セルケイラ(読み)せるけいら(英語表記)Luis de Cerqueira

日本大百科全書(ニッポニカ) 「セルケイラ」の意味・わかりやすい解説

セルケイラ
せるけいら
Luis de Cerqueira
(1552―1614)

ポルトガル宣教師イエズス会士。アルビトルに生まれ、エボラ大学で哲学、神学を講じた。1594年リスボンで第5代日本司教に任ぜられたが、禁教令下の日本入国は困難を極め、1598年(慶長3)ようやく長崎に上陸した。日本人聖職者の養成と布教活動に努め、『サカラメンタ提要』(1605)をつくり、教会法の遵守、婚姻、祝日、断食などを日本の国情に適応させつつ整備した。日本最初の信心会を組織。1606年伏見(ふしみ)に上って徳川家康(とくがわいえやす)に謁見、彼の在京中五畿内(きない)(山城(やましろ)、大和(やまと)、河内(かわち)、和泉(いずみ)、摂津)のキリシタン堅信(けんしん)礼を授け、また本多正純(ほんだまさずみ)、板倉勝重(いたくらかつしげ)、細川忠興(ほそかわただおき)に教会の保護を求めて成功した。のち長崎で没した。

藤川 徹 2018年2月16日]

『ジョアン・ロドリーゲス著、柳谷武夫他訳『大航海時代叢書第10 日本教会史 下巻』(1970・岩波書店)』

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朝日日本歴史人物事典 「セルケイラ」の解説

セルケイラ

没年:慶長19.1.8(1614.2.16)
生年:1552頃
ポルトガル人イエズス会士,日本司教。アルヴィトに生まれ,1566年イエズス会入会。神学博士の学位を得て神学教授であった1593年,マルティンス府内(大分)司教の後継権を持つ補佐司教に任命され,司教に叙階された。翌年リスボンを出発しマカオに待機中,マルティンス司教が死去し,慶長3(1598)年日本司教としてヴァリニァーノらと長崎に渡来。府内が禁教策の中にあったため長崎に居を定め,政情不安な時代の日本の教会を賢明に導こうとした。まずセミナリオ(神学校)を設立して日本人司祭の養成に努め,教区司祭7人の他イエズス会司祭8人を叙階し,長崎の4教会を教区司祭に委ねて小教区を誕生させた。その間,自ら神学を講じる一方,司祭,神学生,信徒のために宗教書を発行,同10年には将来の日本人司祭のためにトレント公会議の規定に基づく教会法を含む典礼定式書『サカラメンタ提要』を,赤,黒という日本最初の2色刷り印刷で刊行するなど新しい息吹を注ぎ込んだ。同書にはグレゴリオ聖歌が収められ,現存する日本最古の洋楽譜とされてもいる。さらに,地域の教会の成長の度合いにあわせた規定の適用を求める配慮を示した。ポルトガル人による人身売買を破門の厳罰をもって禁止したり,徳川家康を訪問するなどの社会的貢献も特筆される。全国的禁教令の直前に長崎で没した。

(片岡瑠美子)

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改訂新版 世界大百科事典 「セルケイラ」の意味・わかりやすい解説

セルケイラ
Luis Cerqueira
生没年:1552-1614

第3代日本司教。ポルトガルのアルビト村出身。1566年イエズス会に入り,神学博士としてエボラ大学で教える。93年日本司教区の補佐司教に任命され,翌年リスボンを出発,95年マカオに到着した。98年(慶長3)司教マルティンスの死により司教となり,同年8月バリニャーノとともに長崎に着任。1601年長崎に司教座聖堂を設け,教区司祭養成のための教区神学校を設置して倫理神学を講じ,在任中に日本人司祭7名と副助祭5名を養成,日本人教区司祭は5名であった。05年司祭の典礼指導書《サカラメンタ提要》を刊行したが,2色刷りのグレゴリオ聖歌の楽譜も載せられている。06年上京して伏見城で徳川家康に謁しキリシタン教界の保護を要請,のち畿内地方の教会を視察しキリシタンに堅信の秘跡を授けた。彼はまたポルトガル商人の奴隷売買禁止に尽力したが十分な効果は見なかった。14年2月長崎で病没。
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百科事典マイペディア 「セルケイラ」の意味・わかりやすい解説

セルケイラ

ポルトガル人イエズス会士。1593年リスボンで日本補佐司教に叙せられ,1598年長崎に着き,初代日本司教マルティネスのあとを継ぎ,教会を指導した。1606年伏見に行き徳川家康に謁見。日本人聖職者養成,典礼書刊行,奴隷売買禁止などに尽力した。長崎で没。
→関連項目セミナリヨ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「セルケイラ」の意味・わかりやすい解説

セルケイラ
Cerqueira, Luis de

[生]1552. アルビト
[没]1614.2.20. 長崎
ポルトガル出身のイエズス会士,日本司教。 1594 (文禄3) 年リスボンで日本補佐司教に叙階され,翌年派遣されたが,豊臣秀吉の禁教令にあい,マカオに滞留。この地で日本司教に叙せられ,慶長3 (1598) 年8月5日長崎に上陸,司教座を定め,奴隷売買者に対する破門令を発した。禁教令下,日本巡察使バリニャーノらとともに教会制度の確立,神学教育の推進,邦人司祭の養成に尽すとともに,同 11年には徳川家康を公式に訪問するなど諸侯との交誼を求めた。『秘跡の祝いの宝鑑』『良心の尊貴なることの手引』などの日本語の著作がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「セルケイラ」の解説

セルケイラ Cerqueira, Luis de

1552-1614 ポルトガルの宣教師。
イエズス会士,日本司教。慶長3年(1598)長崎来着,6年同地にセミナリヨ(神学校)を新設し日本人司祭を養成。11年伏見で徳川家康にあい,布教取り締まり緩和を請願した。慶長19年1月8日長崎で死去。62歳。編著に「サカラメンタ(教会の秘跡執行)提要」など。

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