ダンロップ・ホールディングス(読み)だんろっぷほーるでぃんぐす(英語表記)Dunlop Holdings plc

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ダンロップ・ホールディングス
だんろっぷほーるでぃんぐす
Dunlop Holdings plc

イギリスタイヤ・メーカー。ダンロップ名称は、現在は独立のタイヤ・メーカーとしてではなく、ブランドとして存続している。ダンロップの紆余(うよ)曲折の歴史をみることは、イギリス企業の一つの典型的な進路をたどることでもある。

[安部悦生]

創業

1888年スコットランド人のジョン・ボイド・ダンロップによって、空気入りタイヤpneumatic tyreが発明されたのが同社の始まりである。子供用自転車の乗り心地をよくするために空気入りゴムタイヤを発明したダンロップは、それを自動車に応用することで大きなマーケットを生み出した。翌1889年、彼はアイルランド人のハーベイ・デュクロHarvey du Cros(1846―1918)と組んでPneumatic Tyre & Booth's Cycle Agency Co. Ltd.を設立。同年ダブリンに、1891年バーミンガムにタイヤ製造工場を建設した。

 しかし、ダンロップの特許に関連して紛争が起きたため、ダンロップ自身は1895年に同社を辞職し、1896年にデュクロが新企業Dunlop Pneumatic Tyre Co.を設立した。ジョン・ダンロップはすでに会社に関係していなかったが、発明者を記念して社名に彼の名前を冠したのである。1900年ダンロップ・ラバーDunlop Rubber Co.に改称。同社はフランス、ドイツ、カナダ、アメリカ、オーストラリア、日本などに工場を設立した。アメリカでは苦戦したが、大陸ヨーロッパでは成功を収め、フランスのミシュランやドイツのコンチネンタルContinental AGに次ぐ企業となった。

[安部悦生]

経営危機

ダンロップ社は、第一次世界大戦までデュクロ家の同族企業として発展していたが、1922年の投機的な財務操作の失敗により、専門経営者であるエリック・ゲッディスEric Geddes(1875―1937)の経営下に置かれた。同社は航空機用タイヤ、ゴム製履物、外套(がいとう)類、ゴム製工業製品、生活用品、スポーツ用品などに多角化する一方、マラヤ(現在のマレーシア)やセイロン島でゴム園を経営したり、綿工場を買収するなど原材料の確保に力を注いだ。多角化に伴い、1967年社名をダンロップ・カンパニーに改称、1970年持株会社ダンロップ・ホールディングスに改組した。

 順調に発展していたダンロップであったが、1960年代に大きな失敗を犯した。当時、ミシュランが開発した鋼使用のラジアルタイヤが次世代の本命製品だったが、ダンロップは安価な繊維ラジアルタイヤを主力製品に選択。1970年代に入って、主流の鋼製ラジアルタイヤに転換しようとしたときには巨額の投資負担に耐えられなくなっていた。というのも、イタリアのタイヤ・メーカーであるピレリPirelliに投資した資金が焦げ付き、4000万ポンドの損失を被ったことで多額の債務を抱えていたからである。またタイヤ市場でも売上げ減少に陥っていたダンロップは、工場閉鎖、従業員の削減(5000人から3500人へ)など打開策をとったものの、1984年にフランス子会社が赤字を計上するに及んでその損失をカバーしきれず、倒産瀬戸際に立たされた。

[安部悦生]

住友ゴム工業による救済買収

このときのダンロップ社を救ったのが、住友ゴム工業であった。1909年(明治42)ダンロップ社は神戸に工場を建設し、1913年(大正2)から自動車用タイヤの生産を開始、1930年(昭和5)にはゴルフボール、テニスボールの生産を始めた。日本にはそれまでタイヤ工場がなかったこともあり、ダンロップは大成功を収め、日本での自動車タイヤの増産に貢献した。1937年日本ダンロップ護謨(ごむ)株式会社に改組。第二次世界大戦後、1960年に住友グループ(主として住友電工)が同社に資本参加し、さらに1963年には住友ゴム工業株式会社として住友グループが経営権を握ることとなった。

 このように、住友ゴムはその成立の経緯からもダンロップと技術上・取引上の密接な関係があったので、英ダンロップの倒産を座視するわけにゆかず、またほかのタイヤ・メーカーがダンロップの買収に動くのを恐れてもいた。そこで1984年経営危機に陥った英ダンロップおよびフランスやドイツのダンロップを買収、1986年にはダンロップの北米事業も傘下に収めた。買収後もブランド名としてはダンロップを継続使用している。

 その後、工場の近代化によりダンロップ工場の生産性は高まり、競争力はある程度強化されたが、投資負担や市況の悪化によって財務状況はかならずしも好転せず、住友ゴムにとって毎年100億円以上の負担になっていた。1980年代から1990年代にかけて、タイヤ業界では大型合併が相次ぎ、コンチネンタルがアメリカのゼネラル・タイヤGeneral Tire Inc.を、ブリヂストンがファイアストンを、ミシュランがユニロイヤル・グッドリッチを傘下に収め、世界の自動車タイヤ市場はブリヂストン、ミシュラン、グッドイヤーの3グループに集約されつつあった。そこで、住友ゴムは1999年(平成11)グッドイヤーとの株式の相互持ち合い、および世界的な事業統合を軸とした提携(グローバル・アライアンス)を結び、ヨーロッパと北アメリカにおけるダンロップの経営権をグッドイヤーに譲渡した。この提携により、ダンロップ・ブランドは、日本では住友ゴム、欧米ではグッドイヤーが主導権を握って存続することになった。

[安部悦生]

『アルフレッド・D・チャンドラー Jr.著、安部悦生ほか訳『スケール・アンド・スコープ――経営力発展の国際比較』(1993・有斐閣)』『Adrian RoomCorporate eponymy ; a biographical dictionary of the persons behind the names of major American, British, European, and Asian businesses(1992, McFarland & Co., Jefferson)』『Gretchen Antelman, Thomas Derdak ed.International Directory of Company Histories Vol. 1-50(St. James Press, Chicago)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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