改訂新版 世界大百科事典 「チワン(壮)族」の意味・わかりやすい解説
チワン(壮)族 (チワンぞく)
Zhuàng zú
中国,広西チワン(壮)族自治区を中心に,雲南・広東・貴州・湖南の諸省に居住する少数民族。人口は約1555万余(1990)をかぞえ,そのうち広西チワン族自治区が90%を占める。中国少数民族のなかでは人口がもっとも多い。中国の文献ではかつて獞族,解放後僮族と書かれていたが,現在は壮族と改められている。広西地域での民族の歴史は古く,秦の勢力が及ぶ以前,広西・広東一帯に居住していた百越の一部,西甌(せいおう)・駱越(らくえつ)は彼らの祖先とみなされている。その文化は青銅鉄器時代に入っており,この地域で出土する銅鼓はその特色を示している。その後,唐の羈縻(きび)州となり,宋,明代に土司(どし)制度が設けられ,明代中期から清代に至るまで漢人官吏による直接統治政策が推進された(改土帰流)。それゆえ文化面から見れば,チワン族の文化は漢文化の影響を深く受けている。チワン語はチベット語系チワン・トン語族チワン・タイ語支に属し,南北の二大方言に分かれる。南宋代に漢字をもとに独自の文字がつくられたが,使用範囲はせまく,漢文が多く用いられた。1955年にはローマ字をもとにしたチワン語文字が制定されている。
広西地区では山脈が相連なり,その間を流れる幾多の河川と山地との間には,狭小な平野や盆地が多数存在する。チワン族はこの平野や丘陵地帯に居住しておもに農耕を営む。気候は亜熱帯性気候に属し,おもな農作物は稲(水稲),トウモロコシ,いも類で,一年に二期作,場所により三期作も可能である。その他サトウキビ,バナナ,竜眼肉,レイシ,パイナップル,マンゴー等の亜熱帯作物を産する。住居の様式は多くがこの地域の漢族と同じだが,場所によってはまだ古い伝統的な様式が残っている。それは干欄(干闌),麻欄とよばれる杭上家屋で,下の階では牛,豚,鶏などの家畜が飼われ,あるいは農具,燃料等が置かれる。多くは一夫一妻婚に基づく小家族で,結婚後〈不落夫家〉とよばれる習俗がある。それは花嫁が結婚式後ただちに新郎の家から実家に戻って暮らすことで,夫の家には農繁期か祭日にしか行かず,子供を生んでから夫の家に引き移る。この習俗は解放前盛んであったという。また同姓の父系親族集団があり,集団内では結婚できない。宗教は多神教で,巨石,古い樹木,高山,土地,鳥,祖先等を崇拝する。唐代以後,道教の影響を受け,人々はいつもなかば職業的な道公に悪霊ばらいを依頼した。その費用はきわめて高かった。近代以後,外国の宣教師が都市に来てキリスト教を伝えたが,都市の一部の住民に限られた。祭日はこの地域の漢族とだいたい同じであるが,なかには特色のある祭日もある。たとえば旧暦の2月2日は土地神の生誕日であり,農事の開始となる。この日から春の祭り以後の親戚のたずね歩きは中止せねばならない。当日はどんな客も親戚も招かず食事をする。4月8日は牛王の生誕日で,牛小屋で紙銭を焼き,神に供えるもち米の飯を牛に食べさせる。6月6日は田の神を祭り,1束の稲をたんぼにつきさし,豊作を祈願する。この日,家ではちまきをつくり,漢族の親戚を招いて返礼をする。5月の端午のときに漢族がチワン族の親戚を招くからである。9月9日には野外で稲草の小屋を建て,祭祀の後これを焼いて火神を送る。火災から免れることを祈り,晩になっても灯をつけない。そのほかチワン族では老若男女を問わず唱歌が盛んに行われる。たとえば歌垣(歌墟(かきよ))は毎年数回,未婚の男女が中心となり村はずれの空地で多くの人々を集めて開催される。服装は大部分漢族と変わらないが,まだ多くの地方で民族独自のものが残っている。ある地域では女たちは今日でも襟なしで,左前に着る黒の上衣を着用し,黒の幅の広いズボンをはく。頭は四角い小さな頭巾で包む。このようにさまざまの面でチワン族独自の文化や風習を見ることができるが,自治区が成立してからかなりの年月がたち,産業,文化,社会等の面での変貌もいちじるしい。
執筆者:加治 明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報