テクムシ(読み)てくむし(英語表記)Tecumseh

日本大百科全書(ニッポニカ) 「テクムシ」の意味・わかりやすい解説

テクムシ
てくむし
Tecumseh
(1768―1813)

北アメリカの先住民集団(アメリカ・インディアン)の一つショーニー首長。先住民諸部族の大同団結を唱えた雄弁家、戦争指導者。父はショーニーの戦時首長、母はクリーク出身といわれる。父と兄2人を白人侵入者との戦闘で失った体験と、先住民の抵抗の歴史的経験から学んで、先住民族全体の大同団結こそが「わが土地」を守る唯一の道であると悟り、北は五大湖から南はメキシコ湾まで精力的に遊説して回り諸部族に団結を説いた。1811年、彼の留守中に弟の「予言者」テンスクワタワの守る本拠地ティペカヌーをハリソン軍に襲われて焼き払われたが、13年4月にフォート・メイグでハリソン軍に壊滅的打撃を与えて報復した。同年10月、カナダへの退却中テムズ河畔の戦いで戦死し、彼の壮大な夢は実らなかった。

[富田虎男]

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世界大百科事典(旧版)内のテクムシの言及

【アメリカ・インディアン】より

…そのうち,五大湖周辺の北西部諸部族は,1763年のポンティアク戦争から94年のフォールン・ティンバーズの戦での敗北まで,本国からの独立革命を遂行しつつあった植民地人に対して,自らの自由と解放のために戦ったのである。この戦いは,1812年戦争(第2次英米戦争)の際にショーニー族族長テクムシによってひきつがれ,彼は全インディアンの大同団結を提唱したが,大望を果たせず,W.H.ハリソン将軍に敗れて戦死した。同じころ南部ではチェロキー族などが文明化政策を受け入れて農業化・文明化への道を歩み,黒人奴隷制度も導入したが,クリーク族の抗戦派は文明化を拒み,A.ジャクソン軍と戦って敗れ,広大な領土を奪われた。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」