チェルノブイリ原発事故(読み)チェルノブイリゲンパツジコ

デジタル大辞泉 「チェルノブイリ原発事故」の意味・読み・例文・類語

チェルノブイリげんぱつ‐じこ【チェルノブイリ原発事故】

チョルノービリ原発事故

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百科事典マイペディア 「チェルノブイリ原発事故」の意味・わかりやすい解説

チェルノブイリ原発事故【チェルノブイリげんぱつじこ】

1986年4月26日,ウクライナ(旧ソ連)キエフ州北部,プリピャチ市のチェルノブイリChernobyl'原子力発電所で発生した原子炉の爆発・火災事故。死傷者数,放出放射線量,原子炉の損傷状況など,いずれも前例のない激しさで,INES(国際原子力事象尺度)で最悪レベルのレベル7の大事故である。事故炉は4号炉で,他の3基と同じく電気出力100万kW(熱出力320万kW)の黒鉛減速軽水沸騰冷却型。ソ連が国際原子力機関に提出した報告書によれば,原子炉を核的にも熱水力的にも不安定な状態にした上,緊急停止機能を著しく低下させ,安全保護信号(スクラム信号)をバイパスして試験を開始した人為ミスによるものであるが,炉自体の緊急停止機能が不十分であることも原因とされている。この事故による死者は31人,負傷者203人(発電所従業員と消防士のみ。一般人を含まない)。周辺30km以内の13万人以上が避難したが,ソ連国民の集団線量は,外部被曝だけでも約900万人レム,今後50年間で約2900万人レムに達すると推定されている。事故後ヨーロッパ諸国で高度の放射能汚染が観測されたほか,日本を含む北半球の広い地域でも放射能が検出された。とくに半減期の長いセシウム137による汚染地域がベラルーシロシアにも大きく広がっており,1989年にベラルーシでは1km2当り15キュリー以上の汚染地域から住民約11万人を移住させると決定したが,3共和国を合わせると同レベルの地域は1万km2,住民29万人に及ぶ。時の経過とともに甲状腺癌白血病をはじめ癌の多発や家畜の奇形が現れており,国際的な医療・救援活動が長期にわたって行われた。事故後,4号炉は放射能もれを防ぐためコンクリートで固め〈石棺〉としたが,ひび割れが増大し崩れる心配があるため,1997年ウクライナ政府と西側諸国は改修に合意した。補強案や覆いを二重にする第2〈石棺〉案などがあるが,資金難などから早期の解決は困難視されている。2000年12月15日には事故後唯一稼動していた3号炉を停止し,チェルノブイリ原子力発電所は完全閉鎖された。事故は原子力発電の危険性を改めて認識させ,ヨーロッパ諸国の脱原発の流れに大きな影響を与えた。2011年3月11日に起こった福島第一原発の大事故で二つの事故の比較から同事故が世界の注目を集め,とりわけ事故後現在に至る放射能汚染被害とその対策が日本で関心を持たれている。→原子力発電
→関連項目アクシデントマネジメントウクライナ原子力原子力管理原子力災害原子力産業原発事故産業公害スリー・マイル・アイランド原発事故放射性物質放射能汚染メルトダウンラップランド

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知恵蔵 「チェルノブイリ原発事故」の解説

チェルノブイリ原発事故

旧ソ連(現・ウクライナ)のチェルノブイリ原発4号機(黒鉛減速軽水冷却チャンネル型炉)で1986年4月26日に起きた原子炉暴走・爆発事故。5月6日まで大規模な放射性物質の放出が続いた。運転中の原子炉で電源喪失の対応実験中に出力が急上昇し、作業員のミスも重なって、高熱の炉心がむき出しになり、放射性物質は計11エクサベクレル(エクサは100京倍を表す単位=10の18乗)が放出された。膨大な量であり、広島に投下された原子爆弾の500倍ともいわれる。セシウム137で1平方キロメートル当たり370億ベクレル以上汚染された地域はウクライナ、ベラルーシ、ロシアの計10万平方キロメートル近くに達した。半径30kmの住民11万6000人が強制避難させられ、多くの村が廃墟となった。欧州各地でも食物が汚染されて大量に処分され、全世界で放射能が観測された。爆発した4号機をコンクリートで封じ込める「石棺」建設のために、延べ80万人が動員された。事故直後に消防士ら31人が死亡し、急性放射性障害で203人が入院した。2001年にロシア副首相が、事故処理作業をした旧ソ連の5万5000人が放射線障害で死亡との推計を発表した。05年には国際原子力機関(IAEA)と専門家グループによる「チェルノブイリ・フォーラム」が、事故処理作業員と高濃度汚染地域の住民の今後を含めた死者は4000人との推計を発表した。06年になって世界保健機関(WHO)は対象地域を広げて死者9000人とし、国際がん研究機関は欧州全域を含めて1万6000人、環境団体のグリーンピースは9万人と発表した。

(渥美好司 朝日新聞記者 / 2008年)

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改訂新版 世界大百科事典 「チェルノブイリ原発事故」の意味・わかりやすい解説

チェルノブイリ原発事故 (チェルノブイリげんぱつじこ)

1986年4月26日,旧ソ連ウクライナ共和国の北辺に位置するチェルノブイリChernobyl’原発で発生した原子力発電開発史上最悪の事故。1986年8月にソ連政府がIAEA(国際原子力機関)に提出した事故報告に基づくと,事故により原子炉職員と消防士31人が死亡し,原発周辺30km圏から,隣接するプリピャチ市住民4万5000人を含め,13万5000人の住民が避難した。1989年には,原発から300kmも離れた地域にも高放射能汚染地域が広がっていることが新たに公表され,ベラルーシではさらに11万人もの人々の移住が決定された。

 事故原因の見直しを行ったソ連原子力産業安全監視委員会特別委員会は1991年1月の報告で,〈事故の原因は,原子炉の欠陥とそれを知る立場にありながらしかるべき対策をとらなかった責任当局にある〉とした。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「チェルノブイリ原発事故」の解説

チェルノブイリ原発事故(チェルノブイリげんぱつじこ)
Chernobyl'

ソ連ウクライナのプリピャチ市にあった原子力発電所で,1986年4月26日に起った人類史上最悪の原子炉爆発事故。当局は事故の恐ろしさを理解しておらず,かつ真実を知らせなかった。火事を消し,破壊された炉をコンクリート壁で密閉するまでの作業に動員された兵士,消防士,炭坑夫数十万人が被爆した。地区住民の撤退も遅れ,被害を大きくした。被害は隣接するベラルーシにおいてはなはだしく,ロシア共和国でもブリャンスク地区が被害を受けた。多くの人が故郷を捨て,移住せざるをえなかった。チェルノブイリの事故はソヴィエト体制を震撼させ,グラスノスチペレストロイカを必至にした。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「チェルノブイリ原発事故」の解説

チェルノブイリ原発事故
チェルノブイリげんぱつじこ
Chernobyl

1986年4月26日,旧ソ連ウクライナ共和国の首都キエフ近くのチェルノブイリ原子力発電所で起こった原子炉の爆発事故
数千人規模の死者を出し,北欧・東欧諸国に放射能汚染が広がり,原発の危険性を全世界に知らしめた。

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