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南アフリカ共和国の黒人宗教者。宗教者として一貫して南ア政府の人種差別政策に反対の立場にたった。10月7日トランスバール州南西部(現、ハウテン州中西部)クラークスドルプに生まれる。教師を務めたあと神学学校に入り、1961年黒人居住区であるベノニで司祭となる。1962年イギリスへ留学、1966年神学修士号を取得。いったん帰国後1972年ふたたび渡英。世界教会評議会役員となる。1975年ヨハネスバーグ・アングリカン教会首席司祭。1976~1978年レソトで勤務ののち帰国。1979~1985年南アフリカ教会評議会事務局長。1981~1983年何回か欧米を訪問し人種差別反対を訴えた。アパルトヘイト廃止に向け、非暴力による話し合い解決を主張した。1984年ノーベル平和賞受賞。1986年(昭和61)8月、広島での「平和サミット」に参加。同年9月ケープ・タウンで南アフリカ・アングリカン教会大司教に就任した。アパルトヘイト廃止後の1994年12月、南ア真実和解委員会の委員長に就任した。同委員会の任務は、アパルトヘイト体制下で行われた政治的抑圧や人権侵害の真相を明らかにし、被害者の復権を目ざすとともに民族和解を達成することにあった。同委員会は1996年4月以降、各地で公聴会を開き証言を集め、その成果は1998年10月に全5冊(約3500ページ)の報告書として公表された。2010年に公職からは引退したが、2007年にネルソン・マンデラによって設立された世界の著名なリーダーで構成されたグループ、エルダーズThe Eldersの議長(2007~2013)を務めるなど、人権問題などの分野で活動を続けていた。
[林 晃史 2018年1月19日]
『デズモンド・ツツ著、桃井健司・近藤和子訳『南アフリカに自由を――荒れ野に叫ぶ声』(1986・サイマル出版会)』▽『デイビッド・ウィナー著、箕浦万里子訳『ツツ大主教』(1991・偕成社)』▽『Desmond Mpilo TutuNo future without forgiveness(2000, Doubleday, New York)』
1931~
南アフリカ共和国のイングランド国教会司教,反人種差別活動家。南アフリカ大学,ロンドン大学卒。1961年に司祭となり,75年ヨハネスブルグ大聖堂の首席司祭。国内外でアパルトヘイト反対を訴え,84年ノーベル平和賞を受賞。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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…また神社や寺のお札をはりつけるだけのところもある。船霊をまつりこめる場所は,船の中央部,かつて帆船時代には帆柱の下のツツとかモリとかいわれた部分である。年中行事として正月2日または多く11日を船霊祭,船霊節供などと呼び,船霊に神酒をあげる風習も多くみられるが,大漁の際などにもこれをまつる。…
※「ツツ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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