ダンスタン(読み)だんすたん(英語表記)Dunstan

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ダンスタン」の意味・わかりやすい解説

ダンスタン
だんすたん
Dunstan
(925ころ―988)

イングランドの聖職者。グラストンベリー近くの貴族の出。修道院学校に学ぶ。カンタベリーに移る伯父エセルムに同行し、のち国王エセルスタンの宮廷に仕えた。936年修道士となり、940年国王エドマンドは、彼をグラストンベリー修道院院長に任命し、財政的援助をした。彼はベネディクト会則を導入し、教会や修道院を建て、書物の収集に努めた。エドウィ王のときに国外に追放され、エドガー王によって召還されたのち、フルーリで学んだエセルウォルドの修道院、教会の改革を支援した。ウースター、ロンドンの司教を経てカンタベリー大司教(960)となり、国王と教会との協調関係を強化し、教会改革を国王の庇護(ひご)の下に行った。マムズベリー、バース、ウェストミンスター修道院を改革、カンタベリーに修道士を導入した。聖職者の独身制、信徒の大斎日(たいさいじつ)の厳守、正義の実現に努め、宮廷では座長役を務めた。教会の鐘を鋳造し、オルガンをつくった名声によって、金属細工師の守護の聖人となる。

[朝倉文市]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ダンスタン」の意味・わかりやすい解説

ダンスタン
Dunstan

[生]924頃.グランストンベリー近郊
[没]988.5.19. カンタベリー
イギリスのアングロ・サクソン時代の聖職者。聖人。貴族の生れで,アゼルスタン王に仕えたが,魔法を行なったかどで追放され,修道士となった。次のエドマンド王によりグランストンベリー修道院長に任じられ,エドレッド王のもとでは宮廷の要職を占めたが,エドウィ王が即位すると,再びフランドルに追放,さらにエドガー王により召換され (957) ,クリュニー修道院改革をイギリスに導入し,衰微の極に達していた修道生活の再興に努めるとともに学芸の振興にも功績があった。ウースター,ロンドン司教,次いでカンタベリー大司教として,宗教上,政治上大きな権力をふるったが,エドワード殉教王の死後カンタベリーに引退。祝日5月 19日。

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