ツツ(読み)つつ(英語表記)Desmond Mpilo Tutu

デジタル大辞泉 「ツツ」の意味・読み・例文・類語

ツツ(Tutu)

トゥトゥ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ツツ」の意味・わかりやすい解説

ツツ
Tutu, Desmond

[生]1931.10.7. 南アフリカ連邦クレルクスドルプ
[没]2021.12.26. 南アフリカ共和国,ケープタウン
デズモンド・ツツ。南アフリカ共和国の聖職者,人権活動家。フルネーム Desmond Mpilo Tutu。南アフリカにおける人種隔離政策アパルトヘイトの問題解決にあたり非暴力の活動を貫く統一的指導者として,1984年ノーベル平和賞を受賞した。コーサ族ツワナ族の両親のもとで育ち,父が教鞭をとるミッション・スクールで教育を受ける。最初医学の道を志したが金銭的余裕がなく,1955年学校の教員となる。1957年教職を辞し,ヨハネスブルクの神学校に入学,1961年にアングリカン・チャーチ(聖公会)の司祭に叙せられた。1962年ロンドンに渡り,1966年にロンドン大学キングズ・カレッジ修士学位を取得。1975年ヨハネスブルクのセントメアリー大聖堂で黒人初の首席司祭 deanに就任する。1976~78年レソト主教。1978年南アフリカ教会評議会事務局長に就任し,黒人の権利の代弁者となって非暴力の闘争を指揮,諸外国に対し,アパルトヘイトを続ける南アフリカ共和国に経済的な制裁を加えるよう訴えた。ツツのノーベル賞受賞は当時の P.W.ボータ政権への大きな圧力となり,1985年ツツは黒人居住区(タウンシップ)での反乱に見舞われたヨハネスブルクで初の黒人主教に,翌 1986年にはケープタウン大主教に任命され,160万人の信者を擁する南アフリカ聖公会の最高位についた。1988年ケープタウン近郊ベルビルにある西ケープ大学学長に就任。南アフリカが民主化に向かう 1990年代初頭,ツツは南アフリカを「虹の国」Rainbow Nationと形容し,ユーモアと辛辣さを交えてメッセージを発信し続けた。1995年,ネルソンマンデラ政権下でアパルトヘイト時代の人権侵害を検証する真実和解委員会の委員長に任ぜられる。1996年大主教の座を退き,名誉大主教となる。2007年にはマンデラによる,世界の紛争や問題の解決をはかる国際的指導者のグループ「ジ・エルダーズ」The Eldersの設立にかかわった。2010年10月7日,79歳の誕生日を機に公の活動から身をひいた。講演内容を収録した『神の意思』The Divine Intention(1982),説教集『希望と苦悩』Hope and Suffering(1983),真実和解委員会委員長時代の回想録『赦しなくして未来はない』No Future Without Forgiveness(1999),ツツ個人の考察をまとめた『神は夢見る:われわれの時代の希望のビジョン』God Has a Dream: A Vision of Hope for Our Time(2004)など著書,共著多数。2009年アメリカ合衆国の大統領自由勲章を受章,2012年モ・イブラヒム財団特別賞,2013年テンプルトン賞を受賞。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ツツ」の意味・わかりやすい解説

ツツ
つつ
Desmond Mpilo Tutu
(1931―2021)

南アフリカ共和国の黒人宗教者。宗教者として一貫して南ア政府の人種差別政策に反対立場にたった。10月7日トランスバール州南西部(現、ハウテン州中西部)クラークスドルプに生まれる。教師を務めたあと神学学校に入り、1961年黒人居住区であるベノニで司祭となる。1962年イギリスへ留学、1966年神学修士号を取得。いったん帰国後1972年ふたたび渡英。世界教会評議会役員となる。1975年ヨハネスバーグ・アングリカン教会首席司祭。1976~1978年レソトで勤務ののち帰国。1979~1985年南アフリカ教会評議会事務局長。1981~1983年何回か欧米を訪問し人種差別反対を訴えた。アパルトヘイト廃止に向け、非暴力による話し合い解決を主張した。1984年ノーベル平和賞受賞。1986年(昭和61)8月、広島での「平和サミット」に参加。同年9月ケープ・タウンで南アフリカ・アングリカン教会大司教に就任した。アパルトヘイト廃止後の1994年12月、南ア真実和解委員会の委員長に就任した。同委員会の任務は、アパルトヘイト体制下で行われた政治的抑圧や人権侵害の真相を明らかにし、被害者の復権を目ざすとともに民族和解を達成することにあった。同委員会は1996年4月以降、各地で公聴会を開き証言を集め、その成果は1998年10月に全5冊(約3500ページ)の報告書として公表された。2010年に公職からは引退したが、2007年にネルソン・マンデラによって設立された世界の著名なリーダーで構成されたグループ、エルダーズThe Eldersの議長(2007~2013)を務めるなど、人権問題などの分野で活動を続けていた。

[林 晃史 2018年1月19日]

『デズモンド・ツツ著、桃井健司・近藤和子訳『南アフリカに自由を――荒れ野に叫ぶ声』(1986・サイマル出版会)』『デイビッド・ウィナー著、箕浦万里子訳『ツツ大主教』(1991・偕成社)』『Desmond Mpilo TutuNo future without forgiveness(2000, Doubleday, New York)』

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ツツ」の解説

ツツ
Desmond Mpilo Tutu

1931~

南アフリカ共和国イングランド国教会司教,反人種差別活動家。南アフリカ大学,ロンドン大学卒。1961年に司祭となり,75年ヨハネスブルグ大聖堂の首席司祭。国内外でアパルトヘイト反対を訴え,84年ノーベル平和賞を受賞。

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百科事典マイペディア 「ツツ」の意味・わかりやすい解説

ツツ

南アフリカ共和国の英国国教会司教,黒人解放運動家。南アフリカ大,ロンドン大卒。1961年に聖職につき,1975年ヨハネスバーグ大聖堂の主任司祭となる。国内外で反アパルトヘイト運動を主導し,1984年ノーベル平和賞。

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世界大百科事典(旧版)内のツツの言及

【船霊】より

…また神社や寺のお札をはりつけるだけのところもある。船霊をまつりこめる場所は,船の中央部,かつて帆船時代には帆柱の下のツツとかモリとかいわれた部分である。年中行事として正月2日または多く11日を船霊祭,船霊節供などと呼び,船霊に神酒をあげる風習も多くみられるが,大漁の際などにもこれをまつる。…

※「ツツ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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