ティプー・スルタン(読み)てぃぷーするたん(英語表記)Tipū Sultan

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ティプー・スルタン」の意味・わかりやすい解説

ティプー・スルタン
てぃぷーするたん
Tipū Sultan
(1750―1799)

インド、マイソール国王(在位1782~99)。父王ハイダル・アリーの病死後即位し、父の方針を受け継ぎ、イギリスの植民地的侵略(マイソール戦争)に抵抗するかたわら、王国の富国強兵を目ざして近代的改革に乗り出した。たとえば、中央集権的官僚制度の整備、軍事制度の確立、郡県制の施行農地改革、その他多くの改革を行った。当時のインドではまれにみる国際的視野にたった国家建設であったが、あまりに性急、強引なやり方に封建的勢力から反感も買った。一方、イギリスへの抵抗もマラータハイデラバードからは相いれられず、第四次マイソール戦争で戦局不利となり、1799年戦死。墓廟(ぼびょう)はマイソール近郊の川中島のシュリーランガパトナム島にあり、父ハイダルとともに眠る。

[上條安規子]

『渡辺建夫著『インド最後の王、ティプー・スルタンの生涯』(1980・晶文社)』『上條安規子著『ティプ・スルタンの県・村支配』(『インド史における村落共同体の研究』所収・1976・東京大学出版会)』

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ティプー・スルタン」の解説

ティプー・スルタン
Tipu Sultan

1753~99(在位1782~99)

南インド,マイソール王国の支配者。1782年,父ハイダル・アリーの死によって即位した。父のあとを継いでイギリス東インド会社との戦いを続ける一方,ハイダラーバードニザームおよびマラーター同盟領土をめぐって抗争した。広い国際的視野を持ち,フランスやトルコ同盟を結ぶ努力をし,イランマスカットに通商使節を送った。アフガニスタンのザマーン・シャーの援助を求めたこともある。また富国強兵をめざし,軍隊の近代化,土地制度や司法制度の改革,新しい幣制や度量衡の導入などを行った。第3次および第4次マイソール戦争でイギリスに敗れ,99年,首都セリンガパタム(シュリーランガパッタナ)の白兵戦で戦死した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

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