ソルジェニツィン(読み)そるじぇにつぃん(英語表記)Александр Исаевич Солженицын/Aleksandr Isaevich Solzhenitsïn

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ソルジェニツィン」の意味・わかりやすい解説

ソルジェニツィン
そるじぇにつぃん
Александр Исаевич Солженицын/Aleksandr Isaevich Solzhenitsïn
(1918―2008)

ロシア作家共産党の支配するソ連体制といわばペン一本で対決し、ソ連社会の根幹を揺るがすほどの巨大な影響力をもち、彼の名は国際的に広く轟(とどろ)きわたった。1970年ノーベル文学賞受賞。

 カフカスキスロボーツクに生まれる。両親ともに農家の出身。生まれる半年前に父が事故で亡くなり、母の手で育てられる。少年時代をロストフ・ナ・ドヌー市で過ごし、1936年にロストフ大学物理数学科に入学、得意だった数学を専攻するが、その一方で、文学にも興味をもち、モスクワ哲学・文学・歴史大学の通信講座で学んだ。1941年、第二次世界大戦の独ソ戦勃発(ぼっぱつ)とともに招集され、砲兵学校での訓練を経て、偵察砲兵中隊長となり前線で戦った。しかし、戦時中、友人との文通のなかでスターリン批判のことばを不用意にもらしたことが検閲によって摘発され、1945年に逮捕され、懲役8年の刑を受けた。刑期のうち約3年間(1947~50)はモスクワ郊外マルフィノの研究者を集めた特殊収容所で数学の専門家として研究に携わり、その後1953年まで北カザフスタンのエキバストゥスの収容所で肉体労働に従事した。1953年に刑期を終えると、南カザフスタンのコクテレク村に無期流刑となり、学校教師として働いた。1954年には、タシケントの病院で癌(がん)の手術を受ける。そして1957年には公式に名誉回復を受け、中部ロシアのリャザニに移り、教師の仕事を続けた。

 作家としてのデビュー作となったのは、自らの収容所体験に基づいた『イワン・デニソビチの一日』。この作品は、フルシチョフの決断を受けて文芸誌『ノーブイ・ミール』1962年11月号に掲載され、ソ連の収容所の実態を初めて克明に描いた作品として世界的な反響をよび、ただちに多くの外国語に翻訳された。その後、「マトリョーナの家」(1963)、「コチェトフカ駅の出来事」(1963。発表時のタイトルは、政治的配慮から「クレチェトフカ駅の出来事」と変えられていた)などの短編を発表するが、やがてソビエト共産党側からの批判が強まり、1960年代なかば以降はソ連国内での作品発表の可能性を完全に閉ざされた。

 1967年5月には第4回ソビエト作家同盟大会にあてて公開状を送り、検閲廃止を訴えた。またソ連国内で出版を許されなかった長編『ガン病棟』と『煉獄(れんごく)のなかで』(原題「第一圏にて」)は、ともに1968年に国外で出版された。前者はタシケントの癌病棟を舞台にして人間の生と死を見つめた作品、後者は科学者を集めたモスクワ郊外の特殊収容所の生活を描いた作品で、いずれも作家本人の経験をもとにしている。また同じ1968年には、ロンドンで戯曲『鹿(しか)とラーゲリの女』が発表された。公然とソ連体制を批判しながら作家活動を続けるソルジェニツィンに対するソ連当局の弾圧は厳しさを増し、1969年に彼はソビエト作家同盟を除名されたが、国際的名声は高まる一方で、翌1970年にはノーベル文学賞を授与された(ただし、いったん国外に出ると帰国できなくなる恐れがあって、授賞式には欠席)。

 1973年暮には長編『収容所群島』の第1巻をパリで出版、翌1974年2月に逮捕され、ソ連市民権を剥奪(はくだつ)されて西ドイツに強制追放される。この事件は世界のマスコミを騒然とさせる国際的スキャンダルとなった。追放後はしばらくチューリヒに住んだあと、1976年アメリカに移住、バーモント州の田舎(いなか)に家を構えて、執筆活動に没頭した。国外追放後に刊行が完結した『収容所群島』全3巻(1973~1975)は、ソ連の収容所の歴史と実態を膨大な資料や証言に基づいて描き出したドキュメンタリー小説である。亡命後の執筆活動の中心になった全4部の巨大な歴史長編『赤い車輪』(『1914年8月』『1916年10月』『1917年3月』『1917年4月』、1971~1991刊行。ただしそれぞれの巻は「巻」や「部」ではなく、「結び目」という独特な呼び名が与えられている)は、やはり膨大な史料の調査を踏まえて、革命へ至るロシアの歴史を書き直そうとした壮大な試みだが、『収容所群島』ほど広く読まれることはなかった。

 亡命後のソルジェニツィンは、反共的な対決姿勢を強める一方、欧米の現代文明の腐敗を批判し、亡命者として長年アメリカに暮らしながらも、欧米の文化の影響を受けることはほとんどなかった。そしてロシアが潜在的に保持してきた優れた道徳的・宗教的価値を高く評価しようとする民族主義的な立場をはっきりと示した。1978年にハーバード大学で行った講演は、そのような彼の主張をはっきりと打ち出したものであり、欧米の多くの知識人を驚かせ、憤慨させることになった。1982年(昭和57)9月ひそかに来日、翻訳者の木村浩(1925―1992)とともに約1か月日本各地を旅行した。1994年には20年に及んだ亡命生活に終止符を打ち帰国することを決意、極東からシベリアを横断してモスクワ入りした。帰国直後には彼をロシア大統領に推す声も聞かれたほどだが、20年の不在の間にソ連・ロシア社会は激しく変化しており、彼も以前ほど大きな社会的影響力をもちえなくなっていた。

 帰国後に発表された著作としては、一連の「二部構成の短編小説」(1993~ )や、さまざまなロシア作家についての評論のシリーズ「文学的コレクション」(執筆は1980年代なかばから)、ロシアにおけるユダヤ人についての歴史的研究『200年をともに』第1~2部(2001~2002)などがある。また、『ノーブイ・ミール』誌に断続的に掲載された『穀粒が二つの石臼(いしうす)の間にはまり込んだ』(1998~ )は、ソ連追放後の克明な回想で、作家としてのデビューから国外追放までを扱った自伝『仔牛(こうし)が樫(かし)の木に角(つの)突いた』(1975)の続編となっている。

 またソルジェニツィンには、「ソ連指導者への手紙」(1973)、「嘘(うそ)によらず生きよ」(1974)、「ロシアをいかに立て直すか?」(1990。邦題『甦(よみがえ)れ、わがロシアよ』)、「20世紀末のロシア問題」(1994)、『廃墟(はいきょ)のなかのロシア』(1998)といった社会問題を扱った論文や時事評論も多く、著作全体の中でも重要な位置を占めている。

 ソルジェニツィンは19世紀以来のトルストイやドストエフスキーのリアリズムの伝統を受け継いでおり、文学的手法や言語についても、また世界観に関しても保守的・民族主義的な作家とみなされることが多い。しかし、歴史的資料を駆使したドキュメンタリーでありながら同時に「芸術的試み」を目ざした彼の巨大な歴史長編は、文学史上類例をみない異様なものであり、その特質はいまだに歴史学的にも、文学研究の立場からも十分解明されているとはいいがたい。作品に対する評価がいまだに定まっていないとはいえ、社会現象としての重要さからみれば、彼が20世紀後半ロシア最大の作家の一人であったことは間違いない。

[沼野充義]

『小笠原豊樹訳『消された男』(1963・河出書房新社)』『染谷茂・内村剛介訳『鹿とラーゲリの女』(1970・河出書房新社)』『江川卓訳『1914年8月』上下(1972・新潮社)』『江川卓訳『クレムリンへの手紙』(1974・新潮社)』『染谷茂・原卓也訳『仔牛が樫の木に角突いた――ソルジェニーツィン自伝』(1976・新潮社)』『江川卓訳『チューリヒのレーニン』(1977・新潮社)』『染谷茂訳『自由への警告』(1977・新潮社)』『木村浩訳『甦れ、わがロシアよ――私なりの改革への提言』(1990・日本放送出版協会)』『井桁貞義ほか訳『廃墟のなかのロシア』(2000・草思社)』『木村浩訳『煉獄のなかで』上下『収容所群島』1~6(新潮文庫)』『小笠原豊樹訳『ガン病棟』上下(新潮文庫)』『木村浩訳『マトリョーナの家』(新潮文庫)』『染谷茂訳『イワン・デニーソヴィチの一日』(岩波文庫)』『木村浩編訳『ソルジェニーツィン短篇集』(岩波文庫)』『ソルジェニーツィン著、RFラジオ日本編『日本よ何処へ行く――ソルジェニーツィン滞日全記録』(1983・原書房)』『井上茂信著『ソルジェニーツィンは警告する――続・善の論理』(1986・善本社)』『沼野充義著『永遠の一駅手前――現代ロシア文学案内』(1989・作品社)』『アンドレイ・サハロフ著、金子不二夫・木村晃三訳『サハロフ回想録(下) ペレストロイカの父として』(1990・読売新聞社)』『クロード・ルフォール著、宇京頼三訳『余分な人間――「収容所群島」をめぐる考察』(1991・未来社)』『木村浩著『ソルジェニーツィンの眼』(1992・文芸春秋)』『紀田順一郎著『二十世紀を騒がせた本』(1993・新潮社)』『ハリソン・E・ソールズベリー著、柴田裕之訳『ヒーローの輝く瞬間(とき)』(1995・日本放送出版協会)』『ロバート・ボイヤーズ著、田部井孝次訳『暴虐と忘却――1945年以降の政治小説』(1997・法政大学出版局)』『東浩紀著『郵便的不安たち』(1999・朝日新聞社)』『守口三郎著『病と文学』(2000・英宝社)』『水野忠夫著『囚われのロシア文学』(中公文庫)』

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