セントクリストファーネビス(英語表記)Saint Christopher and Nevis

改訂新版 世界大百科事典 の解説

セントクリストファー・ネビス
Saint Christopher and Nevis

基本情報
正式名称セントクリストファー・ネビスSaint Christopher and Nevis 
面積=261km2 
人口(2009)=5万人 
首都=バステールBasseterre(日本との時差=-13時間) 
主要言語=英語,パトア語 
通貨=東カリブ・ドルEast Caribbean Dollar

カリブ海小アンティル諸島リーワード諸島に属するセント・キッツ島とネビス島からなる連邦国家。〈セントキッツ・ネビス〉とも称する。面積176km2のセント・キッツSaint Kitts島に約3万2000人,面積93km2のネビス島に約1万人が住む。首都バステールは人口1万8000,セント・キッツ島は本来セント・クリストファー島と称し,1493年,コロンブスの第2次航海で発見された最初の島といわれ,コロンブス自身の守護聖人であり,旅行者の守護聖人であるクリストバルにちなんで命名されたものが,その後クリストファーのニックネームであるキッツによって置き換えられたものである。ミゼリー山(1157m)を擁する火山島で,降水量の豊富な山麓サトウキビ綿花が栽培される。ネビス島はセント・キッツ島の南東方3kmにある円錐形の火山島で,985mのネビス山を形成している。1493年コロンブスが発見したとき,雲のかかったその姿が雪las nievesに覆われて山に似ていたところから命名された。中心地はチャールズタウンCharlestown。両島とも住民はほとんどが黒人で,英国国教会が主流のほかプロテスタント各派やカトリックが見られる。言語は英語。

 1623年に始まるイギリス人によるセント・キッツ島植民は,イギリス人によるカリブ海における最初の植民地であり,28年にはネビス島でも入植が行われ,先住民のカリブは短期間のうちに絶滅させられてしまった。その後,イギリス,フランス,スペインの間で争奪戦が絶えず,一時はセント・キッツ島を英仏両国で占領したが,1783年のベルサイユ条約で両島はイギリスに帰属することが確定した。19世紀後半からはリーワード諸島の一部として植民地行政の管轄を受けていたが,1958年に西インド諸島連合の結成に参加,同連合解体後は67年に,アングイラ島とともにイギリスの自治領を構成した。その後75年セント・キッツでは完全独立を掲げる労働党が州議会選挙で勝利し,独立の気運が高揚した。一方,ネビスではセント・キッツの優位に対する反発もあって,同島との独立には消極的であったため,独立構想は一頓挫した。アングイラは76年に自治領から分離した。80年の総選挙では独立に反対する人民行動党が勝利して,経済開発を優先したため,独立は遅れたが,83年9月19日にイギリス連邦の一員として独立を達成した。セントクリストファー・ネビスは東カリブ諸国機構に加盟しており,司法は東カリブ裁判制度に属する。近年この地域は南アメリカからアメリカ合衆国への麻薬密輸ルートになっており,政府高官の関与事件が政情不安につながったりしたため,政府は現在麻薬犯罪の取締りを強化している。また憲法でネビス島に大幅な自治権が認められており,ネビス島政府のバンス・アモリー代表はセント・キッツ島からの分離独立を目指している。

 両島の経済は最近まで砂糖生産に依存してきたが,国際市場価格の低迷から近年,観光業や輸出向け製造業など産業の多角化が図られるようになり,外貨獲得においては観光産業が砂糖産業を上回るようになった。1995年の1人当り国民総生産は5770ドルであった。
執筆者: なお便覧〈世界現勢〉の〈セントクリストファー・ネビス〉の項を参照されたい。

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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