ダビデ
だびで
Dawid ヘブライ語
David 英語
イスラエル王国第2代目の王(在位前1000ころ~前960ころ)。『旧・新約聖書』の両時代を通じて国民的英雄とみなされ、「王の理想」「主(ヤーウェ)の僕(しもべ)」「祭儀の祖」などともよばれている。「詩編」の作者、竪琴(たてごと)の名手としても知られ、その生涯は『旧約聖書』の「サムエル記上・下」に詳しい。
それによると、ベート・レヘム(ベスレヘム)の無名の羊飼いにすぎなかった少年ダビデは、ペリシテ人の巨人ゴリアテを投石索で倒したことでサウル王に認められ、その寵愛(ちょうあい)を受けた。その後も数々の武勲をたて、王女ミカルMichalと結婚したが、しだいに王のねたみを買うようになったため、争いを避けて国外へ出た。やがてサウルが戦死したため推挙されて王位につき、エブス人からエルサレムを奪って首府とし、ここに団結のしるしである「神の箱」(契約の箱(櫃(ひつ)))を移して、全部族への支配権を打ち立てるとともに信仰の中心を定めた。対外的にはペリシテ人を制圧し、エドム王国を併合し、勢力範囲を中部シリアにまで広げた。内政では礼拝に関する規則を定めて、王の宗教的色彩を強化するとともに、官制、兵制などの整備を行って中央集権を確立し、イスラエル王国の絶頂期を築いた。エルサレムは以後「ダビデの町」とも称される。ヘブライ王国の繁栄については、この時代、北のメソポタミア、南のエジプトがともに沈滞期に入っていたという国際情勢のなかでとらえることも重要である。
[漆原隆一 2018年4月18日]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
ダビデ
Dāwīd; David
イスラエル王国第2代目の王 (在位前 1000頃~961) 。ベツレヘムに生れた。彼についての記録は旧約聖書『サムエル記上下』から『列王紀上』2章までに詳しい。初代の王サウルの王宮に楽師として入り,サウルの嫡子ヨナタンと親交を結び,サウルの娘ミカルを妻とした。ペリシテ人との戦いで活躍し,国民的な人気が高まるにつれてサウルの嫉妬を買い,長い逃亡生活をおくった。サウルの死後王位につき,ヘブロンからエルサレムに都を移した。彼は契約の櫃を重んじることによって宗教的統一国家を目指し,また当時エジプト,アッシリアの二大強国が衰退していた機会をとらえて周辺の国家を隷属させ,エジプトからユーフラテス川に接する広大な領土を誇った。すぐれた武人であるとともに,音楽,詩歌にも秀でていた。少年時代ペリシテ人の巨人ゴリアテを石投げ器で討った話や,敵を手厚く扱ったこと,ウリヤの妻バテシバの入浴の姿を見てこれに欲情し,預言者ナタンの忠告に悔い改めた話などエピソードは多い。バテシバとの間に生れたソロモンが彼の死後王位についた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ダビデ
統一イスラエル王国(イスラエル・ユダ連合王国)の王(在位前997年ころ―前966年ころ)。サウルに仕えて功あり,王の死後ユダ王国を建て,エルサレムを占領して統一国家を築いた。その成功を背景とする,神ヤハウェがダビデを選んだとする思想(〈ダビデ契約〉)は,子孫からメシア(救世主)が生まれるという,キリスト教にも続く観念となった。優れた琴の奏者,詩人としても知られ,多くの詩篇の作者に擬せられたほか,ペリシテ人の巨人ゴリアテとの戦いは画題として有名。
→関連項目サムエル|シオン|詩篇|ソロモン|ユダ王国
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
ダビデ
(David) 古代イスラエル王国第二代の王(在位前一〇〇〇頃‐前九六一)。ベツレヘム出身。祭司制度を設け、エルサレムを中心に、ユダヤ教を確立。「旧約聖書」サムエル記に記述があり、詩と音楽の才能にすぐれ、「詩篇」のかなりの部分の作者とされている。前九六一年没。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
ダビデ【David】
イスラエル・ユダ複合王国の王。在位,前997ころ‐前966年ころ。ユダのベツレヘムのエッサイの子。羊飼いの少年ダビデは,琴の名手として,悪霊に悩まされていたイスラエル王サウルを慰めるため宮廷に出仕した。別の伝承によると,ペリシテ人の勇士ゴリアテGoliathを倒して認められ,サウルに仕えるようになったという。いずれにしてもサウルの武将として頭角を現し,サウルの息子ヨナタンと深い友情で結ばれ,サウルの娘ミカルMichalを妻に与えられた。
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
世界大百科事典内のダビデの言及
【アブサロム】より
…ダビデの三男。ヘブロンでの統治時代に生まれた。…
【イスラエル】より
…ヤハウェのみがイスラエルの支配者であるという神政思想は退けられ,周辺諸民族にならって王政が樹立され,イスラエル王国が建てられた。 初代の王サウルは敗死したが,この間に,南方のユダ族出身のダビデは南ユダ王国を建て,イスラエル王国の王位も兼ねるとフィリスティア人を破り,勢いに乗じて東ヨルダンとシリアを征服して大帝国を築き上げた。前1000年ころのことである。…
【イスラエル王国】より
…それまでの緩やかな部族連合では,海岸地帯から内陸に向かって勢力を拡大してきたフィリスティア人(ペリシテ人)に対抗できないと悟ったからである。サウルは,治世初期に王国の防衛に成功したが,やがて宗教的指導者サムエルと衝突し,すぐれた武将ダビデを追放してみずからを弱めた。サウルがフィリスティア人と戦って敗死すると,軍の長アブネルAbnerは東ヨルダンに逃れ,サウルの子エシバアルEshbaalをイスラエル王に擁立して対抗した。…
【エルサレム】より
…しかし1967年以降の都市開発によるコンクリート高層住宅群は,現代の城壁,堡塁ともいうべく,この都市固有の地平の美観を破壊しつつある。
[市域の拡大]
エブス人(びと)の砦,ついでダビデの町というエルサレムの起源の段階では,その範囲はのちの神殿区域の南方に局限されていたと考えられている。そこから北方に延び,しだいに市域を拡大して,ローマ支配期にほぼ今日の旧市街の規模のものとなった。…
【サムエル記】より
…上1~7章は,シロの神殿に仕えたサムエルの少年時代,シロを中心とするイスラエル部族連合がペリシテ人に敗北した経緯,士師サムエルの活動などについて,上8~15章は,サウルがイスラエル初代の王に選ばれたいきさつ,サウルとペリシテ人の戦い,サウルとサムエルの仲たがいなどについて語る。上16~下8章には,サウルの宮廷に仕えた牧童ダビデが,多くの苦難を乗り越えてついにイスラエルとユダの王となり,大帝国を建設したことを物語る〈ダビデ台頭史〉,下9~20章には,ダビデの王子たちの争いと反乱などを伝える〈ダビデ王位継承史〉(《列王紀》上1~2章に続く)が認められる。最後に,下21~24章には,ダビデ王に関する種々のエピソードが収められている。…
【ナタン】より
…前10世紀前半に活動したイスラエルの預言者。ダビデがエルサレムに遷都したのち宮廷に登場。《サムエル記》下7章は,ナタンがダビデに預言して,イスラエルの神ヤハウェがダビデとその子孫を選び,イスラエルにおけるダビデ家の支配の永続を約束したことを告げる。…
【ベツレヘム】より
…アラビア語ではバイト・ラフムBayt Laḥmとよばれる。ダビデ王の生地。後にメシア信仰の象徴となる。…
【ユダ王国】より
…古代イスラエル人の王国。前1000年ころ,イスラエル王国初代の王サウルがフィリステア人(ペリシテ人)と戦って敗死すると,フィリステア人の国に亡命していたダビデは,南方諸部族の中心都市ヘブロンに行き,ユダ王国を建てた。その後,ダビデはイスラエル王国の王位も兼ねたが,ユダ王国はイスラエル王国と別個の政治組織として残された。…
【ユダヤ教】より
…〈シナイ契約〉を確認するために,モーセを仲保者として与えられた律法は,民族的・宗教的共同体として成立したイスラエルの生き方を決定する基本法となった。 前13世紀末に,イスラエル人はカナンに侵入して〈約束の地〉に定着したが,前1000年ころ,ユダ族出身のダビデが王となり,シリア・パレスティナ全域にまたがる大帝国を建設し,エルサレムを首都に定めた。その子ソロモンが,エルサレムのシオンの丘に主の神殿を建立すると,主はダビデ家をイスラエルの支配者として選び,シオンを主の名を置く唯一の場所に定める約束をした,と理解された(〈ダビデ契約〉)。…
【ヨナタン】より
…サウルを助けてペリシテ人と勇敢に戦い,ついに父や兄弟とともにギルボア山で戦死した。他方,サウルに仕えた将軍ダビデと固い友情を結び,嫉妬深い父からダビデをかばってその逃走を助けた。悪霊につかれたサウルとは対照的に,友情に厚い理想的な勇士としてヨナタンを描く《サムエル記》の叙述は,ダビデの王位正当化を意図する歴史的記述に由来する。…
※「ダビデ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報