ティムール

百科事典マイペディア 「ティムール」の意味・わかりやすい解説

ティムール

ティムール朝の創始者。チンギス・ハーンの子孫とも,トルコ系牧人の子ともいわれる。足に戦傷を負ったので,彼に敵意を抱く者はティムーリ・ラング(びっこのティムール)と呼び,西欧ではタメルランTamerlaneと通称。チャガタイ・ハーン国の混乱に乗じて立ち,1369年中央アジアの主権者となり,1370年サマルカンドに都した。チンギス・ハーンの事業の継承とイスラム帝国の建設を理想とし,サマルカンドを東西貿易の中継市場,イスラム文化の中心として発達させた。イラン,西アジア,南ロシア,インドに遠征を行い,版土を拡大したが,1405年明への遠征途上に病没。
→関連項目アンカラの戦イブン・ハルドゥーンイル・ハーン国オスマン帝国タシケントバグダッドバヤジト[1世]ボロジン

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旺文社世界史事典 三訂版 「ティムール」の解説

ティムール
Timūr

1336〜1405
ティムール朝の建設者(在位1369〜1405)
トルコ系貴族に生まれ,西チャガタイ−ハン国の衰えに乗じ,1370年に建国。チンギス=ハンの事業の継承とイスラーム世界帝国の建設とを理想とし,チャガタイ・イル・キプチャク(その大半)の諸ハン国を併合したほか,インドにも侵入した。1402年オスマン帝国軍をアンカラに破って大帝国を建設したが,明への遠征の途中,病死した。軍事的制覇とともに国家建設にもつとめ,首都サマルカンドは壮大な建築物が並び,中央アジアの文化の中心となった。

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367日誕生日大事典 「ティムール」の解説

ティムール

生年月日:1336年4月8日
チムール帝国の創建者
1405年没

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世界大百科事典 第2版 「ティムール」の意味・わかりやすい解説

ティムール【Tīmūr】

1336‐1405
ティムール朝の創設者(在位1370‐1405)で,中央アジア出身の世界征服者。シャフリ・サブズ近郊のホージャ・イルガルに,トルコ化・イスラム化したモンゴル族(チャガタイ・トルコ族)の一つ,バルラース部の一員として生まれる。盗賊団の首領として過ごした青年時代に,その右手,右足に終世の傷を受け,そのため彼に敵意を抱く者たちは,彼をティムーリ・ラングTīmūr‐i lang(ペルシア語で〈びっこのティムール〉)と呼び,これがヨーロッパに伝えられて,タメルランTamerlane,タンブルレンTamburlaineなどの呼称を生んだ。

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デジタル大辞泉 「ティムール」の意味・読み・例文・類語

ティムール(Tīmūr)

チムール

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ティムール」の意味・わかりやすい解説

ティムール
てぃむーる

ティームール

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世界大百科事典内のティムールの言及

【アンカラの戦】より

…1402年7月28日,トルコのアンカラ近郊で戦われたティムール軍とオスマン・トルコ軍の会戦。1402年3月,冬営地カラー・バーグを出発したティムールは,オスマン軍との対決を目指して小アジアに進み,エルジンジャン,シワス,カイセリ,クルシェヒルを経てアンカラに到着,北東郊外のチュブク・オワスに陣を張った。…

※「ティムール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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