チェーカー(英語表記)Cheka

改訂新版 世界大百科事典 「チェーカー」の意味・わかりやすい解説

チェーカー
Cheka

十月革命後の1917年12月20日,ロシアに設立された〈反革命サボタージュ取締り全ロシア非常委員会Chrezvychainaya komissiya po bor'be s kontrrevolyutsiei i sabotazhem〉のこと。KGB(カーゲーベー)の前身にあたる最初のソビエト政治警察である。のち投機の取締りが加えられるなど,名称には異同がある。革命直後の反革命派の動きや革命に反対する公務員のサボタージュを取り締まり,革命法廷へ引き渡すことなどを任務とし,人民委員会議内閣)に直属する機関として発足した。議長ジェルジンスキー。中央機関の設立に引き続き,18年には地方,運輸部門,軍隊内などにもチェーカーが創設された。当初この委員会は直接懲罰行動はとらず調査活動を主とするものとされたが,内戦と干渉戦争が本格化する中で,裁判所の決定なしに逮捕,投獄処刑などを行いうるようになった。18年8月30日,ペトログラード・チェーカー議長ウリツキーの殺害とレーニン暗殺未遂事件がおこると,9月,人民委員会議も白色テロルに対する赤色テロルを宣言した。しかし,内戦が基本的な終結に近づいた21年12月,第9回ソビエト大会は,チェーカーの活動範囲と機関を縮小し,さらに活動における裁判機関の重視を求め,再編を決定した。その結果,22年2月6日,ソビエト中央執行委員会の決定によりチェーカーとその地方機関廃止・縮小され,その機能は内務人民委員部内に設立されたGPU(ゲーペーウー)に移された。
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百科事典マイペディア 「チェーカー」の意味・わかりやすい解説

チェーカー

1917年ロシアで十月革命直後にソビエト政府が設置した〈反革命・サボタージュ取締全ロシア非常委員会〉の略称。人民委員会議(政府)に直属し,特に1918年―1920年の国内戦期に反革命弾圧に威を振るったが,1922年GPU(ゲーペーウー)に改組。議長F.E.ジェルジンスキー(1877年―1926年)は改組後も責任者をつとめた。のちのKGB(カーゲーベー)の前身にあたる最初のソビエト政治警察。

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世界大百科事典(旧版)内のチェーカーの言及

【ジェルジンスキー】より

…ロシア・ソ連邦の政治家。KGB(国家保安委員会)の前身にあたるチェーカー(反革命・サボタージュ取締り全ロシア非常委員会)の初代議長。ポーランドのシュラフタ(貴族)の家庭に生まれ,中学時代の1895年から労働運動に参加した。…

【ロシア革命】より

…チェコ軍団の反乱によって,サマラ(現,クイビシェフ)に憲法制定会議議員たちが反ソ政権を樹立した。 ソビエト政権は,この危機にさいして赤軍を徴兵制の軍隊に切りかえ,8月30日レーニンが暗殺者に撃たれて重傷を負うと,チェーカーを中心に赤色テロで対抗した。反ボリシェビキ派の中で,チェコ軍団の後押しをうけるエス・エル派と旧軍人,帝政派,リベラルとの対立は根深かったが,9月のウファ国家会議で妥協が成り,5人の執政府のもとに全ロシア統一政府が生まれた。…

※「チェーカー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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