ティエール(英語表記)Louis Adolphe Thiers

精選版 日本国語大辞典 「ティエール」の意味・読み・例文・類語

ティエール

(Marie Joseph Louis Adolphe Thiers マリー=ジョゼフ=ルイ=アドルフ━) フランス政治家歴史家。その著「フランス革命史」で王政復古期の反動政治を批判し、七月革命活躍、二度首相を務める。パリ‐コミューンを鎮圧し、第三共和政初代大統領となった。(一七九七‐一八七七

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改訂新版 世界大百科事典 「ティエール」の意味・わかりやすい解説

ティエール
Louis Adolphe Thiers
生没年:1797-1877

フランスの政治家。ブルジョアジー柱石といわれ,第三共和政の成立に力を尽くし,初代の大統領となった。彼ははじめ王政復古期(1814-30)のフランスで極右王党派と対立する自由派の代議士や銀行家のラフィットなどと親密となった。1824年から27年にかけて《フランス革命史Histoire de la Révolution》全10巻を書き,その自由派の立場に立った文筆の才で名声を得,30年1月にミニエーとともに新聞《ナシヨナル》を創刊した。7月にシャルル10世が勅令を発布すると,《ナシヨナル》の編集室には43人のジャーナリストらが集まるが,ティエールはその中心になって,この七月勅令に対する共同抗議文を起草した。これは七月革命の発生を促す契機となり,蜂起した民衆は共和政の実現を期待した。しかし彼はラフィットやカジミール・ペリエらとともにルイ・フィリップを擁立し,七月王政を樹立させた。

 この七月王政下の32年から34年まで,彼は内相となる。この時期はパリのストライキ運動や34年4月の共和派の蜂起で社会的動揺が激しく,これを抑圧したティエールは,ブルジョア政治家として重要な経験をしたことになる。36年に外相,ついで短期間首相となり,40年に再び首相となったが,イギリスに対する外交で弱腰の国王ルイ・フィリップは,彼よりギゾーを信任する。48年の二月革命後の6月に憲法制定議会に当選。社会主義や民衆の動きと対決するため地方の名望家の結集に努め,秩序党をつくった。しかしルイ・ナポレオンの登場によって秩序党はしだいに力を失い,第二帝政の成立となる。

 70年の第二帝政の崩壊,国防政府の成立で,再び政府の活動に外交面から加わった彼は,71年2月に成立した国民議会行政長官(大統領)に任ぜられた。ここでパリ・コミューン民衆蜂起に直面し,パリを逃亡してベルサイユに政府を置き,政府軍を結集して,パリ民衆に血の弾圧を加えた。しかしこの状況で革命の危険を防ぐためには王政ではなく,新しい政体は共和政でなければならぬと判断して,急進共和派ガンベッタとひそかに協力し,王党派を抑え,保守的な共和政の確立に向かって努力した。議会の王党派の攻撃により,73年に失脚するが,彼の共和政樹立の努力は,ガンベッタとの協力もあって,実を結んだ。
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ティエール
Thiers

フランス中部,マシフ・サントラル(中央山地)山麓のピュイ・ド・ドーム県の都市。人口1万6820(1982)。ドール川支流のデュロル川に臨む。市内には15~16世紀に建てられた古い家屋が多い。ロマネスクとゴシック式のサン・ジュネス教会(12~15世紀)があり,郊外にはロマネスク様式のムティエ教会,ベネディクト会の修道院がある。フランスでは,重要な刃物製造の中心地であり,医療器械,ステンレス製の食器などの製造も盛んである。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ティエール」の意味・わかりやすい解説

ティエール
Thiers, (Louis-) Adolphe

[生]1797.4.18. マルセイユ
[没]1877.9.3. セーヌエオアーズ,サンジェルマンアンレ
フランスの政治家,歴史家。大学では法律を学び,1821年パリに出てブルジョア共和派の機関誌『ナショナル』を発行したが,30年の七月勅令に抗議し七月革命の発端をつくった。 34年と 40年に首相をつとめた。 48年二月革命後保守派の指導者となり,大統領選挙ではナポレオン3世に投票したが,共和派の勢力弱体化をねらう反動立法に賛成してナポレオンと対立,51年 12月のクーデター後亡命。 53年帰国し,その後 10年間は引退生活をおくりつつもオルレアン王朝派と手を握り,第二帝政の内外政策をきびしく糾弾した。国防政府の崩壊後,71年2月 17日議会よりフランス共和国行政官に任命され,普仏戦争処理のためにドイツとフランクフルト講和条約を批准した。同年3月 18日パリ・コミューンが起ると,ベルサイユに逃れ,ビスマルクの援助を受けてパリ・コミューンを崩壊させ,同年8月大統領に就任。彼はフランスの再建を考え,共和政を主張したが,王党派の攻撃を受けて 73年5月失脚。歴史家としては『フランス革命史』 Histoire de la Révolution française (10巻,23~27) と『統領政府と帝政の歴史』 Histoire du Consulat et de l'Empire (20巻,45~62) の著書がある。

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百科事典マイペディア 「ティエール」の意味・わかりやすい解説

ティエール

フランスの政治家,歴史家。《フランス革命史》(1823年―1827年)を著すかたわら王政復古期の反動政治を批判。七月王政下で2度首相。ギゾーの政敵で,第二共和政では保守派。普仏戦争では,1871年首相としてパリ・コミューンを鎮定し対独講和を締結。同年第三共和政初代大統領。
→関連項目租税保険説

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ティエール」の解説

ティエール
Louis Adolphe Thiers

1797~1877

フランスの政治家。復古王政期の反動政治を批判し『フランス革命史』(1823年)を書く。七月王政下36年と40年に首相。ギゾーの政敵として議会改革を主張。第二共和政議会では保守派。71年ボルドー議会で行政長官に任命され,パリ・コミューンを鎮圧し対ドイツ講和を結ぶ。ついで第三共和政初代大統領(在任1871~73)となるが,王党派の攻撃で辞職。フランス19世紀ブルジョワの柱石といわれる。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ティエール」の解説

ティエール
Louis Adolphe Thiers

1797〜1877
フランスの政治家・歴史家
王政復古下の反動政治を自由主義の立場から批判し,七月革命でルイ=フィリップの王政樹立に活躍した。1836年と40年に首相就任。二月革命後は沈黙を守ったが,普仏 (ふふつ) 戦争で第二帝政が崩壊すると,1871年ボルドー議会で行政長官に選ばれ,新政府を組織して対独平和条約を締結し,パリ−コミューンを武力で鎮圧した。第三共和政の初代大統領となり,ブルジョワ的自由主義と民主主義のために戦った。歴史家としては『フランス革命史』を著した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ティエール」の意味・わかりやすい解説

ティエール
てぃえーる

チエール

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世界大百科事典(旧版)内のティエールの言及

【第三共和政】より


[共和政の成立]
 第三共和政の特徴はその成立過程のうちによく表現されている。1870年9月の普仏戦争で第二帝政が崩壊し,パリに共和派の国防政府が成立,翌年ボルドーに国民議会が成立し,ティエールが臨時の元首である行政長官に任じられた。パリ・コミューンの民衆蜂起に直面した彼は,これを鎮圧するとともに,革命の再発を回避する役割を果たすのは共和政以外にないと認識するにいたった。…

※「ティエール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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