ダット(英語表記)Michael Madhusūdan Datta

改訂新版 世界大百科事典 「ダット」の意味・わかりやすい解説

ダット
Michael Madhusūdan Datta
生没年:1824-73

インドの詩人で,ベンガル語近代詩を確立した。東ベンガル(現在のバングラデシュ)ジェソール県生れ。カルカッタのヒンドゥー・カレッジに学び,英語での詩作に励む。19歳のとき,キリスト教改宗。1848年から8年間マドラスで教職に就くかたわら英語の著作活動を続けるが,やがてその限界を悟り,カルカッタに戻って後,ベンガル語の詩,劇の創作に打ち込む。ヨーロッパ詩の影響の下に無韻叙事詩,劇やソネットをベンガル語で書き,近代人の屈折した感情を表現するのに成功した。叙事詩《メグナード殺しMeghnādbadh》(1861)は彼の最高傑作であるとともにベンガル近代詩最初の収穫である。62年,念願の渡欧,辛苦のすえ弁護士の資格を取って帰国するが,晩年極貧のうちに過ごした。代表作に風刺劇《これが文明というものか?》(1860),歴史劇《クリシュノクマリ》(1861),渡欧中の作品《十四行詩集》(1866)等がある。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ダット」の解説

ダット
Romesh Chunder Dutt

1848~1909

インドの行政官文筆家ベンガル出身。スレンドラナト・バナジーらとともにイギリス留学。1871年にインド高等文官職試験に合格し,97年に退官した。99年には,国民会議派ラクナウ大会の議長に選出された。流出理論にもとづき,民族主義の立場から書かれた『インド経済史』2巻(1901~03年)は名著誉れが高く,今でも読み継がれている。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ダット」の意味・わかりやすい解説

ダット
Dutt, Rajani Palme

[生]1896.6.19. ケンブリッジ
[没]1974.12.20.
イギリスのジャーナリスト政治家。 1920年イギリス共産党の創立に参加し,22~65年党政治局員,43~65年には党副委員長をつとめるなど,指導者として活躍。 21年には『レイバー・マンスリー』を創刊。父親がインド人であったため,イギリスのインド人留学生に大きな影響力をもち,インド共産党に対する影響も甚大であった。著書は"India Today" (1940) ,『現代インド』 India Today and Tomorrow (56) など多数。

ダット
Dutt, Romesh Chunder

[生]1849
[没]1909. カルカッタ
インドの歴史学者。学者の家に生れ,カルカッタ大学に学んだあと,イギリスで勉学を続け,1869年にインド高等文官試験に合格した。帰国後インド政庁の官吏となり,26年間主として地方の行政・徴税官を歴任した。退職後は歴史と経済に関する多くの著書を著わし,特にイギリス植民地時代経済史に関する2巻本 (1901~02) は,インド人の経済史研究の先駆的業績であり,ほかにインド古代文明史の研究も行なった。

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367日誕生日大事典 「ダット」の解説

ダット

生年月日:1896年6月19日
イギリスの共産党指導者,ジャーナリスト
1974年没

ダット

生年月日:1848年8月13日
インドの歴史家,文学者
1909年没

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