タラス(読み)たらす(英語表記)Taraz

日本大百科全書(ニッポニカ) 「タラス」の意味・わかりやすい解説

タラス
たらす
Taraz

中央アジア、カザフスタン共和国南部に位置するジャンブル州Zhambyl(Dzhambul)の州都。旧称アウリエ・アタAulie-Ata。人口33万0100(1999)、35万7793(2019推計)。隣国キルギスとの国境が近く、キルギスの首都ビシュケクまで東に250キロメートル、ウズベキスタンの首都タシケントは南西に250キロメートルの距離。タラス川の扇状地にあるオアシス中心地。トルキスタン・シベリア鉄道が通る。1864年にロシアの支配下となり、家畜の飼育・売買が行われていたにすぎなかったが、ロシア革命(1917)後、化学工業(過リン酸石灰)、軽工業(羊毛、皮革、ビール醸造)、機械製造・修理工業が急速に発展した。中央アジア有数の製糖コンビナートもある。街はタラスの名で7世紀にはすでに知られ、11~12世紀にカラ・ハン朝の都となった。当時の寺院や廟墓(びょうぼ)(マウソレウム)が現存しており、建築史上でも貴重である。1936年までアウリエ・アタ、1936~38年はミルゾヤンМирзоян/Mirzoyanといったが、カザフの民族詩人であるジャンブル・ジャバエフДжамбул Джабаев/Dzhambul Dzhabaev(1846―1945)を記念してジャンブルと改称。1991年のソ連崩壊後ふたたびアウリエ・アタに改めたが、その後古名のタラスが正称となった。

[山下脩二]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「タラス」の意味・わかりやすい解説

タラス
Talas

中央アジア,キルギス共和国北西部,天山山脈西部支脈の山間を流れるタラス河谷の町で,人口約2万。標高約1300m。皮革・製粉工業などがある。北西約90km,タラス川中流の州都ジャンブル付近に,かつてシル・ダリヤ方面とイリ盆地など東西を結ぶ交通要地で天山北部の東西交易地として栄えたオアシス都市タラスがあった。この町は,歴史上,中国,イスラム遊牧民族などの諸勢力の交渉・衝突の場となったが,とくに751年,高仙芝の唐軍とアッバース朝のイスラム軍がこの付近で戦った〈タラス川の戦〉は有名である。この戦いは,安西都護高仙芝のタシケント攻撃に対して,ソグドなどのオアシス都市国家がアッバース朝の援助を求めて反撃したことが原因といわれるが,双方数万の兵による戦闘は唐軍の大敗に終わった。これによりイスラム勢力の中央アジアでの支配が強固になったが,また,捕虜によって中国の製紙技術が西方に伝えられるなど文化史上の意義も大きい。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「タラス」の意味・わかりやすい解説

タラス
Taras, John

[生]1919.4.18. ニューヨーク,ニューヨーク
[没]2004.4.2. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカの舞踊家振付師。両親はウクライナ移民。9歳で民族舞踊団に参加,13歳で振り付けも行なった。 1936年バレエを始め,アメリカン・バレエ学校に学ぶ。マルコワドーリン・バレエ団,マルキ・ド・クエバス・バレエ団などを経て,1959~84年ニューヨーク・シティー・バレエ団のバレエ・マスター,退団後はアメリカン・バレエ・シアターのアソシエート・ディレクターを務めた。代表作にストラビンスキーの音楽を振り付けた『ダンス・コンチェルタント』 (1971) ,『春の祭典』 (1972) ,モーリス・ラベル作曲の『ダフニスクロエ』 (1975) がある。

タラス
Talas

キルギス北西部の都市。首都ビシケクの西南西約 200km,キルギス山脈西部南麓,タラス川に臨む標高 1280mの地にある。食品 (油脂,パン) ,製靴などの工場がある。タラス川に沿うハイウェーにより北西のジャンブールと連絡。人口約2万。

タラス

タレンツム」のページをご覧ください。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル大辞泉プラス 「タラス」の解説

タラス

2000年に台風委員会により制定された台風の国際名のひとつ。台風番号、第122号。フィリピンによる命名。「鋭さ」を意味する。2011年に発生した台風12号は、全国で73名もの死者が出たほか、世界遺産の熊野那智大社の本殿の一部が土砂崩れにより埋まるなど、紀伊半島を中心に大きな被害をもたらし激甚災害に指定された。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

世界大百科事典(旧版)内のタラスの言及

【紙】より

…この地に割拠していたトルコ系の2諸侯のあいだに戦争が起こり,一方はイスラムに他方は中国に援助を求めた。こうしてイスラムの軍隊と中国が争うようになったが,751年に高仙芝の率いる中国の軍隊はタラス河畔の戦争でイスラム軍に大敗し,多くの兵士が捕虜となった。この捕虜の中に各種の技術者がおり,のちにイスラムの技術に影響を与えたが,製紙術が伝わったのも捕虜となった中国人紙漉工に負うのである。…

【ジャンブル】より

…1936年までアウリエ・アタAulie‐Ata,36‐38年ミルゾヤンMirzoyanとよばれた。タラス川沿い,トルク・シブ鉄道(トルキスタン~シベリア)分岐点。5世紀以来タラスの名で知られていたが,13世紀チンギス・ハーンに破壊された。…

※「タラス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android