ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ダグラス」の意味・わかりやすい解説
ダグラス
Douglas, Michael
マイケル・ダグラス。アメリカ合衆国の映画俳優,プロデューサー。フルネーム Michael Kirk Douglas。映画界の大物カーク・ダグラスとイギリスの女優ダイアナ・ディルの息子として生まれ,父親の撮影現場に同行するうちに映画制作について学んだ。カリフォルニア大学サンタバーバラ校で演劇を学んだのち,"Hail, Hero!"(1969)で映画デビュー。ベテラン俳優カール・モールデンと共演したテレビドラマ『サンフランシスコ捜査線』The Streets of San Francisco(1972)で注目を集めた。『カッコーの巣の上で』One Flew Over the Cuckoo's Nest(1975)で制作を手がけたのを機に,プロデューサーとして頭角を現す。この映画はアカデミー賞作品賞,主演男優賞(ジャック・ニコルソン),主演女優賞(ルイーズ・フレッチャー),監督賞(ミロス・フォアマン),脚色賞の主要 5部門を制覇した,ハリウッド史上 2本目の作品となった。代表作の一つとなった『危険な情事』Fatal Attraction(1987)では,不倫相手の女性に執拗につきまとわれる妻子ある男を好演。『ウォール街』Wall Street(1987)ではモラルのかけらもない非情な投資家をみごとに演じ,アカデミー賞主演男優賞を獲得した。父親同様,道徳性を欠く役柄を演じることで成功をつかんだ数少ない俳優の一人である。プロデューサーとしても『フェイス/オフ』Face/Off(1997)など数多くのヒット作を手がけている。
ダグラス
Douglas, Kirk
[没]2020.2.5. カリフォルニア,ロサンゼルス
カーク・ダグラス。アメリカ合衆国の俳優,プロデューサー。本名 Issur Danielovitch。Isadore Demsky。強い意志をもつ情熱的なヒーローおよびアンチ・ヒーロー役を得意とする。両親はユダヤ系ロシア移民。セントローレンス大学およびアメリカ演劇アカデミー在学中に劇場案内係,ホテルのベルボーイ,ウェーター,プロレスラーなどさまざまな職を経験し,卒業後は端役としてブロードウェーの舞台に立った。1943~44年海軍で兵役につき,除隊後まもなくハリウッドデビューを果たす。『チャンピオン』Champion(1949)で冷酷なボクサー役を演じてアカデミー賞主演男優賞候補となり,スター街道を歩み始める。ビンセント・ミネリ監督の『悪人と美女』The Bad and the Beautiful(1952)と『炎の人ゴッホ』Lust for Life(1956)でもアカデミー賞主演男優賞にノミネート。その後も西部劇の傑作『OK牧場の決斗』Gunfight at the O.K. Corral(1957)や,スタンリー・キューブリック監督の『スパルタカス』Spartacus(1960)など質の高い作品に次々出演し,トップスターの地位を守り続けた。1970年代に入ると監督業に乗り出し,海賊コメディ "Scalawag"(1973)と,シニカルな西部劇『明日なき追撃』Posse(1975)の 2本を手がけた。1995年アカデミー賞名誉賞を受賞した。
ダグラス
Douglass, Frederick
[没]1895.2.20. ワシントンD.C.
フレデリック・ダグラス。アメリカ合衆国の奴隷解放運動家。旧名 Frederick Augustus Washington Bailey。黒人奴隷の女性と白人男性を両親として生まれた。8歳のときからボルティモアで家内奴隷として働き,その間に州法の禁止規定を無視した女主人の好意によって読み書きを学んだ。1838年逃亡してマサチューセッツ州に移り,名前をダグラスと変え,労働者として生活する間に奴隷制廃止運動に参加。1845年に『フレデリック・ダグラスの半生』Narrative of the Life of Frederick Douglassを出版。1845~47年イギリスとアイルランドを講演旅行し,黒人奴隷の身分的解放のみならず,社会的・経済的平等の実現を主張した。このとき得た基金でみずからの自由を買い取り,1847~60年ニューヨーク州ロチェスターで奴隷制反対を主張する『ノース・スター』紙を発行(→アボリショニズム)。南北戦争中はエブラハム・リンカーン大統領の顧問として北軍への黒人徴兵に努力し,戦後は黒人の市民権の完全な獲得を目指して活動し,女性解放運動を支持した。1882年自伝の決定稿として『フレデリック・ダグラスの生涯とその時代』 Life and Times of Frederick Douglassを刊行。また,ダグラスは連邦政府の要職についた最初の黒人であり,南北戦争後さまざまな官職を務め,1889~91年にはハイチ公使兼総領事に就任した。
ダグラス
Douglas, Jesse
[没]1965.10.7. ニューヨーク,ニューヨーク
ジェス・ダグラス。アメリカ合衆国の数学者。ニューヨーク市立大学とコロンビア大学に学び,1920年にコロンビア大学で博士号取得。1930~36年マサチューセッツ工科大学 MIT,プリンストン高等研究所 IAS,1942~54年コロンビア大学などで教授を務め,1955~65年にはニューヨーク市立大学で教鞭をとった。1936年,ノルウェーのオスロで開催された国際数学者会議において,プラトー問題の解決により第1回のフィールズ賞を受賞した。プラトー問題は,与えられた境界に対して,それを境界にもつ面積が極小の曲面を求めるもので,スイスの数学者レオンハルト・オイラーとフランスの数学者ジョゼフ・ルイ・ラグランジュによって 1760年に提出された。1849年にベルギーの物理学者ジョゼフ・プラトーにより,針金を境界とする石鹸膜によってこのような極小曲面をつくる実験がなされた。数学的な極小曲面の存在の証明は,1931年にダグラスと,ハンガリー生まれでアメリカで活躍した数学者ティボール・ラドーによって,それぞれ独立になされた。さらに,ダグラスは古典的な変分問題の精密化によって,極小曲面が求められることを示した。のちに群論においても,二つの生成元をもつ有限群の決定について重要な業績を残した。
ダグラス
Douglas, William O.
[没]1980.1.19. ワシントンD.C.
ウィリアム・O.ダグラス。アメリカ合衆国の判事,法学者。フルネーム William Orville Douglas。市民の自由の擁護者として知られ,連邦最高裁判所での 36年半の在職期間はアメリカ史上最長である。1920年ホイットマン大学卒業後短期間教鞭をとったが,1922年コロンビア大学法科大学院に入学し,1925年首席で卒業した。ウォール街の弁護士事務所で働いたのち,コロンビア大学,エール大学で 1936年まで法律を教えた。1936年証券取引委員会 SECのメンバーとなり,翌 1937年に委員長に就任。在職中はフランクリン・D.ルーズベルト大統領の顧問も務めた。1939年,40歳にして連邦最高裁判事に任命。進歩派判事の一人として活躍し,一貫して市民の自由や言論の自由を擁護し,政府による検閲や報道の規制に反対した。また違法な犯罪捜査や,容疑者に対する自白の強制にも反対した。このため政治的保守派や宗教原理主義者から批判を浴びることもあった。1975年引退。"Of Men and Mountains"(1950),"A Wilderness Bill of Rights"(1965)など著書多数。
ダグラス
Douglas, Sir James
[没]1877.8.2. ブリティシュコロンビア,ビクトリア
ジェームズ・ダグラス。イギリスの植民地行政官。「ブリティシュコロンビアの父」(→ブリティシュコロンビア州)と呼ばれる。スコットランドで教育を受け,1821年ハドソン湾会社の社員となる。ロッキー山脈以西の北アメリカを担当し,アメリカ合衆国とイギリス領北アメリカとの国境決定により,1849年支社をオレゴンからバンクーバー島に移した。1851~63年バンクーバー島の総督を務めたが,その間 1858年に対岸の本土のフレーザー渓谷で金が発見され,アメリカをはじめ世界中の人が押しかけてゴールド・ラッシュとなるや総督の権限を本土にまで拡張して治安維持に努めた。イギリス政府は彼の勧告に従い,本土にブリティシュコロンビア植民地を設け,1858~64年彼を総督に据えた。1864年にすべての公生活を退き,彼の建設したビクトリアに引退した。
ダグラス
Douglas, Keith
[没]1944.6.9. フランス,ノルマンディー
キース・ダグラス。イギリスの詩人。フルネーム Keith Castellain Douglas。オックスフォード大学に学び,第2次世界大戦時のノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)で戦死。北アフリカ駐留中(→アルアラマインの戦い)に書いた作品が特に重要。簡潔で冷徹な筆致をもって真摯に生死のあり方を追求した。主著は『アラマインからゼムゼムへ』Alamein to Zem-Zem(1946),死後出版された『全詩集』Collected Poems(1951)。なお,テッド・ヒューズがダグラスの作品を編んだ『選詩集』Selected Poems(1964)は,彼を普遍的な価値をもつ詩人に押し上げた。
ダグラス
Douglas, Stephen A.
[没]1861.6.3. イリノイ,シカゴ
スティーブン・A.ダグラス。アメリカ合衆国の政治家。フルネーム Stephen Arnold Douglas。1843年以降,イリノイ州選出の連邦下院議員,連邦上院議員として,西部への領土拡張,大陸横断鉄道建設などを主張。彼の住民主権論は,各州に奴隷制度の決定権をゆだねるという理論で「カンザス=ネブラスカ法」(1854)の論拠とされた。1858年イリノイ州連邦上院議員に再選されたとき,エブラハム・リンカーンとの間に奴隷制をめぐる有名な「リンカーン=ダグラス論争」を展開した。1860年民主党の大統領候補となったがリンカーンに敗れた。南北戦争の直前には南北和解に努めたが,戦争開始後にはリンカーンの連邦統一論を支持した。
ダグラス
Douglas, Tommy
[没]1986.2.24. カナダ,オタワ
トミー・ダグラス。カナダの政治家。フルネーム Thomas Clement Douglas。1910年カナダに移住し,マニトバ大学,マクマスター大学,シカゴ大学で学び,1930年にバプテスト派の牧師となる。1935年協同連邦党から連邦下院議員に当選して政界入り。1944年にはサスカチュワン州議会で協同連邦党が勝利を得て州首相に就任(~1961)。この勝利は北アメリカにおける初の社会主義政権の誕生として注目され,数々の社会改革を遂行した。1961年新民主党の樹立とともに党首に推されるまで,州首相を務めた。1962年再び連邦下院議員に当選。1971年に党首を退いたが,1979年まで国会議員として政界で活動した。
ダグラス
Douglas, Norman
[没]1952.2.9. イタリア,カプリ島
ノーマン・ダグラス。イギリスの作家。フルネーム George Norman Douglas。ドイツ貴族の血を引くスコットランドの大地主の家に生まれ,ドイツのカルルスルーエのギムナジウムで学んだ。1893年にイギリスの外交官となったが,ロシアに 3年赴任しただけでやめ,インドやイタリア,北アフリカを放浪後,イタリアのカプリ島に定住した。島の風物や快楽的生活を扱った小説『南の風』South Wind(1917)のほか,『サイレンの住む地』Siren Land(1911),『古いカラブリア』Old Calabria(1915)などの優れた旅行記,自伝『顧みれば』Looking Back(1933)がある。
ダグラス
Douglas, Paul Howard
[没]1976.9.24. ワシントンD.C.
ポール・ハワード・ダグラス。アメリカ合衆国の経済学者,政治家。1921年コロンビア大学より博士号取得。ワシントン大学など各地で経済学の教師をしたのち,1925~48年シカゴ大学教授を務めた。1947年アメリカ経済学会会長。1948~66年民主党所属の上院議員。現実の経済問題に深い関心をもち,統計的実証分析を導入,主著『賃金の理論』The Theory of Wages(1934)や「コッブ=ダグラス型生産関数」の考案などで有名。第2次世界大戦中は海兵隊に入り沖縄で負傷。"Real Wages in the United States1890~1926"(1930)など著書多数。
ダグラス
Douglas
ダグラス
Douglas, Lloyd C.
[没]1951.2.13. カリフォルニア,ロサンゼルス
ロイド・C.ダグラス。アメリカ合衆国の小説家。フルネーム Lloyd Cassel Douglas。ルター派教会ののち会衆派の牧師となり,50歳を過ぎてから小説を書き始めた。処女作『偉大なる妄想』The Magnificent Obsession(1929)で一躍有名になった。ほかに『われらのあやまちを許したまえ』Forgive Us Our Trespasses(1932),『聖なる漁夫』The Big Fisherman(1948)などの宗教小説,自叙伝,説教集がある。
ダグラス
Douglas, Archibald Lucius
[没]1913.4.12. イギリス,ニューナム
アーチボルド・ルシアス・ダグラス。イギリスの来日顧問(→御雇外国人)。イギリス海兵団に属し,中佐のときの 1873年7月,日本政府の招聘でイギリス海軍教師団首長として着任。海軍省雇となり,兵学寮における士官教育を,規則制定,教科編成にわたり主宰。かたわら,練習航海の必要を同省に建言し採用された。こうしてイギリス式海軍編制は彼により確立されたが,任期を待たず 1875年に辞任して,帰国。のち海軍大将。
ダグラス
Douglas, Sir James
[没]1330.8.25. スペイン
ジェームズ・ダグラス。スコットランドの貴族ダグラス家の祖。ブラック・ダグラスと通称される。ロバート1世ブルースに仕えてイングランドとの戦いに功績を上げ,1314年6月バノックバーンの戦いでイングランド王エドワード2世の軍を壊滅させ,その後たびたびイングランドに攻め入った。1329年ロバート1世が没すると,その心臓を持ってエルサレムへの巡礼の旅に出たが,途中イベリア半島でベルベル人と戦って戦死。
ダグラス
Douglas, Gawin
[没]1522.9. ロンドン
ギャビン・ダグラス。スコットランドの詩人,聖職者。ギャビンは Gavinとも綴る。2編の寓意詩『名誉の宮』The Palace of Honour(1501),『ハート王』King Hartのほか,ウェルギリウスの『アエネイス』の翻訳などがある。
ダグラス
Douglas
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