミシオン沖を結ぶ線を第1次防衛線とした。彼はギリシア連合軍を率いてテルモピュライに布陣し,戦いは3日にわたったが,ペルシア軍が間道を迂回してギリシア陣を挟撃すると勝敗は決した(テルモピュライの戦)。レオニダスは主力を撤退させ,スパルタ人精鋭300人,テーバイ軍などとともに踏みとどまって戦死,長く英雄としてたたえられた。…

※「テルモピュライの戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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