ダグラス(Frederick Douglass)(読み)だぐらす(英語表記)Frederick Douglass

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ダグラス(Frederick Douglass)
だぐらす
Frederick Douglass
(1818―1895)

アメリカ合衆国の代表的な黒人の奴隷制廃止論者。しばしば「公民権運動の父」とよばれる。メリーランド州のタッカホウで奴隷として生まれ、フレデリック・オーガスタス・ワシントン・ベイリーFrederick Augustus Washington Baileyと名づけられたが、父親は白人の奴隷主だったとの説が有力である。彼の出生年については、これまで1817年とされてきたが、ダグラス研究の進展の結果、18年であることが判明した。

 1838年に逃亡に成功し、マサチューセッツ州のニュー・ベッドフォードに定住姓名もフレデリック・ダグラスと改めた。まもなく、ギャリソンなどの著名な奴隷制廃止論者に天賦の才を認められ、マサチューセッツ奴隷制反対協会の講演者として職業的改革者の道に踏み込んだ。45年、彼が残した三つの自伝『Narrative of the Life of Frederick Douglass, an American Slave』(1845)、『My Bondage and My Freedom』(1855)、『Life and Times of Frederick Douglass』(1892)の最初のものを公刊するとイギリスに渡り、約1年8か月間イギリスの同志たちと奴隷制廃止運動をはじめ各種の社会改革運動に従事した。この間、彼らの資金援助を得て自己の自由身分を買い取り、正式に自由黒人になった。帰国後、まもなくニューヨーク州ロチェスターで『ノース・スター』(北極星)を創刊した。黒人自身の手になるこの新聞(週刊)は、数ある奴隷制反対紙のなかでも、ギャリソンの『リベレーター』(解放者)と並んで奴隷制廃止のためのもっとも強力な武器となった。社会改革者としてのダグラスの活動は、奴隷制廃止運動の枠を超えて多方面に及んだが、とりわけ婦人の権利獲得運動において彼が果たした役割は大きかった。

 南北戦争(1861~65)が勃発(ぼっぱつ)すると、ただちにこの戦争を奴隷解放戦争とみ、奴隷解放宣言の布告をリンカーン政府に迫り、また、公布後は、黒人の軍隊参加と軍隊内での人種差別に強く反対した。戦後は、奴隷身分から解放された黒人のアメリカ人としての地位向上と公民権の獲得のために挺身(ていしん)したが、同時にコロンビア特別区の式部官ハイチ共和国の領事を務めるなど、政府の官職にもついた。1895年2月20日、首都ワシントンで没。遺骸(いがい)は、ロチェスターのマウント・ホープ墓地に埋葬されている。

[本田創造]

『Benjamin QuarlesFrederick Douglass (1948)』『Philip S. Foner ed.The Life and Writings of Frederick Douglass (Vol. 1, Vol. 2, 1950;Vol. 3, 1952;Vol. 4, 1955;Vol. 5, 1975)』『Nathan Irvin HugginsFrederick Douglass (1980)』『Dickson J. PrestonYoung Frederick Douglass (1980)』


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