チネチッタ(英語表記)Cinecittà

デジタル大辞泉 「チネチッタ」の意味・読み・例文・類語

チネチッタ(Cinetittà)

ローマ近郊にある、イタリア国営の映画撮影所。1937年開所

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「チネチッタ」の意味・わかりやすい解説

チネチッタ
Cinecittà

イタリアの映画撮影所。イタリア語で〈映画都市〉の意。1935年,ムッソリーニ命令でローマの南方9kmの荒野設立が計画され,36年に着工翌年には早くも開所となり,ファシズム政権がこの撮影所になみなみならぬ期待を抱いていたことがわかる。敷地面積14万m2,ふつうのステージが10棟のほか,特撮録音,編集用など計17のステージをもち,ヨーロッパ最大の国営撮影所として内外に広く宣伝された。第2次世界大戦後は半官半民の貸しスタジオとなり,アメリカのメジャー会社の大作や世界各国の映画が数多くつくられることになる。しかし1960年代後半から70年代にかけて,世界の映画産業の衰退とともに,チネチッタも経営危機に見舞われ,また施設の老朽化もそれに輪をかけることになった。80年代には施設の近代化が行われ,再び映画製作の中心地にすべく意欲的な運営が行われている。チネチッタは広義には撮影所のほかに,映画実験センター,国立映画ライブラリー,国立ルーチェ撮影所などの隣接する諸設備を含む。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「チネチッタ」の意味・わかりやすい解説

チネチッタ

イタリアの映画撮影所。〈映画都市〉の意。1935年ムッソリーニの命令で計画され,1937年に開所された。ローマの南9kmに位置し,敷地面積は14万m2。特撮,録音,編集用のスタジオなど計17の撮影ステージを持ち,ヨーロッパ最大の国営撮影所として世界に知られた。第2次世界大戦後は,半官半民の貸しスタジオとして世界各国の映画が製作されている。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典(旧版)内のチネチッタの言及

【イタリア映画】より

…〈イタリア映画最後の日〉と評されることになる史劇映画最後の超大作《ポンペイ最後の日》の4度目の映画化作品(1926)をアムレート・パレルミと共同で撮ったカルミネ・ガローネも,その後1926年から36年にかけて,フランス,イギリス,ドイツ,ハンガリーを転々とし,ムッソリーニ政権下の母国では音楽映画《おもかげ》(1935),スペクタクル史劇《シピオネ》(1937)などの国策映画を撮ることになる。
[国策映画と白い電話機映画]
 知謀の勇将シピオネの決断と国民の愛国心によるローマ帝国の北アフリカ侵略の勝利を謳歌した《シピオネ》は,ムッソリーニのエチオピア侵略戦争を正当化した作品として(ムッソリーニ自身がこの映画の脚本を書いたともいわれる),また実際にアフリカでロケされ,そして建設されたばかりの映画都市チネチッタで作られた最初の超大作として,ムッソリーニのもっとも気に入った映画であった(1937年のベネチア映画祭で,のちのグラン・プリに相当する〈ムッソリーニ杯〉を授与された)。実際,イタリア史劇映画の伝統を感じさせる大スペクタクル歴史絵巻と評されたが,映画史家アーサー・ナイトによれば,ローマ帝国の兵士が腕時計をつけていたり,ローマの丘の上に電柱が立っていたりするといったずさんなところもあったという。…

※「チネチッタ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android