タケ(読み)たけ(英語表記)bamboo

翻訳|bamboo

改訂新版 世界大百科事典 「タケ」の意味・わかりやすい解説

タケ (竹)
bamboo

花の形態からはイネ科に所属されるが,栄養器官の特殊性を重要視する意見によれば,タケ科として独立させられる。タケは単子葉植物でありながら,稈(かん)(茎をさす)が木質で多年生になる特異な生活型を有し,また葉に葉柄があって葉鞘(ようしよう)につながり,主として地下茎で無性的に繁殖し,開花はきわめてまれである。タケ類は,約30属500~1000種以上を含む大きな植物群の一つである。

日本では一般に,大型のものがタケで小型のものがササという類別概念が通用している。常識的にはこの区分でよいが,竹の皮(稈鞘)が稈の完成後に落ちるのをタケとし,永くついているのをササとして両者を区別することもできる。しかし,この特徴による区別だと,丈の高いメダケ類がササとなり,丈の低いオカメザサがタケとなる。また中間的なものもある。稈の節ごとの枝の数では,小型のササ類に1節1枝のものが多く,1節2枝以上のものに大型のものが多い。

地下茎はタケの繁殖器官であり,栽培上や生態的研究などに重要な器官である。それには,単軸型(単軸分枝型)と連軸型(仮軸分枝型)が区別される。前者は,地下茎が毎年土中を伸びひろがり,稈は地下茎の芽が地上に伸び出たものである。稈の多くは地上でばらばらに立ち,稈の肉は概してうすい。多くは日本,中国の温帯,暖帯に育ち,たけのこの多くは春先に出る。染色体数は2n=48が多い。連軸型の地下茎はたいてい短く,節間に大きな芽をつけ,その芽が伸びて地下茎とつながった稈となる。そのため稈はかたまって生える。この仲間にはホウライチクなど一部日本の暖地に育つものがあるが,多くは熱帯に分布する。英語名のbambooは,元来はこの株立ちになる熱帯系のタケにつけられたものである。稈の肉は概して厚く,なかには稈の下方はほとんど空洞のないものがある。染色体数は2n=72のものが多い。しかし,単軸型と連軸型の混合的なものもある。稈は地下茎の定芽の生長するものと,稈の根もとからの不定芽が伸び出して稈に生長するものとが混じっている。すなわち,前者では稈がばらばらになり,後者ではかたまって生えたりする。この型はササ類に多く,たけのこはおおむね春先に出る。染色体数は2n=48のものが多い。

タケの仲間が多いのは,温暖なアジアの東南部,アフリカ,南アメリカである。砂漠のような乾燥地帯にはない。日本では,タケは北海道の南部が栽培の北限で,それ以南の全国に育つ。しかしササは熱帯に少なく,むしろ温帯に生い茂り,サハリンや千島列島にまで分布する。

たけのこは地下茎の芽がふくらみ,地上に出てから2~3ヵ月で1本のタケとして生長を完成する。したがって太いタケでは伸び盛りに1日120cmも伸びる。たけのこが伸びきると,稈には形成層がないので,なん年たっても少しも太らない。先端の毎年の伸びも木と違い,稈としては伸びず,小枝のようにきわめてわずかなものが多い。しかし東南アジアの熱帯には稈の先端がどんどん伸長してつる性になるクライミング・バンブーclimbing bambooの一群があり,ときには稈の長さが50mをこえることがある。温帯産のタケの寿命は最高20年ぐらいである。

 タケの繁殖は,主として地下茎の無性的な繁殖による。この無性繁殖を永年繰り返しているうちにただ1回有性的生殖を行い,花を咲かせ,たいていは枯死する。日本に多いマダケは,記録によると約120年を周期として全面的に一斉に開花し枯死する。しかし,開花してもマダケはほとんど種子ができない。地下茎の断片的な部分が数年生きていて,小さいタケがはえ,これがもとになって新しい地下茎と若竹を生やし,開花後10年もたたぬうちに元の竹林に回復する。これと似た開花,更新をたどるメロカンナ・バッキフェラMelocanna bacciferaがインドのアッサム,バングラデシュ地方に分布している。これも花穂に種子ができず,その枝の別な部分にイチジクほどの大きさのむかご(珠芽)がつく。これが地面に落ちて芽を出し,若竹に生育して殖えていく。モウソウチクは,ふつうは一部分だけの開花だが,ときには竹林のタケがすべて一斉に花咲き,種子ができる。熱帯地方のタケや,温帯・寒帯地方のササ類には部分的な開花や一斉的な開花を繰り返すことが多く,たいてい種子がみのる。ササ類には種子によって繁殖するほか,マダケと同じ方法でも再生するものがある。タケの稈は,開花しなくても寿命がくれば死ぬ。タケの大開花の原因については,周期説,栄養源としての炭素と窒素の比(C/N比)による養分説などあるが,まだ十分解明できず,問題は残されている。しかし,環境条件や栄養条件によってではなく,遺伝的に開花現象が決定されているような例も知られている。

タケは食用から建築用材,器具材,種々の工業原料として広範に利用されている。竹材の用途は数百種類の多岐にわたり,家庭用品,建築用,農林水産用,造園防災用などに活用される。茶道具用の茶筅(ちやせん)と茶杓,剣道用の竹刀,楽器類の尺八,笛,笙,ひちりき,版画用のバレン(タケの皮),タケを素材とする美術工芸品などは竹材でなければならない。これら多くの竹材利用は,タケの空洞,優れた割裂性,強い弾性,タケの皮の滑りなど優れた特性を活用している。1882年にはエジソンが日本のマダケのヒゴを炭化してフィラメントとして白熱電灯をつくった。

 工業的な利用としては,紙とレーヨン,活性炭,代替エネルギー,家畜の飼料化などがある。竹パルプから作られる紙は良質であり,炭化した稈のガス吸着力は強い。稈の熱量はkg当り約5000kcalで木材よりも約20%高い。竹材の粉末は栄養分に富み,家畜の飼料にできる。

 若くてやわらかいたけのこはどんな種類のものでも食べることができる。しかし,えぐみや苦みが強い種類もあり,食用にされるのはモウソウチクとネマガリダケのたけのこが多い。美味なのはカンザンチクカンチクハチクホテイチクのものである。日本ではマダケも食用にされるが,それほど美味ではない。たけのこの栄養分はゆでると100g当り36kcalである。さらに,強力な造血作用をもつビタミンB12を含み,食用繊維は整腸作用をもつといわれる。たけのこは生食のほか缶詰にする。ゆでて干して発酵させたメンマ(シナチク)は栄養価値が高い。たけのこの皮はウシの飼料となる。タケの葉はパンダの好餌であるが,家畜の飼料にも利用される。竹瀝(ちくれき)(タケの油)は薬用になり,ぜんそくに効果があるという。若竹や稈の色や枝ぶりなどは観賞され,日本庭園での重要な植栽植物の一つになっている。また,盆栽のほか生花にも活用される。竹林は土中に地下茎が密に根ばりしているので,大地震のとき安全な逃げ場となり,山崩れや堤防の決壊を防ぐ。また密生した竹林は防風林として役だつほかに,騒音を防ぎ,大気汚染に強く,大気の浄化作用などがある。

新植のときは母竹を選び,生きた芽を10個ぐらいつけた若い地下茎をつける。適地は水のたまらぬ土壌。植付けの適期は秋(暖地)から春先(寒地)。肥料は有機質を主としてケイ酸分を加える。タケの地下茎の広がりを止めるには,ビニル板の類をすきまなく土中深さ約80cmまで埋めこめばよい。
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竹は節目正しく,まっすぐに生長し,冬にも青々としていることから,俗気のない君子の植物とされ,此君(しくん),君子,抱節君,処士などの異名をもつ。唐画では,梅,蘭,菊とともに〈四君子〉と称され,気品ある植物としてしばしば画材とされてきた。また,冬の寒さに屈しない植物として,松,梅とともに〈歳寒三友〉に数えられる。一説には,山水,琴酒,松竹を〈三友〉と称し,退廃した世に友とするものとして,その気品がめでられている。竹にまつわる故事では,晋の嵆康(けいこう),阮籍(げんせき),阮咸(げんかん),向秀(しようしゆう),王戎(おうじゆう),劉伶(りゆうれい),山濤(さんとう)の7人が乱れた世俗を避け,老荘の学をもって竹林に清談を楽しんだという〈竹林の七賢〉の話が名高い(七賢人)。また,三国の呉の孟宗が,冬にたけのこを求めた母のために竹林に入って哀嘆したところ,たけのこが生じたという孟宗竹(もうそうちく)の由来は,〈二十四孝〉の一つとして知られる。斑竹の斑紋を涙痕とする由来譚(ゆらいたん)もあり,俗に,舜帝の崩御を悲しんで湘水に身を投じた2妃(湘君・湘夫人)が,舜帝を悼んで流した涙とも伝えられ,湘妃竹,涙竹の異名をもつ。竹の中から子どもが生まれるという伝承も古くより行われ,《後漢書》西南夷伝には,夜郎の国の始祖は,川を流れてきた大竹より生まれた男の子であり,そこで姓を竹と名のったと見える。また,四川省チベット族に伝わる〈斑竹姑娘〉の物語は,竹の中から生まれた美女が,権勢をたのんだ求婚者たちに難題を課して翻弄するというもので,日本の〈かぐや姫〉の説話ときわめてよく似ている。
執筆者:

竹は,歳寒(さいかん)の三友(さんゆう),すなわち,〈松竹梅〉の一つとして,日本では慶事に用いられるので,日本人と竹との密接なかかわりはよほど古い時代にまでさかのぼるかのように考えられがちであるが,その〈松竹梅〉の取合せが文献に登場するのは室町時代のことでしかなく,竹が庶民生活と離れがたく結びつくのもその時代以後のことである。

 もちろん,竹は古代日本にも存在していた。竹の類を用いたと思われる遺物が発見されているし,マダケの日本自生説もある。しかし,古代の文献や古典において竹がどのように表現されているかをみる限りでは,竹はもっぱら貴族支配層によって占有され,賞美されていたものと考えざるをえない。

 竹は記紀神話にはやばやと登場する。《古事記》上巻,黄泉国(よみのくに)の段に,伊邪那美(いざなみ)命が黄泉醜女(よもつしこめ)をつかわして伊邪那岐(いざなき)命を追わしめたときに伊邪那岐が〈右の御美豆良(みみずら)に刺せる湯津津間櫛(ゆつつまぐし)を引き闕(か)きて投げ棄てたまへば乃ち笋(たかむな)生(な)りき〉とある。笋は竹芽菜(たかめな)の義。投げた櫛がたけのこになったというのだから,櫛は竹製だったのであろう。そして,〈斎(ゆ)つ爪櫛(つまぐし)〉というのだから,これはたんなる装飾具ではなくて鬼神や邪霊を避け退けるための呪具(じゆぐ)だったのであろう。しかし,そんなに霊験を発揮する呪具だとすると,この竹製品が簡単に古代人のだれしもの手に入ったとは考えられない。祭祀遺跡から出土される宝石や宝剣がだれしもの手に入ったと考えられぬのと同様である。

 竹が呪具=祭器に用いられた例証は《万葉集》にもみえている。巻三の〈大伴坂上郎女,神を祭る歌〉に〈ひさかたの天の原より 生(あ)れ来る神の命(みこと) 奥山の賢木(さかき)の枝に 白香(しらか)つけ木綿(ゆう)とりつけて 斎瓮(いわいべ)を斎ひほりすゑ 竹玉(たかだま)を繁(しじ)に貫(ぬ)き垂り 鹿猪(しし)じもの膝折り伏せて 手弱女(たわやめ)の襲衣(おすい)取り懸け かくだにもわれは祈(こ)ひなむ 君に逢はじかも〉とある。ここに歌われている〈竹玉〉は,竹を短く切ってひもで貫いたもの,もしくは,玉籠の類であったろうが,いずれにしても,そこに神霊が宿ると信じられた。当然,竹は貴重品でなければならないし,これを所有しうる人といったら,ごく一部の特権階級のみに限られてくるのもやむをえなかった。

 《万葉集》には,竹に関する歌が,長歌,短歌合わせて20首ほどみえる。ところが,純然たる植物としての竹を詠んだ歌は,このうちわずかに4首しかない。残りの歌は,直接的に竹を詠んだのではなくして,比喩として用いられたり,枕詞として使われたり,それを材料にして作られた呪具=祭具である〈竹玉〉〈竹珠〉について歌われたりしたものばかりである。これらは,明らかに,自然界の一部として存在する竹を諷詠(ふうえい)したものではなく,律令宮廷社会に関係をもった人物および事がらを表象するシンボルとしてのみ歌われている。植物である竹そのものを詠じた短歌も,その3首までは,律令文人官僚貴族によって産みだされた諷詠であった。すなわち,巻五に載る小監阿氏奥島の1首〈梅の花散らまく惜しみわが苑の竹の林に鶯(うぐいす)鳴くも〉と,巻十九にみえる大伴家持の2首〈御苑生(みそのう)の竹の林に鶯はしば鳴きにしを雪は降りつつ〉〈わが屋戸のいささ群竹(むらだけ)吹く風の音のかそけきこの夕(ゆうべ)かも〉である。

 これら例歌が〈わが苑の〉〈御苑生の〉〈わが屋戸の〉というふうに〈竹の占有〉を宣言していることが注意される。長岡京の遺跡から排水溝に使用されたマダケが発見されたが,これも権力者によって占有されていた証拠といえよう。正倉院御物のなかにある笙,尺八,筆などはハチクで作製されたものであるが,これらが特権階級の占有に属していたことも冗言を要しない。

 すでに明白になったが,記紀万葉にあらわれる竹は,なるほど用例や頻度数においては僅少だったとは言いきれないけれど,これをもって竹と日本古代人一般の生活との関係が親密だったと推断することはできない。それどころか,柿本人麻呂田辺福麻呂(たべのさきまろ)や大伴家持が竹を詠じたときには,竹こそは7~8世紀律令宮廷社会の権力と栄光とを含意する文化記号であるとの知的了解を踏まえていた。もちろん,竹によく似た自生品種であるササ(笹)やシノ(篠)は日本国じゅうのどこにも見られたから,いったん律令官人の身分階級を離脱して個人的抒情を歌い上げるときにはもはや竹を詠材にしない。例えば,有名な〈小竹(ささ)の葉はみ山もさやにさやげども吾は妹思ふ別れ来ぬれば〉(巻二)が想起される。律令文人貴族たちは,先進大国である中国の詩文や政治儀式や宗教習俗を懸命に模倣=学習し,中国で竹が神聖化され重要視されているのを知って,みずからもその文化を享受=咀嚼(そしやく)すべく竹を詩歌に詠み込み,それにより,王道イデオロギーを地でゆく大陸政治思想に触れる行為を実践したつもりになっていたと考えられる。その典型的な例証は《懐風藻》に求められる。釈知蔵は〈此の芳春の節(とき)を以ちて 忽(たちま)ちに竹林の風に値(あ)う〉〈茲(こ)の竹林の友に因りて 栄辱(えいじよく)相驚くこと莫(な)し〉と詠じ,境部王(さかいべのおおきみ)は〈雪を送りて梅花笑み 霞を含みて竹葉清し〉と詠じ,背奈王(せなのきみ)行文は〈竹葉禊庭に満ち 桃花曲浦に軽し〉と詠じている。すべて中国詩文の換骨奪胎である。

 古代律令貴族文人にとって,竹といえばただちに先進中国文化を思い描かずにおられなかったことは,べつの観点からもみてとれる。《万葉集》に〈昔老翁(おきな)ありき。号(なづ)けて竹取の翁と曰(い)う也。この翁,季春の月にして,丘に登り遠く望むときに,忽に羹(あつもの)を煮る九箇(ここのはしら)の女子(おとめ)に値(あ)いき。百嬌儔(たぐい)無く,花容止(やむこと)無し。……〉の詞書で始まる〈竹取の翁〉の伝説歌謡(巻十六)が載っている。この老翁が,3月,丘に登って仙女に出会い,おのれの華やかな青春を追想し,最後に棄老伝説をのぞかせる筋立てになっている。明らかに,この長歌は《遊仙窟》に題材をとったもので,漢文学の高い素養をもった律令貴族文人でなければとうていつくりえない。しかも作者は,ユートピアをかいま見た老翁を〈号けて竹取の翁と曰う也〉と明記せずにはおかなかった。竹の内包する詩文的=宗教儀礼的意味は,この用例によっていっそう鮮明に限定される。

 同じ〈竹取の翁〉を主人公にしているとはいっても,平安朝の産物である《竹取物語》になると,中国文学の受容のほかに,朝鮮半島や東南アジアからの影響も見られることが確かめられている。しかし,《竹取物語》を管理し,これに喜んで耳傾けたのは平安王朝貴族たちに限られた。なにしろ,肝心の竹を私有しうる人の数が少なかったのだから。物尽し風に類纂(るいさん)的叙述をしている《枕草子》をみても,清涼殿東庭に植えられた〈呉竹(くれたけ)〉に関して二,三の言及をしているにすぎない。もっとも,平安末期成立の《日本紀略》弘仁4年(813)の条に〈天下呉竹悉植〉とあり,かなり早期に中国原産ハチクの輸入移植が行われた事実を公式承認してはいるが。

 竹がひろく民衆にまで分かち与えられるためには,中世末ないし近世初頭まで待たねばならなかった。日本風景にとって不可欠な要素となっている竹林は,ここ数百年間における民衆の園芸技術的努力に負う部分も多かったといえる。ついでに記すと,これは竹類のなかでもシノ,ササに関する話だが,1832年(天保3)の飢饉のさい,飛驒高山ではスズタケが大開花して実を結び,なんと25万石も採れて人民を救ったという。これこそ,竹と日本人の関係の密接さを物語るものである。現代のわれわれは,ともすれば竹を趣味的に見がちだが,それだけでは不十分である。

 最後に語源について触れておくと,貝原益軒《日本釈名(にほんしやくみよう)》(1699)は〈竹(たけ)高きなり。けとかと通ず。筍(たかんな)は旬日の間に長じて,高き事天にそびゆ。是草の中いと高き物也〉と説明する。谷川士清(ことすが)《和訓栞(わくんのしおり)》(1777)には〈○たけ 長をいふハ高きの義也年のたけたる徳のたけたるなと皆同意なり○丈をよむも長き意也○竹ハ一旬にして長高きの意也といへり〉とある。大槻文彦《言海》には〈たけ(名)竹[丈(たけ)高ク生ヒ延ブレバイフ]植物ノ名〉とある。これらの語源説明が駄じゃれに過ぎると考える人には,唐音tiku,呉音tuku,tokuならば簡単にtaku,takeに音声的転化がなされうるとの参考意見を添えておく。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「タケ」の意味・わかりやすい解説

タケ
たけ / 竹
bamboo

イネ科(APG分類:イネ科)Gramineaeのタケ亜科Bambusoideaeに属する植物の総称。茎は地上茎(一般に中空であるため、稈(かん)とよぶ)と地下茎からなり、ともに細胞壁が木質化して堅く、よく分枝する(中南米の熱帯には、草質で分枝しないものもある)。イネ科はタケ亜科のほか、イチゴツナギ亜科Pooideae、キビ亜科Panicoideaeなど12の亜科からなるが、タケ亜科の栄養器官(茎、葉など)の特異性を重視し、タケ科Bambusaceaeとして独立させる説もあった。

[鈴木貞雄]

分類

タケ亜科は大きく二つに分けられ、竹の皮(稈鞘(かんしょう)とよぶ)がタケノコの成長に伴い下部のものから順次落ちるものをタケ、稈の成長後も落ちないものをササとする。しかしこれは分類学上の分け方ではなく、便宜上のものにすぎず、分類学的には属を規準とする。タケ類には、地下茎が短く、稈が多数株立ちになるものと、地下茎が長く、稈がまばらに立つものとがある。前者にはホウライチクやダイサンチクなど、後者にはマダケ、モウソウチク、ナリヒラダケ、トウチク、シホウチク、オカメザサ、インヨウチクなどがある。ササ類にはクマザサ、チマキザサ、ミヤコザサ、アズマザサ、スズタケ、ヤダケ、メダケ、ネザサ、カンチクなどがある。これらタケ亜科の植物を一括してタケ・ササ類とよぶこともある。

[鈴木貞雄]

分布

世界に116属1400種が知られ、熱帯地方のとくに雨の多い地帯に豊富で、モンスーン地帯にある東南アジアやインド、中国南部、中央アメリカ、南アメリカに種類が多い。北限は、アメリカ大陸では北アメリカの北緯約40度、東アジアでは比較的北方に伸び、樺太(からふと)(サハリン)の北緯50度をわずか越え、千島列島の北緯約45度(中千島)などである。

[鈴木貞雄]

タケ亜科の特徴

イネ科の植物は、生殖器官である花を例にとると、各亜科とも共通した類似点をもっている。しかも、イチゴツナギ亜科やキビ亜科では栄養器官も類似点が多い。したがって、この2亜科の場合、花の特徴を厳密に検討しないとそのいずれであるかを識別することはできない。しかし、タケ亜科の場合は、栄養器官だけで一見してそれとわかる特徴をもっている。以下に、葉の形態などの特徴点を示す。

 タケ亜科では葉に稈鞘と普通葉の二つの型があり、そのような二型性はほかの亜科よりもはるかに著しい。すなわち、稈鞘と普通葉はもともと相同器官であり、稈鞘は若い稈を保護する方向へ分化し、そのため葉身は発達せず、小形の鱗片(りんぺん)状にとどまり、稈が成長すると稈鞘全体が枯れる。それに対して普通葉は、葉鞘が稈や枝の先端部だけを保護し、葉身が発達して栄養摂取の方向へ分化したものである。生存期間も稈鞘よりははるかに長い。そのため両者は一見たいへん異なるもののようにみえるが、構成部分はほとんどまったく同じである。

 タケ亜科では葉身と葉鞘の間に関節があって離脱しやすいが、ほかの亜科では関節がなく、葉が枯れても葉身は落ちない。またごく特殊な例を除いて、葉は通常細長く、線形で、葉柄がないが、タケ亜科では葉身は幅広い披針(ひしん)形となり、その基部にははっきりした葉柄がある。さらに多くのものは葉鞘の上縁の葉柄の基部左右に肩毛(かたげ)があるが、ほかの亜科には肩毛がない。肩毛は耳状に突出した葉耳(ようじ)の縁に列生するものと、葉耳がなく、葉鞘から直接出るものとがある。葉耳も肩毛も脱落しやすく、通常半年くらいで落ちてなくなる。葉鞘と葉柄の境目に襟のような形の葉舌(ようぜつ)があることは、ほかの亜科とまったく共通な特徴である。

 また、ほかの亜科では花序のほかは枝を出すことがまれであり、また枝の数もごく少ないが、タケ亜科では大部分のものは1節から1ないし数本の枝を出し、その数と形はおおむね属によって一定している。

 タケノコ(地下茎につく芽が肥大して稈に成長する初期の状態)はその漢字「筍」が示すように、一旬(10日間)でタケになるというほど成長が速い。それは稈の頂端の成長点と各節のすぐ上の成長環(分裂組織)の両方の細胞分裂によるからで、成長の仕組みはほかの亜科でも同じであるが、タケ亜科では節の数がすこぶる多いので、速さがよく目だつわけである。太いマダケやモウソウチクでは1日に1.2メートルも伸びた記録がある。

[鈴木貞雄]

地下茎

特徴

地下茎は周囲に広がり、また人為的に株分けできるなど、繁殖器官として種子以上に重要な場合が多い。稈は一般に内部に広い空洞があるが、地下茎は肉が厚く、空洞が狭く細い。肉が厚いことは栄養分や水の貯蔵に役だつことになる。とくにマダケ属では空洞がなく、中実であることが多い。地下茎が立ち上がって稈になった場合は稈の下部は中実になりやすい。そのようなものを実竹(じっちく)といい、印材や杖(つえ)に利用される。

[鈴木貞雄]

分枝

地下茎は分枝して伸び、広がる。分枝には単軸分枝と仮軸分枝の二つの型がある。単軸分枝では主軸が伸長し、その先端の芽(頂芽(ちょうが))は越冬後ふたたび伸長を続け、毎年それを繰り返す。この例としてはマダケ属、メダケ属などがある。年次の継ぎ目の部分は10節ほどがまとまり、節間は著しく短縮する。これに対して仮軸分枝では主軸の先が1年で止まり、次の年にはその先端近くのわきに出る芽(側芽(そくが))が伸びて新しい地下茎になり、毎年それを繰り返す。この例としてはナリヒラダケ属、ササ属、アズマザサ属などがある。単軸分枝をするものでは地下茎の先端からもとの方へ節間の短縮部を、また仮軸分枝をするものでは地下茎の分枝点をたどることによって、それぞれの地下茎の年次を知ることができる。それらの地下茎はいずれも稈よりずっと細く、また節間も稈よりははるかに短い。そのため細型地下茎という。

 単軸分枝をする地下茎でも、先端が立ち上がり、稈になることがある。この場合、稈基部の地下茎の側芽から新しい地下茎が出るのが普通である。つまりその場合は仮軸分枝となる。

 一方、熱帯性のタケはほとんど全部仮軸分枝をする。それは、主軸があまり伸びず、先端が立ち上がって稈になる。地下茎の大部分と稈は上下に1本に連なり、地下茎のほうが稈よりも太い。そのようなものを肥厚型地下茎という。この例としてはホウライチク属などがある。

[鈴木貞雄]

側芽

新しい地下茎には各節ごとに1個ずつ側芽がつく。側芽のつく位置は、新しい地下茎が出るごとに左右および上下の方向を交互に繰り返す。すなわち、初め地下茎の左右の方向についていたとすると、その地下茎から出た新しい地下茎では上下の方向につき、これを次々と繰り返す。側芽は次の年に全部が稈または地下茎になるのではなく、ごく少数のものが伸長し、ほかのものは休眠芽となる。地下茎の寿命は長いものでも10年くらいまでで、側芽のうちには地下茎が枯死するまで休眠芽で終わるものがかなりある。

[鈴木貞雄]

タケの地上部すなわち稈の立ち方は種類によって異なる。マダケ属では側芽から出た稈は1本立ちとなる。これに対し、メダケ属やササ属は、稈の基部の地中部の側芽が伸び、仮軸分枝によってただちに稈となり、このことを数回続け、そのため稈は互いに接近して立つようにみえる。また熱帯性のタケは、地下茎の側芽が初め水平に伸び、ただちに立ち上がって稈になり、これを次々と繰り返す。そのため稈は互いに接近して株立ちとなる。

 稈は一般に中空で、節に水平の隔壁があるが、熱帯地方には中実のタケが少なくない。

[鈴木貞雄]

イネ科は小穂が基本単位であり、その柄、つまり小柄の先が小軸となり、この小軸の上に鱗片が左右2列に並ぶ。その鱗片は花穎(かえい)(護穎)と内花穎(内穎)の2個からなり、そのなかに1個の花が包まれるように入っている。花穎、内花穎および1個の花は一体となり、その三つをあわせて小花という。鱗被(りんぴ)は花弁の退化したもので、タケ亜科では大部分が3個で、ほかの亜科では2個のものが多い。タケ亜科では花序の枝、小花の基部、または花穎と内花穎の間などに関節がなく、そのため果実(穎果)は裸で脱落する。それに対してほかの亜科では花序や花部のどこかに関節があり、そのため果実の大部分のものは花穎と内花穎、または内花穎だけに包まれて脱落する。

[鈴木貞雄]

開花

タケはめったに開花しないが、開花するときは竹やぶや笹原(ささはら)の一部におこる場合と、全部におこる場合とがある。全面開花では期間が数年にわたり、そのあとはほとんど全部が枯れる。開花の周期については30年説、60年説、120年説があり、日本のタケは60年説または120年説が有力である。開花の原因には、植物自身のもつ周期性によるとするもの、植物成分中の炭素と窒素の割合によるとするもの、栄養の状態によるとするものなどの諸説がある。凶年に開花するというのは迷信である。ササの実は凶作のときなどには食用にされるが、その反面ノネズミが大発生して農作物に被害がおこることが多い。

[鈴木貞雄]

利用

用途

東洋諸国にはタケの種類と量が豊富で、材料が入手しやすいことと加工が容易なため、建築材、家庭用具、農具、漁具、楽器、玩具(がんぐ)、茶道具、華道具など、あらゆる方面に利用される。また日本人の手先の器用さにより、工芸品や装飾品に至るまで製作が盛んで、全国にはその指導所が少なくない。新年の門松や七夕(たなばた)の飾り、松竹梅の縁起物など、タケは日本人の生活に欠かせないものとなっている。そのほか漢方薬の原料、タケノコの食用、竹紙のパルプ材となり、エジソンの発明による電球のフィラメントの材料となった京都府石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)のタケは有名である。昔から、地震のときは竹やぶが安全であるといわれるが、近年、タケの土壌に対する緊縛力は植物界で最高であることが実験的に証明され、護岸や土止めのため傾斜地に植えられる。このほかタケは観賞用に適し、また目隠しや日よけなど、美観や実用にも役だち、いろいろな種類が植えられている。近代的な建物に大形のモウソウチクが利用されたりしているのはその好例である。小形のタケは盆栽にされたり、庭木や石の根締めにされる。

[鈴木貞雄]

種類と特性

それぞれの種類の特性を生かしたさまざまな用途があるが、日本で利用されるおもな種類とその特性は以下のとおりである。

 マダケは質が緻密(ちみつ)で粘り気があるため、細く裂くのに適し、日本のタケ類ではもっとも利用度が高い。竹刀(しない)や弓の素材として最上級であり、尺八や版画のばれん(竹の皮)はマダケに限られ、また丸竹は竹梯子(ばしご)に重用される。

 モウソウチクは肉が厚く柔らかく、機械にかけやすく、しゃもじや箸(はし)などの大量生産に適し、また何枚にもはいで格安な籠(かご)にされる。小枝は密に分かれ、強いので、竹箒(たけぼうき)や垣根に適し、海苔(のり)のそだにも利用される。

 ハチクはとくに細割りがきき、茶筅(ちゃせん)や提灯(ちょうちん)の骨の材料とする。材が堅いので机や椅子(いす)の脚にもされる。

 クロチクは稈の黒みを生かし、丸竹のまま細工され、軸掛けや筆軸にされる。

 ホテイチクは稈の奇形部の手持ちがよいので釣り竿(ざお)や杖にして愛用される。

 オカメザサは節が高いので、籠に編むと水切りがよく、食器洗いの際に用いられる。また節の高さは菓子箸にして風雅である。

 ヤダケは節が低く、節間が長く、まっすぐで強く、太さが適度なので、弓矢にされる。矢はヤダケに限られる。

 チマキザサやクマザサは葉が大きく、毛がないので、食物を包んだり、仕切りにされたりする。

[鈴木貞雄]

語源

タケは、英語ではbamboo、ドイツ語ではBambus、フランス語ではbambouと書き、いずれもマレー語のbambuから転訛(てんか)したもので、これは、山火事などのとき、タケの稈の空洞が熱気のため破裂する音からきているといわれる。タケの語源については、一般に、タは高きの義、ケは木の古語、すなわち「高き木」の意味であるという説が採用されている。またタケノコの成長が速いことから「痛快茎延(いたくきは)え」が詰まってタケになったともいわれる。タケは万葉仮名で多気、多介、太計、陀気などと書き、現在一般に使われている竹は漢字であって、タケの葉の容姿から出た象形文字である。

[鈴木貞雄]

民俗

身近な素材として日常生活の各種用具に使われているタケは、民俗行事のなかでも無限に近いほど多く使用されている。とりわけ神祭りには欠かすことのできないもので、その代表的なものが7月7日の七夕祭に使われるアオダケである。これは盆に先だって庭先に立てられるもので、青々とした緑のタケを立てることにより、このころに訪れる精霊の依代(よりしろ)としたと考えられる。正月の14日あるいは15日に各地で行われる道祖神祭の小屋の骨組をはじめ、空高くそびえるのはタケの穂先であり、山地などではかわりに緑の木となることもある。門松も山国や寒冷地では樹木だが、暖地ではおもにタケが使われている。

 新潟県糸魚川(いといがわ)市青海(おうみ)地区では、正月15日に「竹のからかい」という行事が行われる。これは道祖神祭の一環として行われ、2組に分かれた青年がタケを1本ずつ出し合って2本いっしょに引き合うという綱引きのようなもので、出したほうのタケが折れれば負けとする。この行事は年の初めにあたっての年占(としうら)の意味があったと思われる。また三重県神島(かみじま)では元日の早朝に、「ゲーター祭り」というのを行う。グミの枝で直径2メートルほどの輪をつくり、これを太陽に見立て、100余名の若者が浜辺で手に手にアオダケを持ってこの輪を空に向かって高く支え上げるという勇壮な行事である。もともとは旧暦の元旦(がんたん)に行われたもので、新春を迎え、力強い太陽の光を待ち望む願いを表していると考えられる。冬枯れの木では神を迎えるのに似合わず、冬でも緑を保つもの、すなわち雪の重みにも耐え、しかも春とともにそれを跳ね返して成長するタケの生命力が、神の来臨を仰ぐのにふさわしいものとされたのであろう。

[小林梅次]

文学

成長が速く生命力が強いため、霊力をもったものとして、松竹、松竹梅などと並称されて、古くから賞玩(しょうがん)された。松竹梅は「歳寒三友」という漢文学的発想から出たものといわれる。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が黄泉国(よみのくに)から逃げ帰るときに、湯津津間櫛(ゆつつまぐし)を引き闕(か)いて投げ付けたら笋(たけのこ)が生じたという話、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)(山幸(やまさち))が海神のもとに五百箇竹村(いおつたかむら)からとった竹でつくった籠(かご)に入って赴いたという話などが、『古事記』にみえる。竹を輪切りにして緒を通したものを「竹玉(たかたま)」といって神事に用い、『万葉集』に「竹玉を 繁(しじ)に貫(ぬ)き垂(た)れ」(巻3)などと詠まれている。『万葉集』には竹取翁(たけとりのおきな)と仙女との神婚譚(たん)を伝える長歌(巻16)が収められ、平安時代の『竹取物語』へと展開していくが、かぐや姫物語と関連深い鶯姫(うぐいすひめ)の伝承も竹林と結び付いている。

 一方、美的な対象として、「梅の花散らまく惜しみ我が園(その)の竹の林に鶯鳴くも」(巻5・阿氏奥島(あじのおきしま))、「我が宿のいささ群竹(むらたけ)吹く風の音のかそけきこの夕べかも」(巻19・大伴家持(おおとものやかもち))などと詠まれている。「世(よ)に経(ふ)れば言(こと)の葉(は)しげき呉竹(くれたけ)の憂き節(ふし)ごとに鶯ぞ鳴く」(雑下)のように、「竹」の縁語の「節(よ)」「節(ふし)」を掛けて詠むのが王朝和歌の類型的な詠み方である。清涼殿の東庭に植えられている「呉竹(くれたけ)」「河竹(かわたけ)」は和歌にしばしば詠まれている。季題は春の「筍(たけのこ)」「竹の秋」、夏の「竹植う」など。

[小町谷照彦]

『室井綽著『竹・笹の話』(1969・北隆館)』『鈴木貞雄著『日本タケ科植物総目録』(1978・学習研究社)』『上田弘一郎著『竹と日本人』(1979・日本放送出版協会)』『上田弘一郎著『竹と暮らし』(1983・小学館)』


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内のタケの言及

【開花病】より

…タケは普通花が咲かずに少しずつ枯死更新していくが,数十年経ったタケが急に開花することがある。そうするとそこのタケはすっかり枯れてしまう。…

【籠】より

…竹,蔓,木の小枝,針金などを編んでつくった入れ物。語源は定かではないが,上代に〈こ〉と呼ばれていたことを考えれば,〈か〉の由来する言葉との合成語であることがわかる。すなわち〈か〉は竹の意とも堅の意ともいわれ,〈こ〉に形容的に冠している。あるいはまた,構籠(かきご)や囲むの略義であろうとする説もある。籠の文献上の用例としては,まず鎌倉時代に書かれた《名語記》の〈こころ流浪の行人のせなかに負たる籠をかこおひとなつけたり〉をあげることができる。…

【ササ(笹)】より

…イネ科の多年生植物。タケ科に分けることもある。タケもササも地下茎によって無性繁殖し,まれに花が咲くが花弁はなくよく似ているので,大型のものをタケ,小型のものをササと一般に呼ぶならわしとなっている。…

【専売】より

…国あるいはその他の公権力が,なんらかの行政的な目的をもって,特定物品の生産あるいは販売を独占することをいう。専売は,その目的により,財政専売または収益専売と,行政専売または非収益専売とに分けることができる。前者は,政府等が特定の物品を独占的に生産・販売することによって財政収入を得ることを目的とするもので,タバコ,火酒(アルコール度の高い酒)などの専売がこれに当たる。この場合には,国民はその物品の購入に際して,政府の決定した価格による対価の支払を強制されるため,実質的には消費税を課したのと変わらない結果になる。…

【竹紙】より

…竹を製紙原料とする紙。中国では唐の初めころから漉(す)かれたとみられ,薄いわりにはじょうぶで平滑なため,書画などに用いられた。北宋以後,技術向上によりさらに良質で大量かつ安価につくられるようになり,宋元版をはじめ,明・清には版本や書画用に最も多く用いられた。原料とされる竹はマダケやハチクなど50種以上あり,《天工開物》によれば,枝葉の生えようとしている竹を最上とし,6月6日ころに山上で竹をきる。1.5mほどにきって溜池に100日以上漬けてから槌でたたいて清水で皮を洗い去り(これを〈殺青(さつせい)〉という),繊維状になったもの(竹麻(ちくま))に石灰を塗って8昼夜ほど煮る。…

【竹林】より

…タケ類から成る林。日本の竹林の大部分はマダケとモウソウチクである。…

【花】より

…例えば,日本古典にウメが初登場するのは《懐風藻》においてであるが,これは中国の類書にみえる詩の表現を換骨奪胎して作りあげたものでしかなく,むしろ,このような中国の類書を下敷きにした作詩法をつうじて〈花の見かた〉そのものを学習したというのが真実相であろう。 また,モモが幽冥界の鬼を追っ払うほどの呪力(じゆりよく)をもつとされたり(《古事記》上巻),ハチスの花が美女および恋愛を連想させたり(《古事記》下巻),キクが宮廷特権階級の地位保全を約束するユートピアの花として信仰されたり(《懐風藻》長屋王作品ほか),ヤナギの枝が死者との交霊や農業予祝儀礼のための祭祀用具に用いられたり(《万葉集》),タケが呪具=祭具として用いられたほか,皇子・大宮人の枕詞として使われたりする(《万葉集》)。これらには,いちいち確実な典拠が中国古典に載っている。…

※「タケ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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