チャンドラグプタ
ちゃんどらぐぷた
Chandragupta
生没年不詳。古代インドのマウリヤ朝の建設者(在位前317~前296ころ)。卑賤(ひせん)な階級の出身といわれているが、確かなことはわかっていない。マガダ国のナンダ朝を倒し、それにかわって、2世紀にわたり進展してきたマガダ国の北インド統一支配の事業を遂行し、さらにアレクサンドロス大王が残したギリシア人勢力を西北インド辺境地方から一掃した。紀元前305年ごろセレウコス朝ニーカトール(セレウコス1世)が東進すると、これと和議を結んで、アフガニスタン南半をも領土とした。かくして彼は空前の大領域をもつインド最初の統一帝国を建設した。この帝国については、セレウコス朝の使節メガステネスの旅行記と、チャンドラグプタの宰相カウティリヤの著作といわれる『アルタ・シャーストラ』(実利論)とに描かれている。それによれば、彼は専制的な君主であって、帝国の支柱は巨大な常備軍と機構の整備した官僚とであった。豊饒(ほうじょう)なガンジス流域は河川によって灌漑(かんがい)され、その発展した農業生産は帝国の経済的基盤となった。また、都市の商工業を管理下に置き、その交易を監督した。
[山崎利男]
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精選版 日本国語大辞典
「チャンドラグプタ」の意味・読み・例文・類語
チャンドラグプタ
(Chandragupta)
[一] インド、マウリヤ朝の
始祖(在位
前三一七‐前二九三頃)。ナンダ朝を滅ぼして、マウリヤ朝を
創建。紀元前三〇五年、ほぼインド全域の統治に成功して、史上最初の統一帝国を実現した。
専制政治を断行したが、仏教やジャイナ教を保護して、インドの宗教文化の基礎を作った。生没年未詳。
[二] (一世) インド、グプタ朝の創始者(在位三二〇‐三三五頃)。マガダ地方の小王の子。名家との結婚によって勢力を得、パータリプトラを都として、範囲をアラハバードまで拡大、王朝の基礎を築いた。生没年未詳。
[三] (二世) インド、グプタ朝第三代の王(在位三七六‐四一四頃)。サムドラグプタの子。サカ国を滅ぼして西部インドを併合、西アジアとの通商によって経済を発展させて、王朝の最盛期を築いた。超日王。生没年未詳。
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「チャンドラグプタ」の意味・読み・例文・類語
チャンドラグプタ(Chandragupta)
インドのマウリヤ朝の創始者。在位前317ごろ~前296ごろ。マガダ国のナンダ王朝を倒して、北インドを統一。さらに西北及び南インドまで勢力を拡大、インド最初の統一帝国を建設。生没年未詳。
(1世)インドのグプタ朝の創始者。在位320~335ごろ。即位した320年を元年とする「グプタ紀元」を創設。生没年未詳。
(2世)グプタ朝、第3代の王。在位376~414ごろ。領土を広げて最盛期を迎えた。中国文献は超日王と記した。生没年未詳。
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「チャンドラグプタ」の意味・わかりやすい解説
チャンドラグプタ
インドのマウリヤ朝の創始者。前317年―前293年ごろ在位。もとナンダ朝の将軍で,マガダ国から興起し,宰相カウティリヤの補佐で北インドを統一,さらに南インドへも兵を進めた。パータリプトラに都し,シリアのセレウコス1世と戦った。強大な軍備と完備した行政機構をもち,インドにおける最初の統一者となった。アショーカ王はその孫。
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チャンドラグプタ
Chandragupta
生没年不詳
古代インド,マウリヤ朝の始祖(在位前317 (ごろ) 〜前293 (ごろ) )
アレクサンドロス大王のインド遠征に乗じてマガダ国のナンダ朝を倒し,新王朝を開いてパータリプトラに都した。北西インドからギリシア勢力を駆逐し,南はデカン方面を征して,インド史上最初の統一国家を建てた。
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世界大百科事典 第2版
「チャンドラグプタ」の意味・わかりやすい解説
チャンドラグプタ【Candragupta】
古代インド,マウリヤ朝の創始者。在位,前317‐前293年ころ。生没年不詳。出自については,ヒンドゥー教の文献がシュードラの血を引くと伝え,仏教の文献がクシャトリヤの出身とするなど,伝説間に一致をみない。ギリシア側の文献は彼をサンドロコットスSandrokottosの名で呼び,卑賤の生れであると伝えている。前317年ころマガダ国の辺境で挙兵し,ナンダ朝を倒して王朝を創始した。彼のこの偉業は,バラモン出身の宰相カウティリヤの策謀に負うところが大きかったという。
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世界大百科事典内のチャンドラグプタの言及
【シュラバナベルゴーラ】より
…7世紀以後とされる碑文が多く発見され,そこに見られる伝承で注目される。それによれば,〈チャンドラグプタ(前4世紀末)は老齢にいたりジャイナ教に改宗し,王位を譲り出家し師に従ってマイソールの聖地シュラバナベルゴーラに隠棲し,苦行して断食死をとげた〉という。10世紀以後のジャイナ教諸文献も同じ内容の伝承を伝え,これを論拠に,マウリヤ朝の創始者チャンドラグプタが晩年にジャイナ教に改宗したと推論する学者も多い。…
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